44-2

 街は静かだった。静かとはいっても、雰囲気が暗く淀んでいるとかではなく、この街だけ、時計の針の進め方を忘れてしまったような、そんな穏やかな街だった。


 こういう静かな街で、白ひげ海賊団は無駄に騒がない。郷に入れば郷に従え――海賊のくせに、親父はどこか礼儀正しいところがあった。


 こんなに音の少ない街で、エースを見つけられるだろうか――一抹の不安が胸をよぎる。エースはいつだって、騒ぎの真っ只中にいた。一番賑やかしいところへ向かえば、あのくねくねとした黒髪は、いつだってすぐに見つけられる。けれど、こんなに穏やかな街で騒ぎなど、到底見つかりそうもない。


 飲食店の中を、一軒一軒覗いていく。けれど、そのどこにもエースはいない。加工される前の食材を売っているお店や、洋服屋、終いには、エースなら絶対に行かないであろう、本屋までもをくまなく探した。


 けれど、一向にあの癖っ毛は見つけられない。


 もしかして、船にいるのだろうか。もしくは、エースが帰ってきたという情報が誤報で、本当はまだ帰っていないのだとしたら――。


 妙な胸騒ぎを憶えて、踵を返そうとする。


 その瞬間、防波堤に佇んだ、見慣れた背中が目に飛び込んできた。


 不敵に笑う、オヤジの刺青。それすらも弱々しく見えてしまうほど、その背中からは覇気を感じなかった。こんなことは初めてではないけれど、子どもの頃に亡くした兄弟のことや、お母さんのことを考えているときとも、違う。背中しか見えていないのに、エースがまた、何か大切なものを失ってしまったんじゃないか――そんなふうに感じた。


 しばらく思い悩んでから、剣に手をかける。元気がないなら、尚更。いつも通りに接するのが、一番ではないか。


 剣を引き抜いて、ぐっと、爪先に力を込める。


 いざ飛びかかろうと、身を低く屈めた、その時――。


「やめとけよい」


 聞き慣れた声と口癖が背後から聞こえて、私は、ひっと、肩を跳ね上げた。


「マっ、マルコ……!」


 そこには、両手に紙袋を抱えて眉根を寄せている、マルコがいた。


 片方の紙袋は、四角い形をしている。きっとまた、本を買ったのだろう。そして、もう一方の紙袋からは、彼の大好物であるパイナップルの頭がはみ出していた。モビーディック号の船医として、日頃から勉学に勤しむマルコは、脳が疲れてくると、糖分摂取だと言ってよくフルーツを食べていた。


「エース……なにかあったの?」


 大人しく剣をしまいながら、マルコにそう訊ねる。いつもの私ならまず、突然に声をかけられて驚かされたことに文句の一つ二つ言うところだが、マルコの、困惑したような、哀れんだような目元を見ていると、そんな気持ちまで空気を抜いた風船のように萎んでいった。


「さァなァ……」


 エースのほうへ視線を投げてから、マルコはそう呟いた。それは、私相手に誤魔化そうとしているとか、そんな感じではない。マルコ自身、本当にお手上げなんだ、とでも言いたげな、彼にしてはめずらしい、情けない声色だった。


 エースは、マルコにさえ、何も言っていない。そして、それほどに落ち込んでいる。


 空気を読まずに飛びかかってしまわなくてよかったと、おそらくは初めてくらいにマルコに感謝した。(いつもは拳骨ばっかり落とすから感謝なんてしない)


「せっかく来てもらって悪いけどな。今日はもう、帰れよい。今のエースとは、誰も会話にならねェ」


 声が、少しずつ遠ざかっていく。マルコは、いつのまにか踵を返していた。彼の肩越しに見えるパイナップルのヘタまで、なんだかしょんぼりとして見える。


 マルコでだめなら、私でもだめだ。


 後ろ髪を引かれながら、おずおずと踵を返す。マルコの背中を追いながら、もう一度、エースのほうを窺った。


 カオの角度がほんの少しこちらへ向いていて、エースの横顔が見える。


 久しぶりに見たエースの横顔は、まるで初めて会う男のように、憂いを帯びて、大人びて見えた。


 胸が、きゅっと苦しくなって、弾けそうになる。その痛みを振り切るようにして、私はマルコの背中を追って駆け出した――。


 エースは、初めて会ったときから、明るいヤツだった。いつもへらへら笑っていて、私がどんなにアイツの腕や脚に歯形を残しても、本気で怒ったり、呆れたりはしなかった。


 ――この船じゃあ、一度乗っちまえば、みんな家族だ。俺たちのことはいい。だけど、オヤジのことは信じろ。


 何日かたってから、エースはそう言った。夕飯にと持ってきたクリームシチューを私の足元に置いて、彼は船の手すりに背中を預けて座った。


 ――アイツの、何がそんなにいいの。


 私はそう訊ねた。


 ――一緒にいりゃあ、わかる。


 テンガロンハットを目深に被り直してから、エースはそう答えた。


 ふうん、と、気のない返事をする。


 私はこの日、初めてご飯を食べた。


 それから私は、ほとんどの時間をエースと共に過ごした。一緒にご飯を食べ、遊び、眠り、そして、戦った。


 家族愛が恋愛に変わるまで、そう時間はかからなかった。


 エースは、出会った頃からすでに女癖が悪くて、果汁がたっぷり詰まった桃のような胸や尻によだれを垂らしていたし、形のいいアーモンドのような瞳に誘われれば、容易く腰を振っていた。


 だけど、たぶん、恋は知らなかった。いつだって、彼の情熱はその瞬間だけで、それこそ、彼の生み出す炎のように、一瞬で燃え上がって、一瞬で冷める。私よりも年上で、強くて、どこか大人びたエースに私が勝てるのは、恋を知っているか、いないか――それだけだった。


 おいしそうな桃もアーモンドも、そのときだけしかエースに愛でられない。だけど、私のことは、ずっと大切にしてくれる。その事実は、私の中の嫉妬の炎を、うまく鎮火してくれた。


 エースは、恋を知らない。おそらくこれからも、知る由がない。エースは割と、自分の気持ちに鈍感なところがある。容易く恋を知ることなんて、きっとできない――はずだったのに。


 一瞬、あの横顔を見ただけで、胸がざわめいた。嫌な予感が胸の中をぐるぐると巡って、エースが消えたと聞いたあの日と同じくらい、いてもたってもいられなくなった。


 もしかしたら、エースは、


 恋に落ちてしまったのではないだろうか――。

 
「――モ……ディモ!」

「――! うえっ?」


 変な声と肩を、私は思いきり跳ね上げた。


 声のしたほうを見ると、***が、心配そうなカオをして、私のことを覗き込んでいた。


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