43-1
この前のことがあってから、エースはますますディモにつきっきりになった。ご飯の時もお昼寝の時も見張りをしている時も、エースの隣には必ずディモがいる。そして、エースと一緒にいるうちに、ディモの顔色も少しずつ色味を帯びるようになっていった。
ふたりが一緒に並んでいると、いわゆる“あうんの呼吸”というものを感じた。ナースさんたちと一緒にいる時のような艶っぽさは確かにないけれど、それ以上の、何か特別な雰囲気が漂っている。それはまるで、長年連れ添った夫婦のような――そんな空気感だった。
「普段はガキみたいにふざけ合ってんのになー」
「まったくだぜ。ほんっとたまに、ああいう空気出すんだからよォ」
船員たちが噂話をしながら微笑ましげに通り過ぎていく。その視線につられて甲板を見ると、エースとディモが一枚の毛布に包まって肩を寄せ合いながら海を見ていた。エースの横顔を見上げるディモのカオは、すっかり女性のカオをしていて、ナースさんたちに負けず劣らず美しかった。
「やっぱり、リップも必要なかったかな……」
そんな独り言を漏らしながら、私は船内へと戻っていった。
*
“あのこと”があってからというもの、私はうまく寝付けなくなった。うとうとしかけると、あの日のエースの叫び声が耳元で鳴り響いて、はっと息が止まる。ここ数日そんなことが続いているもんだから、満足に眠れなくて日中も頭が重い。
何度目か分からない寝返りを打って、ため息をつく。今日も眠れなさそうだと悟ると、私はベッドから出た。
椅子を引いて、窓の方を向いて座る。目を瞑ると、ザザン、ザザンと、海の寝息が聞こえてきた。ゆっくりと目を開ける。まんまるの月が、私を優しく見下ろしていた。
『エースは、誰に心の闇を取り払ってもらってるんだろうな……』
切なげなイゾウさんの声が鼓膜に蘇る。再び疼き出した胸の痛みを、服の上からぎゅっと押さえ込んだ。
本当に、ないんだろうか。エースのために、私が出来ることは――。ほんの数分――数秒でもいい。エースの心の闇を一瞬でも取り払ってあげることは、今の私には――。
ディモと肩を寄せ合うエースの姿を思い出す。私は小さく首を振ると、椅子から立ち上がってベッドへ戻った。
少しでも眠ろう――そう思って、布団の中に潜り込もうとした時だった。突然、ドアノブがかちゃりと音を立てて、私は弾かれたようにドアの方を見た。
「エっ、エース……!」
「……」
真夜中の来訪者はエースだった。虚な目を床に落として、大きな体をずんと佇ませている。
私はベッドの縁に腰かけた状態のまま、エースのカオを覗いた。
「エ、エース? どうし――」
「一緒に寝てもいいか?」
そう訊いたエースの声は、ひどく掠れていた。
「……え?」
「眠れてないんだ。あの日から全然」
「……」
「それなのに、嫌な夢をみる」
エースが、弱く拳を握って続けた。
「……怖いんだ」
「……」
私はエースに向けて両手を広げた。それを見たエースが、吸い寄せられるように部屋に入ってくる。ベッドの縁に座ると、そのまま私の腕の中にすっぽりと収まってきた。
私より遥かに大きな体なのに、子どものように小さく、頼りなく感じる。愛おしいような守りたいような気持ちになって、エースの心が壊れないよう真綿で包み込むようにして柔く抱きしめた。
ふたり言葉もなく体温をすり合わせる。エースの頭をなでると、彼は私の首筋にカオを埋めてきた。
「……怪我」
「え?」
「怪我、したんだってな。イゾウに聞いた」
「ああ……でも、大したことないよ。大丈夫」
「守るって言ったのに……ごめん」
「……私はいつも守られてるよ」
「おれの方が、***に守られてる」
「大丈夫。私はその倍守られてるから」
「……じゃあ、おれはその倍」
「……あ。違うかも。倍じゃなくて三倍かも」
「なんでだよ。じゃあおれはその三倍の倍」
「ややこしいよ計算が」
「張り合うなよ」
「エースが先に張り合ってきたんじゃん」
「違うだろ。おまえが――」
数秒、目を合わせてから、同時に笑い合う。先ほどよりも幾分か力を抜いて、エースは再び私に寄りかかってきた。
「まったく……***はおれのなんなんだよ」
「ははっ、ええ? 恩人でしょ?」
「そりゃあ、まァ、そうだけど――」
ほんの少し、躊躇ったように息を止めてから、エースは続けた。
「なんか……おまえがどんどんそれ以上の存在になってくから……正直、怖ェ」
ひどく弱々しい声で、エースは笑った。
――今私が泣いてしまったら、エースの心の闇が広がってしまいそう。
私は、泣きそうになるのを我慢して、歯を食いしばって笑った。
*
翌朝、エースの気持ち良さそうな寝息で目が覚めた。まぶたが緩く降りていて、口は半開きだ。
よかった――熟睡できたみたい。
起こさないよう、エースの頭をそっとひと撫ですると、私は静かに部屋を出た。[ 47/56 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]