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「海賊がなぜ酒ばっかり飲むか分かるか? 忘れたいことがあるからさ。この海を生きてると、そりゃあいいことばっかじゃねェ。裏切られりゃあ、昨日までの友を殺さにゃいけねェ時もある。これからだってそうさ」


 言いながらラクヨウさんは、故郷の水でつくられたというお酒を二つのグラスに注いだ。酒瓶を持つ浅黒い武骨な手には、所々に傷がついている。


 なんて受け答えたらいいか、私は分からなかった。いつも陽気なラクヨウさんの横顔が、別人のように寂しげに見える。


 ラクヨウさんは、ふっ、と小さく笑った。


「まァもちろん、ただ騒ぎてェだけって時がほとんどだけどな! ……ほら」

「あっ、ありがとうございます……」


 ラクヨウさんが差し出してくれたグラスを受け取る。合図もなく二人で乾杯をして、同時にグラスに口をつけた。


 口の端から溢れたお酒を袖口で拭いながら、ラクヨウさんは続けた。


「この船にゃあ、そういうやつが多い。まァ、単純に人数が多いしな」

「そう、なんですね……」

「エースにも、何かある」


 私はギクリとした。ぱっと、ラクヨウさんのカオを見る。


 ラクヨウさんは、にっとして私を見返した。


「お? そのカオはなんか知ってるな?」

「あ、いえっ。そんな詳しくは……」

「いいんだいいんだ。おれたちゃそれを知らねェ。言わなくていい」

「……」 

「アイツが話したいなら別だが、こっちから聞くこたしねェ。誰だって言いたくねェことの一つや二つある」

「……」

「ディモと境遇が似てるって聞いたことがあるから、まァ、出生のことなんだろうなとは踏んでるが」

「……ディモは、親御さんは……」

「……」

「あっ、すみません。言えませんよね、そんな――」

「ディモは親に殺されかけたんだ」


 弾かれたように、私はラクヨウさんを見た。


「ディモの実の親は山賊でな。山賊ってのァ、あんまり品のいいヤツがいねェのよ。まァ、海賊のおれが言えるこっちゃねェが」

「……」

「元々あんまりいい扱いはされてなかったみたいだが、それでもディモは親のために懸命に尽くした。……家族だもんな」

「……」

「その親が、ある日突然、我が身かわいさに娘の命を敵に差し出そうとしたんだ。そりゃあ、親を恨むようにもなっちまうだろ」


 私は絶句した。あんなに明るい子に、そんな仄暗い過去があったなんて――ディモの笑顔や、おそるおそる距離を縮めようとしてくれた仕草を思い出すと、涙が滲んだ。


「殺されそうになったディモを助けたのが……オヤジさんだったんですか?」

「物理的にはな」

「え?」

「アイツの命を救ったのはオヤジだが、心を救ったのはエースだ」


 ラクヨウさんは目を細めると、エースがこの船に来た時の様子から語ってくれた。


 エースは当初、オヤジさんはもちろん、この船の人たちをまったく信用していなかったらしい。ラクヨウさんは当時のエースを「今にも噛みつきそうな狂犬」と比喩した。そんなエースの心を、この船の家族たちは氷海を溶かすようにゆっくりと開いていった。


「ディモがこの船に来た時、エースとおんなじような感じでな。アイツの場合、飯食わせようとすると、ほんとに噛み付いてきやがった」


 ラクヨウさんは、ククッと肩を揺らして思い出し笑いをした。


「自分と重なったんだろうなァ。ディモはエース以上に頑なだったが、毎日噛み付かれながら飯食わせてたよ。エースのヤツ」

「そう、だったんですか……」

「元々面倒見もいいしな。アイツに弟がいるのは知ってるか?」

「はい。教えてもらいました」

「妹みてェなもんなんだろうな。ディモはエースにとって」

「……そうですね」


 たしかにそれもあるかもしれない。けれど、あの二人にはそれ以上の――何か、目には見えない絆のようなものがあるように感じた。


 黙り込んだ私のカオを、ラクヨウさんは覗き込んできて言った。


「エースのことが好きか」

「……えっ」

「エースのことが好きだろ、***」

「そっ……そりゃあ、嫌いでは――」

「隠すな隠すな。誰にも言やァしねェよ」

「……」


 なんだか今のラクヨウさんには嘘をつく気になれない。私は素直に頷いた。


「だけど……どうにもなりません」

「……」

「私は……皆さんみたいにエースの家族になることも、ディモみたいに心の傷を分かってあげることも……そもそも、ずっとそばにいることもできません」

「……」

「もし……もし私に、忘れたいことがあるとすれば、それは――」


 手の中で揺らめく無垢な液体を見つめた。


「この世界のことを……エースのことを、忘れてしまいたいかもしれません」

「……そうか」


 そう呟くように言うと、ラクヨウさんは口元だけで笑った。その表情がどこか寂しそうに見えて、やっぱりいけないことを言ってしまったと後悔した。


「いい思い出ってのァ、あってもなくてもつれェよな」

「……すみません」

「謝るこたねェさ。おまえの気持ちはよく分かる」

「……」

「向こうに帰ったら、ここで起こったことはすべて夢だったと、そう思い込め」

「……」

「そうすりゃいつのまにか、本当に夢だったんじゃないかと思うようになる。夢はいつか、朧げになる。きっと忘れられるさ」


 ラクヨウさんはグラスを勢いよく傾けた。タン、とテーブルに戻したその中身は、空になっていた。


「おまえは、おれたちのことを忘れてもいい。でもな、***」


 ラクヨウさんが、上半身を私の方へ乗り出して言った。


「おれたちゃ、おまえを忘れねェよ」

「……え」

「おれも、オヤジも、マルコもサッチも……エースも」

「おれたちゃ誰一人、おまえを忘れねェ。忘れさせねェ」

「……」

「おまえがいなくなった後のこの世界でも、おれたちゃおまえのことを語り継いでいく」

「……」

「おまえと飯を食ったこと、酒を飲んで話したこと、一緒に見た景色……あァ、それから――」


 ラクヨウさんは酒瓶を持ち上げると、ピンと伸びた髭を撫でつけながら、にっと笑った。


「マルコが大事にしてた酒を、隠れて一緒に飲んだこともな」

「えっ……! ええっ? これっ……マルコ隊長のお酒なんですかっ?」

「ガーッハッハッ! 共犯だな!」


 カオを蒼くしている私の隣で、ラクヨウさんは豪快に笑った。


「美味い酒も、命の危機も、恋も嫉妬も、ぜーんぶ楽しめ! ***!」


 長い下まつ毛をくいくいと動かして、ラクヨウさんは声高らかに叫んだ。


「それが、海賊だ!」





 酒蔵を出て、酔いを冷まそうと二人で甲板へ出る。すると、甲板の隅の方で、エースとディモがお揃いのたんこぶをこさえてマルコ隊長の前で正座させられていた。


「ガーッハッハッ! 派手にやられたなァ! エース! ディモ!」


 他人事のように笑うラクヨウさんを、二人が同じ表情で睨み上げる。


「うるさいっ! あっち行け酔っ払いジジイ!」

「ラクヨウおまえっ、なんで***と一緒にいるんだよっ!」

「おーおー口と態度が悪ィな、二人とも。絞り方が足りねェんじゃねェのか? マルコ」


 ラクヨウさんが、マルコ隊長の肩に手を乗せる。


 振り向いたマルコ隊長の額には、ピキリと青筋が立った。


 ラクヨウさんと私は、同時に「あ、まずい」のカオをした。


「そうだねい……いい酒の匂いさせながら仕事サボってるヤツらのことも、こーってり絞らねェとなァ? なァ、ラクヨウ、***……」


 不敵に笑ったマルコ隊長が、ずんずんとこちらへ向かってくる。


 隣でカオを真っ青にしているラクヨウさんに、私は訊いた。


「ラっ、ラクヨウさん……! こういう状況も、海賊は楽しむべきなんですよねっ?」

「……やっぱり、楽しめねェ時もあるな」


 私たちの断末魔の叫び声が、高く青い空にこだました。


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