36

『***』

『おやすみ、のチュー』

『じゃあな! ゆっくり休めよ!』











 クアー、クアー……。


 ニュースクーの鳴き声が耳に届いて、私はむくりと起き上がった。


 どろりとしたカオで時計を見ると、起きる予定だった時刻まで、あと一分。


「……ゆっくりなんて休めるかっ!」


 昨夜の爽やかなエースの余韻にそうツッコミをいれると、私はのそのそとベッドから這い出た。





 ……眠れなかった。当然である。


 突然、付き合ってもいない男性にひょいひょいキスをされてぐっすり眠れるほど、私の神経は図太くない。


 しかも、それが好きな人ならなおさら。


 妄想じゃなかった。現実だった。


 私はちゃんと、本物のエースにキスをされた。


「……なぜ」


 どこでなにがどうなってこうなったんだろう。


 私、なんかエースのキスを誘うような行動とったのかな。


 ……。


 いや、とってない。はず。


 私は至って、いつもの私だった。


 何かあったとすれば、エースの方だ。


 まさか、あんなに狭い倉庫に二人きりでいたからムラムラした、とか……


 ……まさか。犬じゃあるまいし。


 それに、あのおやすみのチューの理由にもならな、


『おやすみ、のチュー』


 それを思い出して、胸に何かが突き刺さった。


 ……殺される。


 このままじゃ私、訳もわからないままエースにキュン死にさせられる。


 そんな理由で、異世界で死ぬなんて……!


 眠ってない思考で訳のわからないことを考えながら、私はふらりと甲板へと向かった。





 甲板に続く扉のドアノブを回すと、キィと控えめな声で鳴いた。


 まだいないかも、なんて思ったけど、あの一風変わったヘアスタイルはすぐに目につく。


 微動だにせず、一人きりで水平線をみつめるその人に近付くと、私は早朝にふさわしいテンションで声をかけた。


「おはようございます……」

「うおっ!」


 どうやらそこに人がいたことに驚いたらしく、その人は小さく一歩退いた。


「なっ、なんだよい! そんな幽霊みてェなカオしてぬぼーっと突っ立って!」

「す、すみません……マルコ隊長、もしかして幽霊怖いんですか?」

「なっ……! んなわけねェだろ!」


 ムキになって反論するマルコ隊長がなんだか少しかわいく見えて、私は思わず笑ってしまった。


「……こんな朝っぱらから、なんだよい」

「あの、これ……」


 そう言って、手に持っていた紙の束をマルコ隊長に差し出した。


「これ、……もう終わったのかよい」

「はい」

「『はい』って……エースに預けたの昨日の夜だぞ」


 信じられないとでもいうように、マルコ隊長はその紙の束をぱらぱらとめくった。


「あ、はは。なんか昨日あんまり眠くなくて、いっきにやっちゃいました……」

「……」


 すると、マルコ隊長は眉を難しく寄せて私に向かって手を伸ばした。


 目の下あたりを、骨ばった指が滑る。


「どうりでひでェカオなわけだ」

「えっ、そんなにひどいですか?」

「あァ。少なくとも、幽霊と見間違えるくらいわな」


 意地悪くつり上がったその口元に、私は小さく笑った。


「少し眠ってこい。今日は昼からでいい」

「えっ、だっ、大丈夫です。結構元気は」

「んなカオで働かれたら、こっちまで具合悪くなるよい」


 いいから早く戻れ、と、シッシッと手を振って、マルコ隊長は再び海の方を向いた。


「じゃ、じゃあ……すみません」

「あァ」

「……」


 立ち去ろうとして、足を止めた。


「……あのー」

「なんだよい、まだなんかあんのか?」


 怪訝に眉を寄せたマルコ隊長に、私はわずかに口ごもった。


「あ、いや、あの、その……」

「?」

「マ、マルコ隊長は……好きでもない人と、その……キ、キスとか、できますか?」


 しどろもどろにそう訊ねると、マルコ隊長は思いきり目を丸くして「はァ?」と言った。


 私が何も言えずにいると、何かを悟ったのか、小さく息をついて一言。


「……エースにキスでもされたかよい」

「!」


 その言葉に、軽く俯いていたカオを勢いよく上げる。


「ちっ、違いますっ。まさかそんなっ」

「……」

「……」

「……」

「……はい」


 マルコ隊長の目力に負けて、私はおずおずと白状した。


「なるほどねい、それはそれは……」

「……」


 なんとなく居心地が悪くなって、私は再び小さく俯いた。


「……挨拶みてェなモンだな」

「え?」


 そう言うと、マルコ隊長は縁に寄りかかるようにしてこちらを向いた。


「キス」

「……」

「アイツなら、出会って一秒でキス、三分でセックスできる」

「セッ……! そう、ですか……」


 三分って。チキ○ラーメンか。


「食いたいから食う。眠いから寝る。ヤりてェからヤる。それが、エースだよい」

「確かに。そうでしょうね……」


 っていうことは、あれか。


 ほんとに、ただただなんとなく。


 誰かとキスしたい気分だったってことか。


 そう思ったら、なんだか眠れなくなるほど悩んでいた自分が情けなくなる。


「まァ、あれだ。犬に噛まれたと思って忘れろい」

「ははっ。そうですね。はっきりそう言ってくださって、よかったです」


 力なく笑ってそう告げると、マルコ隊長は困ったような、悪びれているような、そんなカオをした。


「あんまり深入りすんなよい」

「え?」


 言われた言葉の意味がわからなくてマルコ隊長を見上げれば、思いの外真剣なカオをしていて、思わず息を飲む。


「おまえは……帰るんだろい」

「……あ」

「エースとキスしようがセックスしようが、だからってなんになる」


 傷付くのは、おまえだろい。


 なんて、哀れむような目で私を見た。


「さっさと戻って眠れ」

「……」

「睡眠不足だからだよい。今おまえが気落ちしてんのは」

「……」

「寝りゃ、治る」

「ありがとう、ございます……」


 ショックを受けていることを、睡眠不足のせいにしてみないフリしてくれた。


 マルコ隊長が優しくて、泣きそうになった。


「おやすみなさい……」

「あァ」


 小さく会釈をして、私はマルコ隊長の元を去った。





 部屋に辿り着くと、私はすぐさまベッドにダイブした。


 すると、突然訪れる頭痛。


『おまえは、帰るんだろい』


 そうだ。そうだった。


 私は、いずれここからいなくなるんだった。


 ちょっと油断すると、すぐに忘れそうになる。


 キスをしようが、何をしようが、


 私とエースの距離は、何一つ埋まらない。


「いったー……」


 小さく呟いたそんな声が、朝の闇に溶けて消えた。


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