34

「あっ、エース」


 昼寝でもしようと甲板に出たら、***が倉庫の中からカオを出した。


「お、おう」

「偶然会うなんて、初めてだね。こんなに広いのに」


 エースに会えたことがうれしいのか、***は声を弾ませながら笑いかけてくる。


 なんだか***が輝いて見えて、エースの心臓はまた変なリズムを奏で出した。


 まずい、直視したら死ぬ。


 ふいっと、さりげなく視線を横にずらすと、***は眉を寄せて不安げな声を出した。


「もしかして忙しかった?」

「えっ、あァ、いや……」

「隊長クラスの人はやっぱりみんな忙しいんだね。マルコ隊長にもなかなか会えなくてさ」


 ぴくり。エースの身体が揺れる。


「マルコ隊長って、なんだか特別忙しい気がするんだけど気のせいかな?」

「……」

「休んでるところあんまり見たことな」

「……」

「? エース?」

「あ、あァ、悪ィ……そうだよな!少しくらい休めよって、いつも言ってんだけどな」

「そうなんだ。働きものなんだね」


 困り顔で眉を下げて笑う***に、エースの眉間には苛立ちを表すように眉間にしわが寄せられる。


 なんだよ。マルコの話でうれしそうなカオしてんじゃねェよ。


 『なかなか会えなくて』ってなんだよ。そんなにマルコに会いてェのか?


 そこまで考えて、エースははっと我に返った。


 何を考えてんだおれは。


 ***もマルコも、お互い心を許し合いかけてんだ。


 恩人と家族が仲良くなろうってんだから、喜ぶとこだろ、そこは。


 エースは突如押し寄せてきた黒い感情を、なんとか腹の奥底に沈ませると、口元に笑みを作った。


「そういうヤツだから、***もマルコのこと支えてやってくれな」


 なんだか、うまく笑えてねェ気がする。笑うってどうやるんだっけ。


「うん。わかった。頑張るよ、エース」

「……」

「エース? どうし」

「別に頑張ることねェ」

「……え?」

「おまえは、黙っておれに守られときゃいいんだよ」


 刺々しいその言い方に驚いたのは、***よりもエースの方だった。


 おれ、何言って……


「あ、い、いや、その、あれだ! ……む、無理はするなよって、そういう意味だ!」

「あ……ああ! なんだ、そういうことか!」

「おう! そういうことだ!」


 あははは、と、二人で曖昧に笑い合うと、エースは話をそらそうと別の話題を持ちかける。


「今は何してたんだ?」

「ん? あァ、倉庫の中片付けてたの」

「そうか、おれも手伝うよ。」

「えっ、いいよいいよ。エースだって仕事」

「今ちょうど空いてるから大丈夫だ」


 そう答えながら***を置いて倉庫へ足を進めると、戸惑いがちな足音がすぐ後ろから追いかけてくる。


 薄暗いそこの天窓を空けると、一筋の光が室内を照らした。


「あ、よかった。私じゃそこ届かなくてさ」

「そうだよな。さっそく役に立ててよかったぜ」


 口の端を上げてそう言うと、***は楽しそうに笑いながら手を動かし始めた。


「でもほんとに広いよね、モビーは」

「そうだなァ。まァ千人以上乗せてっからなァ。こんくらいにはなるよな」

「エースって、他の船は乗ったことあるの?」

「あァ。おれ白ひげに来る前は、他んとこで船長やってたんだ」

「ええっ? そうなのっ? 初耳なんだけど!」

「そういや言ってなかったかもな。スペード海賊団っていって……」


 お互い身体を動かしながら、とりとめのない会話をする。


 ……なんか、久しぶりだな、この感じ。


 エースは、***のアパートの狭い一室で、一緒に過ごした日々を思い出していた。


 あんときと同じ。あったけェ気持ちになる。


 むず痒いような弱く締め付けられるような、なんとも不思議な胸の痛み。


 苦しいのに、この感覚は、嫌いじゃない。むしろ、もっと続いてほしいとさえ思う。


 おれ、一体何の病気なんだろう。


「そうだったんだね、知らなかった」

「え? あ、あァ……たまにその頃のクルーに会うこともあるんだぜ。同じ町に偶然停泊したりしててよ」

「へェ! なんかいいね、そういうの」

「ははっ、だな」

「マルコ隊長は?」

「……は?」


 突然、その名前が***の口から出てきて、エースは思わず手を止めた。


「マルコ隊長も、どこかで船長やってたりしたのかな?」

「さ、さァ……おれが来たときはもうすでにこの船にいたからな」

「そうなんだ……じゃあ、今日聞いてみよう」

「……」

「マルコ隊長も、船長とか似合いそうだよね」

「……」

「なんかオーラがあるし」

「***」

「ん?」

「……そんなにマルコのことが知りたいのか?」

「え?」

「おまえ、その……昨日からマルコのことばっかり」

「ええ? そ、そうかな? でも確かに私がお世話になってる隊の隊長さんだし、もっと仲良くなりたいって思ってるよ」

「……それは」

「ん?」

「マルコが、おれの家族だからか?」

「え?」

「マルコのことが気になるのは、マルコがおれの家族だからか?」


 真剣なカオでそう問い掛けると、***は眼の球を左右に忙しなく泳がせた。


「え、あ……う、うん」


 照れたように頬をピンクに染めながら、***はそれをごまかすようにせかせかと身体を動かす。


 ……そうだよな。***は、おれの家族と仲良くなりたいって、そう思ってくれてんだ。


 ***の言う通り、マルコは***の隊の隊長だし。


 そう思うのは、当たり前のことだ。


 ……でも、


 おれがジャンケンに勝ってたら、***がマルコをこんなに気にすることもなかったのにな。


 そもそも、あの時***がおれの隊がいいって言ってくれてりゃ、ジャンケンなんてすることも、


 ……あー、くそ。


 そんなこと、いまさら言ったって仕方ねェじゃねェか。情けねェ。


 ……喜んでやらなきゃ。


 そんなふうに思ってくれてありがとうって、そう言ってやらなきゃ。


 ……いやしかし、それにしたってマルコマルコって言いすぎじゃねェか?


 アイツのなにがそんなに気になるんだよ。


 おれのことにだって、こんなに興味持ってくれたことなんて、


 ……あ。


 いや、そうじゃなくて、こんな女々しいことを思いてェわけじゃなくて、


 でも、だけど、だって、


 ぐるぐるぐるぐる。


 まるで、マーブル模様のように、胸の中が白と黒でごちゃ混ぜになっていく。


 それがとても気持ち悪くて、エースの頭は混乱した。


「エース? 大丈夫?」


 ただ一点を見つめたまま身動き一つとらなくなったエースを、***が不安げに見つめる。


「なんか昨日の夜から変じゃない? もしかして具合悪い?」


 そう言いながら、***は右手をエースのおでこに乗せた。


「船医さんに診てもらう?」

「……いや」

「じゃあ少し休もう?」

「……いい」


 ***の心配そうな視線が、たまらなくうれしい。


 遠慮がちに触れる小さな手が、泣きたくなるくらい気持ちがいい。


 もっと、おれのことだけ考えてほしい。


 おれのことだけ、見てほしい。


 こんなんじゃ、全然足りない。


 もっと、もっと、


「そうだ、マルコ隊長に見てもらおう?」

「……」

「マルコ隊長なら、きっと治して……わっ!」


 離れかけた***の手を乱暴に引いて、自分の方へ引き寄せた。


 数十センチ先に、目を見開いて息を止める***のカオ。


 かわいい、


 触りたい、


 そんなことダメだ、


 でもかわいい、


 触りたい、










 触りたい。










「エー」


 ***が自分の名前を紡ぐ寸前に、


 その唇を塞いだ。


 ***のおでこにテンガロンハットの鍔が当たって、エースの頭からずり落ちる。


***の匂いが近すぎて、頭の中がくらくらした。


 ゆっくりと、重なっていた唇を離すと、


 鳩が豆鉄砲食らったような、***のカオ。


 エースは罰が悪そうに深く下を向くと、絞り出すような声で言った。


「……おれ」

「……」

「あ、謝らねェからな」

「……」

「マルコマルコマルコマルコって」

「……」


 燃えるように熱くなったカオを上げると、抑えきれない感情のまま、正直な気持ちを吐き出した。


「……うるせェんだよ、バーカ!」


 ぽかんと口を開けっ放しにした***をそのままに、エースはずかずかと足音を立てて倉庫から立ち去った。


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