33

「聞いてくれ、おれは病気だ」

「そうか。あ、エース、このガーゼそこにしまってくれ」


 そう言うと、小太りな船医はエースに大量のガーゼを押し付けた。


「聞けよおい! ほんとなんだって! なんか変なんだよ!」

「ハイハイわかったわかった。今胃薬出してやるから」

「食いすぎじゃねェ!」


 くわっと目をつり上がらせると、船医はやれやれとでもいうように小さくため息をつく。


「おまえが病気なんてなるわけないだろう。現に今だってピンピンしてるじゃないか」

「身体じゃねェんだよ」

「? じゃあなんだ」


 船医が眉をひそめてそう問うと、エースはその大きな手のひらを胸のど真ん中へ置いた。


「……心の病気だ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……エース」

「なんだ」

「そこのピンセット取ってくれ」

「だから聞けっつーんだよ!」


 先程よりもすごい剣幕で噛み付くように言うと、これまた先程よりも大きなため息で返された。


「おまえが心の病気なんて、ますますあるわけないだろ」

「……」

「胸焼けでもしてるんじゃないか?」

「……おれだって、最初はそう思ったけどよ」


 小さくそう反論して、エースは傍らに置いてある椅子に腰掛けた。


「いつまで経ってもよくならねェし……」

「……」

「寝りゃ治ると思ったけど……時間が経つごとにどんどんひどくなってるみてェで」

「……」

「なんか……おれがおれじゃなくなってくみてェで」

「……」

「どうしたらいいか……わかんねェんだよ」


 ついに深く俯いてしまったエースに、船医は不安げに眉を寄せる。


(もしかして……ほんとにどこか悪いのか?)


 船医は一抹の不安を憶えて、エースに対面するように自分も腰を落ち着かせた。


「悪かったエース……ちゃんと聞いてやるから、症状を教えてくれ」


 カルテを取り出してそう優しげな声で問い掛けると、エースが戸惑いがちに口を開く。


「胸が、なんつーか……ぎゅうって痛くなったり」

「あァ……」

「突然心臓がでっかくなったり」

「あ、あァ……」

「吐き気がするくらいに胸ん中がもやもやしたり……」

「そ、そうか……」


(……いけない。これは本当に大病かもしれない)


 船医は、エースに悟られないよう動揺を押さえ付けながら、極力柔らかな声で聞いた。


「それは、どういう時に起こるんだ? エース」

「……」

「? エース?」

「……***」

「……***?」


 思わぬところで思わぬ名前が出てきて、船医は首を捻りながら眉を寄せた。


「***が笑うと、胸がぎゅうって痛くなって」

「……」

「***に突然触られたりすると、心臓が、こう、どかんって、いきなりでっかくなって」

「……」

「***が、その………マ、マルコと仲良く話してるの見ると、胸ん中がぐっちゃぐちゃになって、気持ち悪くなるんだ」


 身振り手振りで話すエースを、船医はあぜんとしながら見守った。


「なァ、これはなんなんだ? おれはやっぱりどこか悪いのか?」

「……」

「? どうした?」

「い、いや、まァその、なんだ……悪いといえば悪いし、悪くないといえば悪くな」

「頼む! 気なんか遣わねェで、はっきり言ってくれ!」

「い、いや、あのな、エース」

「おれ……! こんなっ……病気でなんて死にたくねェんだ! どうせ死ぬなら、オヤジのために戦って死にてェ!」

「お、落ち着けエース」

「頼むよ、なァ! この病気がなんなのか教えてくれ!」


 がたがたと船医の太い身体を揺さぶりながら、エースは必死になって訴える。


「あー……あのな、エース」

「お、おう……」

「確かにそれは、その……一種の病気だ」

「そっ、それでっ、治る方法は……!」

「……残念ながら、ない」

「な、治る方法が……ない?」


 船医のその宣告を聞いて、エースの手は船医の身体から滑り落ちる。


 この世の終わりのようにカオを真っ青にして、エースは深く項垂れた。


「だがな、エース」

「慰めならやめてくれ……」

「いや、そうじゃなくてな……そんなに心配しなくても、その病気は死なない」

「……へ? な、治らないのにか?」

「あァ、治りはしないが、命に関わる病気じゃない」

「ってことは……」

「まァ、うまく付き合っていくしかないってことだな」


 そう言いながら、船医はカルテには何も書きこまず、そのまま机の引き出しに戻した。


「その病気にはな、エース。いずれは誰もがかかる」

「そっ、そうなのかっ?」

「あァ、オヤジも経験済みだ」

「ええっ? オヤジもっ?」


 その思いもよらぬ真実に、エースは今年一番の衝撃を受ける。


「オヤジだって、それとうまく付き合ってきたんだ」

「……」

「おまえもできるな? エース」

「……わかった。……忙しいとこ悪かったな」


 そう呟くように言うと、エースは船医室を出ようと扉の方へ足を進めた。


「……エース!」


 突然、船医に呼び掛けられて、エースは足を止めた。


「なんだ?」

「あー、いや……その」

「?」


 なぜか口を噤んだ後、船医は穏やかな笑みを浮かべてこう続けた。


「***を、全力で守ってやれ」

「え?」

「何があっても。命を懸けてだ」

「……」

「***がいなくなる、その一秒前まで」

「……」

「おまえは、誰より***のことを想ってやるんだ」

「……」

「そしたら、おまえは」


 オヤジと似たようなカオして笑って、船医はエースにこう告げた。


「おまえは、今よりもっと強くなる」


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