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「聞いてくれ、おれは病気だ」
「そうか。あ、エース、このガーゼそこにしまってくれ」
そう言うと、小太りな船医はエースに大量のガーゼを押し付けた。
「聞けよおい! ほんとなんだって! なんか変なんだよ!」
「ハイハイわかったわかった。今胃薬出してやるから」
「食いすぎじゃねェ!」
くわっと目をつり上がらせると、船医はやれやれとでもいうように小さくため息をつく。
「おまえが病気なんてなるわけないだろう。現に今だってピンピンしてるじゃないか」
「身体じゃねェんだよ」
「? じゃあなんだ」
船医が眉をひそめてそう問うと、エースはその大きな手のひらを胸のど真ん中へ置いた。
「……心の病気だ」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……エース」
「なんだ」
「そこのピンセット取ってくれ」
「だから聞けっつーんだよ!」
先程よりもすごい剣幕で噛み付くように言うと、これまた先程よりも大きなため息で返された。
「おまえが心の病気なんて、ますますあるわけないだろ」
「……」
「胸焼けでもしてるんじゃないか?」
「……おれだって、最初はそう思ったけどよ」
小さくそう反論して、エースは傍らに置いてある椅子に腰掛けた。
「いつまで経ってもよくならねェし……」
「……」
「寝りゃ治ると思ったけど……時間が経つごとにどんどんひどくなってるみてェで」
「……」
「なんか……おれがおれじゃなくなってくみてェで」
「……」
「どうしたらいいか……わかんねェんだよ」
ついに深く俯いてしまったエースに、船医は不安げに眉を寄せる。
(もしかして……ほんとにどこか悪いのか?)
船医は一抹の不安を憶えて、エースに対面するように自分も腰を落ち着かせた。
「悪かったエース……ちゃんと聞いてやるから、症状を教えてくれ」
カルテを取り出してそう優しげな声で問い掛けると、エースが戸惑いがちに口を開く。
「胸が、なんつーか……ぎゅうって痛くなったり」
「あァ……」
「突然心臓がでっかくなったり」
「あ、あァ……」
「吐き気がするくらいに胸ん中がもやもやしたり……」
「そ、そうか……」
(……いけない。これは本当に大病かもしれない)
船医は、エースに悟られないよう動揺を押さえ付けながら、極力柔らかな声で聞いた。
「それは、どういう時に起こるんだ? エース」
「……」
「? エース?」
「……***」
「……***?」
思わぬところで思わぬ名前が出てきて、船医は首を捻りながら眉を寄せた。
「***が笑うと、胸がぎゅうって痛くなって」
「……」
「***に突然触られたりすると、心臓が、こう、どかんって、いきなりでっかくなって」
「……」
「***が、その………マ、マルコと仲良く話してるの見ると、胸ん中がぐっちゃぐちゃになって、気持ち悪くなるんだ」
身振り手振りで話すエースを、船医はあぜんとしながら見守った。
「なァ、これはなんなんだ? おれはやっぱりどこか悪いのか?」
「……」
「? どうした?」
「い、いや、まァその、なんだ……悪いといえば悪いし、悪くないといえば悪くな」
「頼む! 気なんか遣わねェで、はっきり言ってくれ!」
「い、いや、あのな、エース」
「おれ……! こんなっ……病気でなんて死にたくねェんだ! どうせ死ぬなら、オヤジのために戦って死にてェ!」
「お、落ち着けエース」
「頼むよ、なァ! この病気がなんなのか教えてくれ!」
がたがたと船医の太い身体を揺さぶりながら、エースは必死になって訴える。
「あー……あのな、エース」
「お、おう……」
「確かにそれは、その……一種の病気だ」
「そっ、それでっ、治る方法は……!」
「……残念ながら、ない」
「な、治る方法が……ない?」
船医のその宣告を聞いて、エースの手は船医の身体から滑り落ちる。
この世の終わりのようにカオを真っ青にして、エースは深く項垂れた。
「だがな、エース」
「慰めならやめてくれ……」
「いや、そうじゃなくてな……そんなに心配しなくても、その病気は死なない」
「……へ? な、治らないのにか?」
「あァ、治りはしないが、命に関わる病気じゃない」
「ってことは……」
「まァ、うまく付き合っていくしかないってことだな」
そう言いながら、船医はカルテには何も書きこまず、そのまま机の引き出しに戻した。
「その病気にはな、エース。いずれは誰もがかかる」
「そっ、そうなのかっ?」
「あァ、オヤジも経験済みだ」
「ええっ? オヤジもっ?」
その思いもよらぬ真実に、エースは今年一番の衝撃を受ける。
「オヤジだって、それとうまく付き合ってきたんだ」
「……」
「おまえもできるな? エース」
「……わかった。……忙しいとこ悪かったな」
そう呟くように言うと、エースは船医室を出ようと扉の方へ足を進めた。
「……エース!」
突然、船医に呼び掛けられて、エースは足を止めた。
「なんだ?」
「あー、いや……その」
「?」
なぜか口を噤んだ後、船医は穏やかな笑みを浮かべてこう続けた。
「***を、全力で守ってやれ」
「え?」
「何があっても。命を懸けてだ」
「……」
「***がいなくなる、その一秒前まで」
「……」
「おまえは、誰より***のことを想ってやるんだ」
「……」
「そしたら、おまえは」
オヤジと似たようなカオして笑って、船医はエースにこう告げた。
「おまえは、今よりもっと強くなる」[ 33/56 ][*prev] [next#]
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