29

「……」

「……」

「……」

「……」


 ……重い。


 どうしよう。沈黙が重すぎる。多分十トンくらいある。


 息の詰まりを感じながら、私はひたすら手元にある書類の山とにらめっこした。


 そんな私の隣には……


 ちらり、その方を見上げると……


 さっき見たときと、まったく同じ表情をして書類に目を通している、マルコ隊長。


 ……どうしよう。距離を縮めるチャンスだけど……。


 仕事の邪魔したらダメだよね。


 私は気付かれないくらいの小さなため息をついて、また書類に目線を戻した。


 白ひげ海賊団の船でお世話になって二日。


 サッチさんや、ハルタさん、イゾウさんにビスタさん、ジョズさん……


 他の船員の人たちやナースさんたちも、私を見掛けると気さくに話を掛けてくれる。


 それは、とてもうれしいことだった。


 エースが私の世界に来ていたとき、エースは皆の話をたくさんしてくれた。


 その話を聞きながら、エースの大切な家族に、私も会ってみたい、話をしてみたいと、密かに思っていた。


 叶うはずのないその願いに、あの時はちくちくと胸を痛めたけど……


 ……叶っちゃったもんなァ。


 そうなると、やっぱり少しでもエースの大切な人たちと仲良くなってから帰りたいと思ってしまって。


 人見知りな自分を忘れて、たくさんの人と話すようにしている。


 ……けど、


 私は、再びマルコ隊長を盗み見た。


マルコ隊長とは、一ミリも仲良くなれる気がしない……。


 勇気のない自分に落胆して、再び小さくため息をつこうとした時だった。


「……なんだよい」


 その声に弾かれたようにカオを上げると、怪訝そうに眉を寄せたマルコ隊長。


「はっ、はいっ?」

「さっきからジロジロ見てたろい」

「あ……い、いや、あの」

「言いてェことがあんなら、はっきり言え」


 明らかに不機嫌そうなマルコ隊長のそのオーラに、私は思わずたじろいでしまった。


「すっ、すみませんっ。あのっ……なんでも、ないです」

「……」


 ぎゅっと眉を寄せて、大きな目でぎろりと私を一睨みすると、マルコ隊長は席を立った。


「……終わったら呼びに来てくれい」

「はっ、はいっ」


 立ち上がって一礼をするが、マルコ隊長は振り返ることなくドアを閉めて出て行った。


「はー……」


 いっきに身体中の力が抜けて、私は椅子にもたれ掛かる。


『アイツああ見えて人見知りだから』


 ふと、昨日サッチさんにそう言われたことを思い出した。


「……ほんとですか、サッチさーん…」


 あの素敵なリーゼントを思い浮かべると、ぐう、と盛大にお腹が鳴る。


 そういえば今日もお昼食べてない……。


 昨日はサッチさんが私の分も取っておいてくれたけど、今日もあるかなァ……


「よしっ、これが終わったら行ってみよう」


 そう気合いを入れ直すと、私は再び書類の山とにらめっこした。





「お、来たな***ちゃん!」

「サッチさん」


 食堂へ行くと、サッチさんが白い歯を見せながら笑って私を出迎えてくれた。


「よかったァ、サッチさんがいてくれて……」

「んま! うれしいこと言ってくれるじゃないの!」

「へへ……あのー、あまりものでいいんですけど、なにかありますか?」


 申し訳なさげにそう尋ねると、サッチさんは待ってましたと言わんばかりに、どんっ、とテーブルの上にお盆を置いた。


「こんなにたくさん! いいんですか?」

「もっちろん! それ、***ちゃんのだから」


 そうにっこりと笑うサッチさんのカオを見て、じわじわと胸が暖まってくる。


「うう、ありがとうございます……」

「いいのよいいのよ。お礼はそのボディで返してくれれ」

「いただきます」

「……交わし方うまくなったね、***ちゅわん」


 大袈裟にさめざめと泣いて見せたサッチさんに、私は思わず笑ってしまった。


 サッチさんとはこんなに仲良くなれたのになァ。


 先ほどの、マルコ隊長との重苦しい空気を思い出して、小さくため息をついてしまう。


「大丈夫? ***ちゃん」

「えっ、あっ、はっ、はい。大丈」

「またまたァ」


 私の言葉をさえぎって、サッチさんは頬杖をつきながら困ったように笑った。


「この船では無理するのはなーし!」

「え?」

「特に、おれの前では、ね!」

「サッチさん……」

「女の子に無理させるのはおれのポリシーには合わないのよ。ポリシーに合わないことをさせるのってかわいそうでしょ?」

「は、はい……」

「だからおれのためを思って!」


 ね? と、柔らかく目を細めるサッチさんに、大人の余裕を感じる。


 すごいな。自分のことを理由にして、無理強いしないように悩みを聞こうとするなんて。


 サッチさんの海のような懐の深さに、私は痛く感銘を受けてしまった。


「ありがとうございます……サッチさんって、モテそうですね」

「それがさァ、全然モテねェの! かわいいレディはぜーんぶマルコとエースに持っていかれちまって!」

「それがほんとだとしたら、サッチさんが好きになる女性はみんな見る目がないです」

「ううっ、そんなうれしいこと言ってくれるのは***ちゃんだけ……!」


 大きな身体を小さくして、およよ、と泣く姿がなんともかわいらしくて、私は悩んでいたのも忘れて大きな声で笑ってしまった。


「んで? ***ちゃんのかわいいカオを曇らせてる原因はやっぱりマルコかな?」

「あ、いやっ。マルコ隊長が悪いとか、そういうんではなくて」

「ははっ、わかってるよ。アイツは不器用なやつだからさ。新人のナースちゃんたちも、よく泣かされてんの!」

「そうなんですか……」

「でも、めっちゃくちゃいいやつなのよ?」

「それはもちろんわかります。だって」

「だって?」


『パイナップルみてェな頭したやつもいてよ!』

『兄貴がいたらあんな感じなんだろうなァ』

『すっげェ頼りがいあってよ! あっ、マルコは不死鳥なんだぜ! めちゃくちゃ強くてかっこいいんだ!』


 私の世界で、エースがマルコ隊長の話をしているときのカオ。


 本当に、楽しそうだったから。


「へェ、エースがねェ……」


 そう呟くように口にしたサッチさんのカオは、どこか何かを懐かしむような、穏やかな表情だった。


「サッチさんのこともすっごく楽しそうに話してました。すぐ女に振られるけど、アイツはめちゃくちゃイイ男だって。あっ、『おれが女だったら絶対サッチに惚れる』って言ってましたよ」

「くそう! あとでエースをめちゃくちゃに抱きしめてやる!」

「あははっ」


 エースの気持ち、すごいわかるなァ。サッチさん、とってもステキな人だ。


「だから私、マルコ隊長とも、サッチさんみたいに仲良くなりたいなって」

「***ちゃん……」

「私はいつか……ここからいなくなっちゃうから」

「……」

「少しでも、エースの大切な人たちの記憶に残りたいんです」


 ……いつか、


 私が、この船から姿を消した時。


 たまにでいい、一日に、いや、一ヵ月に一回でもいいから、


 『あいつこんなことしてたな』って、『あいつとこんなこと話したんだ』って、


 みんなでそう、話してほしい。


「そしたら、この前みたいにエースが一人で殻に閉じこもることもないんじゃないかなって」

「……」

「なんかエース、すごく私のこと慕ってくれてるみたいなんですよね」

「……」

「そんな大したことしてないんですけど。あっ、エースって、もしかして、食べもので手懐けられちゃうタイプですか?」

「……」

「あははっ、そうかも。なんか最初に作ったチャーハンえらく気に入ってくれ」

「***ちゃん」


 その呼びかけにそっとカオを上げると、サッチさんが、柔らかく笑って私を見つめている。


 初めて見るそのカオが、とても、とても、暖かくて。思わず、泣いてしまいそうになった。


「ありがとう」

「………」

「エースを……おれたち家族を、そんなに愛してくれて」

「……」

「本当に、ありがとうな」


 ぽんぽん、と、大きくて暖かい手が、私の頭で二回跳ねる。


「そーんないじらしくてあったかい***ちゃんのこと、忘れようと思っても忘れられるわけないじゃないの!」

「サ、サッチさん……」

「***ちゃんは今までおれが出会った中で、いっちばんイイ女!」


 そう言っていたずらっこのように笑うサッチさんを見て、なんだかエースに似てるな、なんて思ってしまった。


 血のつながりなんてなくても、やっぱり、家族なんだなァ。


「よーし!」


 すると突然、サッチさんがそう大きな声を上げる。


「本当は言うなって、すっげェしつこく言われてたんだけどさァ」

「え?」

「そういうことなら、もう教えちゃう!」

「な、なにをですか?」


 ひひひ、と笑いながら、サッチさんは私の食べているご飯を指さしながら言った。


「実はね……」





 息を切らしながら、必死であの特徴的なヘアスタイルを探す。


 途中途中で隊員さんたちに聞きながら、やっとのことでその後ろ姿を捉えると、私は大きな声でその人の名を呼んだ。


「マルコ隊長っ」


 私のその呼びかけに、マルコ隊長は驚いたように振り返った。


「なんだよい、でっけェ声出して」

「次は何をしたらいいですかっ?」

「あ?」


 怪訝そうに眉を寄せたマルコ隊長に、私は不気味なくらいに笑いながらそう訊ねた。


「あ……あァ、じゃあ次は甲板のモップ掛けでも頼もうかねい」

「はいっ。わかりましたっ」


 元気よく一礼をして、不思議そうに首を傾げるマルコ隊長の元から去る。


「あ……マルコ隊長!」

「……なんだよい」


 踵を返してそう呼びかけると、マルコ隊長は先ほどと同じく不機嫌そうなカオを私に向けた。


「唐揚げ定食、おいしかったです」

「……は」

「私が宴でお肉ばっかり食べてたのちゃんと見ててくれて、ありがとうございました」

「!」


 そう告げると、首まで真っ赤っかにしながら、マルコ隊長は「サッチのやろうっ」と、悔しそうに呟いた。


「くっ、くだらねェこといってねェで、さっさと片付けてこい!」

「はーい」

「はいを伸ばすなよい!」

「はいっ」


 不気味に笑いながらそう返す私に、マルコ隊長は罰が悪そうにがしがしと頭を掻いて、ずかずかと大きな足音を鳴らしながら去ろうとした、


その時、


「さっさと終わらせねェと、夕飯は抜きだからねい……


……***」

「……!」


 名前、初めて……!


「はっ、はいっ」


 うれしさを前面に出しながらそう答えると、マルコ隊長は一言、「変な女」と、意地悪そうに笑って去って行った。


 ……エース。


 私、わかったよ。


 エースが、どうしてあんなに、太陽みたいに笑っていられるのか。


 マルコ隊長の大きな背中を見送りながら、私はそんなことを思って、また不気味に笑ってしまった。


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