28
初めての朝の食堂は、それはそれは賑かなものだった。
朝からお酒をオーダーされたもんだから、思わず「えええっ」と叫んだら皆に笑われた。
「***ちゃん、昨日はよく眠れた?」
私の隣で一緒に朝食を配ってくれていたサッチさんが、爽やかに笑ってそう問い掛ける。
今日もリーゼントが素晴らしい。
「あ、はい。意外と大丈夫でした」
「ほんとにィ? さすがにぐっすりとまではいかなかっただろ? よしっ、おれからマルコに言って、今日休ませてもらうように頼んであげるよ!」
かわいい***ちゃんに無理させたくねェからな! と付け足して、サッチさんは白い歯をニカリと見せた。
「あははっ、ありがとうございます。でも、お気持ちだけ頂きます」
「ええ? でもなァ……」
「せっかくの海賊生活、寝ちゃうのもったいないです。それに、今日の夜はきっと、昨日の分もぐっすり眠れると思うので……」
「ううっ……! なんて健気なんだ***ちゃん……! よし、今夜はおれが添い寝して」
「おはよう、***!」
その爽やかな声がしたのと同時に、サッチさんが「いてェ!」と叫びながらよろめいた。
「ああっ、サッチさんっ」
「***、そんなやつ放っておけ」
サッチさんに駆け寄ろうとしたその身体を、すごい勢いでその犯人に引かれる。
「もうエース! どうしてサッチさんにばっかり……」
「サッチが悪ィ!」
「おれは悪くねェ! おれを惑わせる***ちゃんが悪いんだ!」
「ええっ、私っ?」
昨日と同じような小競り合いを繰り広げていると、後ろから激しい衝撃を受けた。
「***ちゃん! おっはよー!」
「ぎゃあっ」
腰の辺りに圧迫感を感じながらやっとのことで振り返ると、そこにはハルタさんがいた。
「あははっ、ぎゃあだって! かわいくない!」
「ああっ、ハルタ! 抱きつくんじゃねェ!」
「か、かわいくない……」
ハルタさんの爽やかなダメ出しにショックを受けつつ、ああでもないこうでもないと一通り騒いだ後、皆で朝食を食べ始めた。
他愛もない会話を楽しんでいると、海賊船に似つかわしくない柔らかな声が二つ、耳に届く。
「あら、おはよう。***ちゃん!」
「あっ、おはようございます」
朝一番だというのに美しさが眩しすぎるエースの恋人(私の中ではなんかもうそうなってる)ともう一人のナースさん。
二人は私たちの近くの椅子を引くと、優雅に腰掛けた。
ただ椅子に座るだけなのに、このセクシーな雰囲気はどこから出てくるんだろう。
「エース隊長! 昨日はどうもごちそうさま!」
そう言って、エースの恋人(私の中ではなんかもう以下略)は、エースに向かってかわいらしくウィンクをする。
その言葉を聞いて、昨日のナースさんたちの会話を思い出した私は、人知れずあたふたとした。
「おー、眠れたか?」
「おかげさまで朝までぐっすり! ね?」
「ふふっ。えェ」
そう言って、意味ありげに笑い合う。
よく見ると、二人の首には紅い痕がぽつぽつと散っていた。
恥ずかしいやら見たくないやらで、私は慌てて目をそらした。
「なァなァ! 今夜はおれと三人でどう?」
サッチさんが身を乗り出して、二人にそう訊ねる。
「もう、やめてよ。朝からそんなフケンゼンな話」
ハルタさんが、口を尖らせて他の皆に訴える。
「なに言ってんだハルタ。いいか? 男と女がセックスするっつーのは、愛と愛がぶつかり合うそれはそれは健全な」
「はいはい、わかったわかった」
サッチさんの熱い講義に両手の平を上げて、ハルタさんはあきれたように言った。
「ったく、なーんでエースばっかりモテるかなァ」
「そりゃイイカラダしてるもの」
「おれだってイイカラダよ?」
「体力で言ったらエースには敵わないんじゃない? サッチおじちゃん!」
「ハルタ、おまえ! かわいいカオしてっ」
「ね? そうなんでしょ? ***ちゃん!」
「……はい?」
極力会話を聞かないようにとオムライスに気をとられていたため、返答が鈍った。
『そう思うでしょ、***ちゃん』ならまだしも、『そうなんでしょ、***ちゃん』はおかしい。
私はあんぐりと口を開けて、ハルタさんを見つめた。
「エースとするのって、そんなにキモチイイの?」
「……へ」
「***ちゃんの世界の人とは、やっぱり違う?」
「……」
にこにことそんなことを口にしたハルタさんにあぜんしながら、私は思わずエースを見た。
火花が散るように目が合うと、同時に真っ赤になる私とエースのカオ。
「いっ、いやいやいやいや……! わっ、わっ、わっ、私は知りませんっ」
「おれと***はそんなことしてねェ!」
二人であたふたしながら、叫ぶようにしてお互い否定する。
「はァっ? 嘘だろっ?」
サッチさんが、心底びっくりしたようにエースを見た。
「そうなのよ、私も昨日***ちゃんから聞いてびっくり!」
「おまえっ、じゃああっちでどうしてたんだっ? 全身下半身でできてるおまえが!」
「***の前で変なこと言うな!」
ますますカオを真っ赤にしたエースが、噛みつくようにそう怒鳴る。
「すごいね、奇跡だね! 三日もセックス我慢できないエースが!」
ハルタさんが、楽しそうにけらけらと笑いながらそう言った。
「そっ、そんな場合じゃなかったんだよっ」
「ほんとかよォ? とかなんとかいいながら、***ちゃんの寝込み襲ったりとかしてねェだろうなァ?」
「!」
そんなバカな。さすがの私もそんなことされてれば気付きます、サッチさん。
「んなっ、んなわけねェだろ! ねっ、ねっ、ねっ、寝込み襲うなんて、さっ、最低なことっ、だっ、だれがっ」
そのサッチさんの糾弾に、エースは過剰なまでに反応する。
「怪しいなァ、おまえ。その焦りよう。さてはおまえ」
「ちげェ! してねェ! ***には手出してねェ! おれが手出したのはっ」
「え?」
そこまで言って、エースはとっさに口を覆った。しまった、というようにそろりと私のカオを窺う。
「***ちゃん、『には』?」
「『おれが手出したのは』?」
サッチさんとハルタさんが、興味深げに身を乗り出した。
「エース隊長、あちらでそういうお相手、いたんですか?」
「あ、いや、だ、だから」
そんなはずは……だって、あっちの世界で私以外にエースと知り合いになるような人は、女性はおろか男性もいないはずだ。
「……やっぱりおまえ、***ちゃんの寝込みを」
「違う! 図書館で会った女とヤったんだよっ」
勢いに任せてそう叫ぶように言ったエースに、私は目をまるくした。
図書館の女って……まさか、あの?
それは、エースが帰れる方法について、何かヒントはないかと図書館へ訪れた時のこと。
エースの様子を窺ったとき、近くにモデルさんのような女性が座っていた。
思わず、女の私でも見惚れてしまったのを覚えている。
「なんだよ、ナンパかよ」
「言っとくが、あっちから声掛けて来たんだからな」
「エースって異世界でもモテちゃうんだね! すごい!」
……。
そ、そっか。私の知らないところで、そんなことが。
確かに、エースの好みのタイプっぽかったもんな。
細い身体とか、出るとこ出てるとことか。
ふ、ふうん。そうだったんだ。へェ……。
じわじわと沸き上がってくる黒い感情に耐えきれなくなって、私は深く俯いた。
「***、あ、あのさ」
エースが、私に向かってしどろもどろにそう口にした、その時、
「……おい」
その独特な気だるい声に、私は勢いよくその方へ振り返る。
「食事は終わったかい」
「マっ、マルコ隊長っ」
私はその姿を見ると、慌てて立ち上がった。
「おっ、おはようございます。終わりましたっ」
「そうかい、なら来てくれ。今日は書類整理を頼みてェ」
「はいっ」
テンション高めにそう答えた私に、マルコ隊長は少し不審げに眉を潜めた後、すたすたと歩き出した。
「では皆さん、お先しますね」
「頑張ってね! ***ちゃん!」
「無理しないようにな!」
「ありがとうございます」
頭を下げて立ち去ろうとした時、
……ん?
ぐいっ、となにかに手を引っ張られる感覚がした。
その先を見ると……
「……エース?」
エースがなぜか、私の手首をがっしりと掴んでいる。
「***、ちょっと……」
そう言うと、エースは食堂の端に私を連れていった。
「どうしたの? エース」
「あ、いや、あの……さっきのことだけど」
「さっき?」
「だから、あの……図書館の」
「あ、ああ。うん。……それがどうしたの?」
エースは俯いたまま、私の手首を掴んでいる手に力を込めた。
「その……ごめん」
「……へ?」
思いもよらぬエースの謝罪に、なんとも素っ頓狂な声を出してしまった。
「どうして謝るの?」
「いや、その……***が働いてる時に、そんなことしちまって」
エースは、とても申し訳なさそうに眉を寄せる。
確かに、私が働いてるとき以外はエースと一緒にいたから、その、そういうことをするのは、私が働いてる時しかない。
「世話になっといて、その……なんつーか」
「ああ、いいよ。そんなこと謝らなくて」
私のその言葉に、エースは微かに目をまるくした。
「素敵な人だったもんね」
「……」
「男の子だったら、誰でも惹かれちゃうよ。」
「……」
「気にしない気にしない」
悪いことをして怒られた子どものようにしゅんとなってるエースを見て、なんだかかわいいなと思ってしまう。
それを見て、黒になりかけていた心が、少しだけ薄れていくのを感じた。
よしよし、と、そのくせのある黒髪を撫でる。
「じゃあ、行ってくるね!」
「あ、あァ……」
エースの手が私の手首からおずおずと離れて、なんだか少し名残惜しく思いながら、未だ不安げなエースを尻目に、私はその場をあとにした。[ 28/56 ][*prev] [next#]
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