27

 荒く乱れた息をそのままに、ベッドを軋ませて、エースは立ち上がった。


 散乱した下着やTシャツの中から、自分の物を拾い上げる。


「ん……どこか行くの? エース隊長」


 情事後の気だるさを引きずりながら、女が着替え始めたエースにそう問い掛けた。


「あァ、ちょっとな」

「なァんだ、つまんない。今日は朝まで楽しむつもりだったのに……」


 ベッドの上で頬杖をつきながら、女は唇を尖らせた。


「相変わらずタフだな、おまえ」


 困ったように笑いながら、エースはベルトを回した。


「エース隊長がいつまでも放っておくから体力が有り余っちゃってたのよ」

「ははっ、そうかよ」


 エースは腰を屈めると、女の額にキスを落とした。


「今日はおれのベッド使えよ」

「でも」

「どっちみち三人はキツいだろ」


 エースのその言葉に、女は自分の隣で眠っているもう一人の女に目をやった。


「失神させちゃって……かわいそうに」

「そんなの、いつものことだろ」

「そういえばそうだったわね」


 エースは、眠っている女にも同じようにキスをした。


「まったく……あっちにもこっちにも、ふらふらふらふら……私、海賊は絶対好きにならないわ」


 その光景を見ながら、あきれたようにそう言う。


「海賊船専属ナースがよく言うぜ。おまえだって一人の男じゃ満足しねェくせに」

「ふふっ、まァね。でも」


 楽しそうに笑った後、宙を一点に見つめて、呟くようにこう口にした。


「そんなに素敵なものなのかしら?」

「何がだ?」

「『恋』よ」

「『こい』?」


 その、自分には縁もゆかりもない単語に、エースは訝しげに眉を寄せる。


「ただ一人だけを愛して、求めて……その人とだけ、身体を繋げて。それで本当に満足できるのかしら?」

「なんだよ、いきなりそんなこと……」

「このあいだ、一人ナースが下船したでしょう?」

「あァ、そういえば……」

「あのコ、あの時停泊した村人に『恋』したのよ。だから、船を下りたの」

「へェ、そうだったのか」


 さして、興味もなさげにエースはそう答えた。


「あのコ、とても幸せそうなカオしてた。もともと綺麗なコだったけど、『恋をした』って語るあの表情は、とてもキラキラしてて、今までで一番綺麗に見えたわ」

「ふうん……」


 『こい』、ねェ。


 サッチが年がら年中してる『あれ』か。


 その度にサッチは喜んだり哀しんだり浮かれたり泣きわめいたり……


 すげェ面倒くせェもんだなって思ったのを覚えてる。


「もしかして、うらやましいとか思ってんのか? おまえが?」

「なによォ、失礼ね」

「ははっ、悪ィ。でもまァ……」

「え? ……きゃっ」


 再びベッドに女の両手首を縫い付けて、エースは深く口付けた。


 しばらく舌を絡め合ってから、エースは上目遣いで女の瞳を見つめる。


 女の身体の芯が疼いた。


「恋なんてすんなよ……この身体、味わえなくなるのは惜しい」


 そう言って、エースは女の首に痕を付けた。


「放っておいたくせに、勝手な人ね」

「それでも、おれが好きだろ」

「……ええ、好きよ」


 そう言いながら、女はエースのベルトに手を掛ける。


「この身体が、ね」


 色っぽく下から見上げられて、エースは口の端を上げた。


「口でして」


 エースのその依頼に、女は承諾の笑みを浮かべると、エースのベルトを外した。


 快楽に溺れながら、エースはぼんやりと考える。


 『恋』なんて、別にしなくていい。


 一人だけで満足なんて、到底できるわけがないのだから。


 キスの返し方も、感じるところも、喘ぎ声も。


 それぞれ違うから、楽しめるのに。


 たった一つだけなんて、退屈すぎる。


 一つの場所に留まれないようなおれたち海賊には、こういう方が合ってる。


 その結論に至ったエースは、再び行為に神経を戻した。





 コンコン。


「……」


 コンコン。


「……」


 やっぱり。さすがに寝ちまってるか……。


 エースはその場に深く項垂れた。


「もっと早く切り上げるんだった……」


『夜聞くから!』


 昼に言われた***のその言葉が、エースの脳裏に再び浮かぶ。


「もう朝方だしなァ……」


 窓の外がうっすら白んでいるのを見て、エースは小さくため息をついた。


 ……あきらめるか。明日……いや、もう今日だけど。


 今日こそ何も予定入れないで、***とゆっくり、


『どちらさま、ですか……?』


 そんなことを考えていると、扉の向こうからおそるおそるそう問い掛ける***の声がした。


「! ……***! おれだ! エー」


 言い終わるより早く、勢いよく開く扉。


「エース」


 ***はエースの姿を見て、弾むようにその名を呼んだ。


「悪いな、こんな時間に……」

「ううん、大丈夫。あ、入る?」

「いいか?」

「うん」


 ***はうれしそうにそう答えると、エースを中へと招き入れた。


 そんな***の様子を見て、エースの頬も自然と緩む。


 見ると、机の上に本が広げられていて、すぐ近くに置いてあるランタンに火が灯っていた。


「……***、もしかして起きてたのか?」

「ははっ、うん。なんだか興奮して眠れなくて……」


 そう困ったように笑いながら、***はベッドに腰掛けた。


 エースもそれに倣うように、***の隣に座る。


「……」

「……」


 な、なんだ。なんか、あれだ。


 ……そわそわする。


 薄暗い時分に、***と二人きり。


 その状況に、エースはなぜか落ち着かない気持ちになった。


「あー……ごめんな、来るの遅くなっちまって」

「ん? あァ、大丈夫だよ。私こそ勝手に夜とか言ってごめんね。エースも忙しいのに……」

「いや、おれは別に……」

「そ、そっか」

「あ、あァ」

「……」

「……」


 ……なんだ?


 なんだか、うまく話せねェ。


 そもそも、***のカオがうまく見れない。すげェ見てェのに。


「……あっ、そうだ」


 そんな居たたまれない空気を壊したのは、***だった。


「忘れないうちに返すね」

「? 何をだ?」


 エースのその問いに答えることなく、***はベッドから離れると、バッグをごそごそと漁った。


「あった。はい、これ」

「……!」


 戻ってきた***の手に握られているそれを見て、エースは目をまるくする。


「持ってきてくれたのか」

「うん……っていうより、これがなかったら私、ここに来られなかったの」

「……どういうことだ?」


 眉を寄せたエースに、***はこちらに来たときの状況と、そこから導きだした仮説を話した。


「つまり、エースは私の世界のもの、私はエースの世界のものを持ってたから、こんなことになったんじゃないかなって」

「なるほどな……」

「あとは、光」

「光? ……あ」


 ***の世界に行った時と、こっちへ戻った時。


 異様なほどに眩しく光を放つあの光景が、エースの脳裏に蘇る。


「***もやっぱりあれ見たのか?」

「うん。最初はガラスの反射かなって思ったんだけど……」

「そうか……おれと同じだな」


 その世界で存在した『物』と、あの『光』。


 その二つが合わさることで、この不思議な現象が起きることは、どうやら明白だった。


 ……っていうことは、


 また、あの『光』が現れたとき、


 その時に……***は、


「……付けてあげる! これ」

「へ?」


 ***のその言葉で、エースの思考が途切れる。


「確かこの辺に……あ、あった」


 そう言って、バッグの中からコンパクトサイズの裁縫セットを取り出す。


「約束だったもんね」

「……そういや、そうだったな」


 果たされるはずのなかった約束。


 それを思うと、エースの胸は、掴まれたように痛くなる。


 ***が、エースに向き合うように座って、エースの胸元にぶら下がる紐に手を伸ばした。


 ち、近ェな……。


 ……あの日も、そんなふうに思ったっけ。


 エースは、気付かれないように***を見つめた。


「……おれは」

「ん?」


 ***は、エースを見ないまま、手を動かしながら答える。


「おれは、守れなかったな……約束」

「え?」


 ***は、そう言われて初めて手を止めてカオを上げた。


「あ、いや……迎えに行くって言っただろ? あの日」

「……ああ」


『大丈夫だ。まだ、帰らねェから』


「ははっ。あれかァ。仕方ないよ、あの場合は……」

「……それでも、悪かった」

「……」

「……待っただろ?」

「……」


 ***は、ゆっくりと首を振る。


「待ってないよ。エース、疲れてぐーすか寝てるんじゃないかと思ったから、すぐ家に帰ったの」

「……ははっ、そうか。ならよかった」


 安堵したように笑うエースに、***も同じように笑い返した。


 再び手を動かし始めた***に、エースは困ったように笑う。


 バカだな。


 おれに気遣って、


 嘘なんてついて。


「……もし」

「ん?」


 ***が、手を動かしながら、ぼそりと口にする。


「もし、私が……エースみたいに、突然いなくなっても」

「……」

「心配しないでね」

「……」

「探さなくても、いいからね」

「……」

「……ね? エース」

「……あァ、わかったよ」


 やっとの思いでそう返事をしたエースに、***は柔らかくほほえんだ。


「できた!」

「おお! ありがとう、***」

「いいえ、どういたしまして」


 笑ってそう返事をすると、***は裁縫セットをバッグに戻すために立ち上がった。


 その後ろ姿を、エースはぼんやりと見つめる。


 ……信じらんねェな。


 こんなに、近くにいるのに。


 今だって、手を伸ばせば触れられるのに。


 いつか、また、会えなくなるなんて。


 それを思うと、息がうまくできなくなる。


 『寂しい』なんて、そんな言葉じゃ全然足りない。


 『恋』が、どんなもんかなんて、そんなことよりも、


 ***に感じる、この気持ちはなんなのか。


 そっちのほうが、遥かに知りたい。


「……***」

「ん?」

「おれが必ず、帰してやるから」

「……」

「だから、心配すんな!」


 そう言って、エースはいつものように笑った。


「……うん、ありがとう」


 そんなエースに、***も目を細めて笑い返す。


 外に目を向けると、新しい朝を告げる一筋の光。


 エースは、それをぼんやりと見つめながら、


 あと何回、***と同じ朝を迎えられるだろう。


 そんなことを、考えていた。


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