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……いない。
エース、いないんだけど。
周りを見回しても、あの目立つオレンジのテンガロンハットはどこにもない。
まっすぐ行って突き当たりって言ってたよね、マルコさん。もしかして道間違えた? まっすぐ行って突き当たるだけなのに?
だとしたら救いようのない方向音痴だ。このグランドラインで私くらいだろう、こんな方向音痴は。
どうしよう。ここだと思ったのに……。
私はまた深く項垂れてしまった。
困ったな。
さっきまでのテンションがみるみるうちに下がっていく。
考えてみたら、今はエース忙しいよね、きっと。
先程の、部屋に辿り着くまでのことを思い出した。
やっぱり、後にしよう。エースの状況も考えなきゃ。
……とりあえず戻るか。
そう思い直し、くるりと踵を返す。
……。
……私、どこから来たっけ。
今までの経路を思い出そうと頭をひねるも、まったく思い出せない。
それ以前に部屋のドアがすべて同じだから、どの部屋が自分の部屋かわからない。
私は大きくため息をついた。
いいや、どうせ暇だったんだし。ゆっくり歩きながら、モビーディック号を探検しよう。
お、なんか楽しくなってきた。いいぞいいぞ。
私は先程とは打って変わって、のんびりと歩いていった。
しっかし、広いな。人も多いし。何人くらいいるんだろう。
あとでエースに聞いて
そこまで考えた時だった。
「……ん?」
ぼそぼそと話す、男女の声が耳に届く。
小さくて聞き取りにくいけど……この声……。
私は小走りでその方向へと向かった。
死角になっていて見えなかったそこにカオを少しだけ覗かせると……。
「あ」
いた! エースだ! やっと会えた!
「エース!」
そう呼び掛けようとして、口の形が「エ」のまま、止まる。
目の前の光景に、思わず固まってしまった。
一緒にいる綺麗な女性と、エースの唇が重なっている。
思わず、身体を引いた。
心臓が、大きな音を立て始める。
これは、小走りしてきたせいなんかじゃない。
しばらくしてから、ドアを開ける音と閉める音が立て続けに聞こえた。
そおっとまた覗き込むと、そこにもう二人はいない。
よく見ると、二人がいたすぐ傍に、ドアがある。
……部屋に入ったんだ。二人で。
そう思った瞬間、カオが熱を持った。
部屋の中で行われているであろう行為を、想像してしまったから。
私は放心したまま、元来た道を引き返して行った。
*
コンコン。
「……」
反応がない。そのことを確認した私はそっとドアノブを回して、そろそろと中を窺った。
「……あ」
部屋の片隅に置かれた自分のバッグを目にして、ようやくほっと息をつく。
「やっと着いた……」
部屋に入ると、吸い込まれるようにベッドへダイブした。
「疲れた……」
行くときも時間かかったけど、帰るときの方が時間かかった。3倍かかったもん、多分。
「いい暇潰しになったな」
はははっ、とわ渇いた自分の笑い声が耳に届く。
目を閉じると、さっきの光景が、まぶたの裏に蘇る。
……いたんだ。エース。恋人。こっちの世界に。
それはそうだよね。あんなにカッコ良くて素敵な人なんだから。
胸が締めつけられるように痛い。
綺麗な人だったな。エース、ああいう人が好きなんだ。
私とは、全然正反対だ。
「告白……する前で良かった」
言う前に失恋もちょっと切ないものがあるけど。
……そうか。失恋したのか、私。
まさか異世界に来て早々失恋するとは。
多分、世界中探しても私一人だろうな、そんな不運な人は。
それに、考えてみたら、告白したところで、どうなったっていうんだろう。
ずっと一緒にいられるなら、『付き合って』とか言えるけど。
私とエースは、ずっと一緒には、いられない。
さっきよりも強い痛みが胸に走って、私は強く拳を握った。
言わなくて、良かった。エースだって、きっと困る。
恋人がいるのに、他の女にそんなこと言われたって。
ましてや、いつかいなくなるような女に。
「バカだな、私……」
エースの困ったカオは見たくないって、ずっとそう思ってたのに。
エースにまた会えて、浮かれすぎちゃった。
遠くにいても、近くにいても、
私たちの距離は、変わらない。
私たちはまた、離れ離れになる。
涙がじわりと出そうになって、私は強く頬をつねった。
泣かないって、約束した。オヤジさんと。
約束破ったら、ここにいられなくなる。
そう思ったら、ますますつねる手に力がこもる。
しばらくのあいだ、私は溢れてきそうなそれと格闘していた。[ 16/56 ][*prev] [next#]
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