11
あの日から、おれの時計は、止まったままだ。
一ヶ月程前。
「よォ、エース!」
「……サッチ」
「聞いたかよ! このあいだ停泊した村から連れてきたナースちゃんの話! そりゃもうかわいいのなんのって」
「サッチ」
「おっ! おまえも目つけてたか! でもダメだぞ! あの子はおれが先に」
「悪ィ……一人にしてくれ」
「……」
あァ、悪かった、と呟くように言って、サッチはすごすごとエースの元を立ち去った。
それを遠目で見ていたマルコが、小さくため息をつく。
一体、どうしちまったのかねい。
突如、行方をくらましたエースがモビーに戻って来たのは、つい先日のこと。
それこそ血眼になってエースを捜索していた自分たちの喜びをよそに、エースはなぜかやりきれない表情を浮かべていた。
それからというもの、エースは話をかけても上の空。ぼんやりと、海を見つめることが多くなった。
そんなエースの様子に、他の隊長や隊員たちはただただ困惑するばかり。
『放っておけと言うのだから放っておけ』と、オヤジはいつもの通り豪快に笑った。
これじゃあ他の隊員に示しがつかねェよい。
マルコ自身、そうは思っていても、あんなエースの様子を見ていると、どうも咎められない。
なす術なく、マルコは肩を落としたサッチと共に船内へと戻っていった。
*
迷惑かけちまってるな。
エースはそんな自分に嫌悪して、手すりに頭を凭れた。
分かってる。こんなことしてても、どうにもならないことくらい。
でも。
『エース、今日は何が食べたい?』
***……。
エースは、水平線を見つめた。
何も言わずに、別れてしまった。
『ありがとう』も『さよなら』も。
伝えたかったこと、何一つ言えなかった。
「今頃怒ってるだろうな、***……」
約束、守れなかった。
迎えに行くって、そう言ったのに。
おれがいなくて、どう思ったんだろう。
***のことだから、ずっと、
ずっとあそこで、おれを待っていたんだろうな。
そんな***を思い浮かべると、エースの胸がずくりと軋んだ。
……忘れろ。忘れるんだ。
今更もう、どうしようもない。
どんなに思っても、もう。
***には、会えないんだ。
分かってる。分かってるのに。
エースは、ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。
もうどれほど、自分にそう言い聞かせているんだろう。
頭ではわかっているのに、心がついていかない。
心は、まだ。
あの場所から、離れられないでいる。
*
「おれの恩人?」
「あァ、女らしい。心当たりねェかよい」
傘下である海賊船から、そんな連絡があったらしい。
「女の、恩人……」
『エース』
あの柔らかい声を思い出して、エースはふるふると首を振った。
いい加減にしろ。あるはずねェだろ、そんなこと。
「エース、大丈夫かよい」
「あ、あァ、すまねェ」
「それがどうもその女、妙なことを言ってて」
「悪い、マルコ。興味がねェんだ。会えってんなら会うよ」
「あ、おい……! エース! ……ったく」
その背中を見送りながら、マルコは小さくため息をついた。
*
「島が見えたぞー!」
見張り台からのその叫びに、船員たちが浮足立った。
「酒酒酒っ!」
「女女女っ!」
思っていたよりも大きなその島に皆興奮し、それぞれの目的へと勇んで向かっていった。
そんな船員たちに苦笑いを浮かべながら、エースは島を見渡した。
「まだあっちは着いてねェみたいだな」
「あァ、さっき連絡があったよい。今日襲撃にあったせいで少し遅れてくるみてェだ」
「襲撃? 大丈夫だったのか?」
「あァ、問題ねェよい」
「そうか……」
息をついたところに、遠慮がちに自分を呼ぶ声がした。
「エ、エースくん?」
「サッチ。なんだよ気持ち悪ィな」
「今日これから、島に酒でも飲みに行かないかなーなんて」
「……」
「あっ、いっ、嫌ならいいんだぜっ? 別に無理にとはっ」
「行くよ」
「……へ?」
「マルコも行かねェか?」
「あァ、いいよい」
安心したような二人の表情を見て、エースは胸が暖かくなった。
「悪かった、二人とも。……もう、大丈夫だから」
いつものように笑うと、マルコは少し困ったように眉を上げて笑う。
サッチはというと、うっすら涙を浮かべて、「エース……」とか呟いている。
「何があったか、いつか聞かせろよい」
「……あァ、必ず」
そんなやりとりをしながら、エースたちも島へと向かった。
*
「エース隊長!」
マルコやサッチ、他の隊員たちと一緒に酒を酌み交わしていたところ、一人の女がエースに話しかけてきた。
「あっ! おい、エース! この子だぞ! このあいだ村から連れてきた……!」
「あァ、例のナースか」
なるほど。確かにかわいい。サッチが騒ぐだけある。
「おれになんか用か?」
「あっ、あのっ、私っ、村にいたときからずっとエース隊長のファンで……! ずっと憧れてました……!」
カオを赤らめて、身体を震わせながらそう言った。
「そっ、そんな……! 嘘だろっ? 嘘だと言ってっ」
「サッチ、うるせェよい」
「そんな……狙ってたのに……」と、サッチはがっくりと肩を落とした。
「そうなのか、それはありがとうな」
「いっ、いえっ、そんなっ。それでっ、あのっ」
「?」
言いにくそうに口を噤んだ後、その真っ赤なカオを近付けてきた。
「これから……エース隊長の部屋に行ってもいいですかっ?」
「え……あー」
エースは、自分に好意を寄せる女は相手にしない。
本気になられても、答えられないからだ。
……でも。
「……いいぜ、行こう」
「……!」
エースは席を立つと、サッチに「悪いな」と笑って店をあとにした。[ 11/56 ][*prev] [next#]
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