その紳士、ニセモノにつき-Sanji-
世の中には、頑張ればなんとかなりそうな恋と、そうでないものがある。
後者のような恋をしているときだって、それ相応の楽しみ方があるわけで…
食事をしながら、私はチラリ、またチラリとそちらを盗み見た。
数人のかわいらしい女の子と談笑している、このお店のコックさん。
……………はぁ、
今日もカッコいいな。
食事の手を止めることなく、内心そんなことを考える。
紳士的なコックさんのお料理に心を奪われ、常連になってかれこれ1年。
いつのまにやら私は、コックさんにも心を奪われてしまっていた。
女の子大好きなやさしい紳士は、その綺麗な見た目も手伝って、それはそれはモっテモテで。
なかには売れっ子モデルさんや綺麗なタレントさんもいたりする。
でも、コックさんは相手がどんなひとであろうと、女の子を区別することはない。
……………ほら、いまも。
バチリと目が合うと、コックさんはフワリと笑って私の方へ歩いてきた。
「***ちゃん、食い終わった?」
「あ、う、うん。ごちそうさまでした、サンジくん。」
「じゃあデザートもってくるよ。」
「あ、ありがとう…」
「どういたしまして、プリンセス。」
そう言って、うやうやしくおじぎをすると、厨房へと歩いていった。
先程までかわいらしい表情を浮かべていた女の子たちは、皆ギロリと私を睨みつけている。
こ、こわい。
慌てて目を逸らすと、厨房にいるサンジくんをバレないように見つめた。
……………好きだなぁ。
叶わなくても、
こうして見てるだけで、しあわせだ。
私はそんなことを思いながら、ワインを口にした。
―…‥
お会計をしようと席を立つと、いつのまにかお客さんは私ひとりだった。
い、いけない…!
つい長居しちゃった…!
時計を見ると、閉店時間を少しオーバーしていた。
お店には、私とサンジくんしかいない。
「ご、ごめんねサンジくん…!時間よく見てなかった…!」
「そんなこといいんだよ。もう少しゆっくりしてもらってもかまわないし。」
「う、ううん、大丈夫…!」
お金を出そうと、慌てて財布を開けたら…
「あっ…!」
ジャラジャラと中身を床に落としてしまった。
「わわっ…!ごっ、ごめんなさい…!」
はっ…!恥ずかしいっ…!
「***ちゃん、そんなに慌てなくても大丈夫だよ。」
クスクスと笑いながら、サンジくんはお金を拾うのを手伝ってくれる。
すると、しゃがんだ拍子に、サンジくんの着ているシャツがはだけた。
程よく筋肉のついた胸が見える。
わっ…
な、なんか…
サンジくん、やらしい…
……………ってバカ…!
変態オヤジか、私は…
ぐるぐるとそんなことを考えていると、なんだか目眩がしてきた。
の、のみすぎちゃったかな…
カオも心なしか火照ってるし…
その時、お金を拾っていたサンジくんの手が、ふと私の手に触れた。
ドクン、とひとつ、胸が大きく高鳴る。
「あ、悪ィ。***ちゃ…」
「あ…」
カオを上げたサンジくんと、至近距離で目が合った。
その距離があまりにも近くて、息をするのを忘れてしまう。
「あ……………の、」
ど、どうしよう…
な、なにか言わなきゃ…
なにか、
「…***ちゃん、なんか、……………カオ、エロい。」
「……………え?」
「もしかして、………誘ってる?」
そう言いながら、綺麗な指を私の唇にスルリと滑らせる。
な…
なにが起こってるの…?
くらくらして、うまく思考が働かない。
サンジくんが、射抜くように私をまっすぐみつめている。
どうしよう…こんなの…
……………こんな…
「……………さ、……………誘ってるって言ったら、……………誘われて、……………くれる?」
「…………………。」
……………おねがい。
誘われて。
誘われてよ、サンジくん。
見てるだけでしあわせなんて、
そんなの、うそなの。
私、ほんとは…
ほんとは…
サンジくんは、答えるかわりに私にキスをした。
それがしだいに深みを増していく。
はじめて触れる、サンジくんの逞しい身体が、
柔らかい舌が、
甘くて、つやっぽい視線が、
私のなかの理性や、思考をすべて溶かしてしまって、
そのまま、私は甘い夜に引きずりこまれていった―…‥
―…‥
淡い装飾に、甘い香り。
街中には、至るところに「バレンタイン」の文字。
……………ついに、きた。
きてしまったよ、この日が。
あの甘い夜から、10日。
なんとなく恥ずかしさもあって、サンジくんのお店には行けないでいた。
…………………けど、
私は、バッグの中に忍ばせた小さな箱に目をやった。
いつもおいしいお料理食べさせてもらってるし…
不自然じゃないよね、うん。
一度そういうコトしたからって、自惚れてるワケじゃないけど…
少しずつ、
少しずつ、サンジくんに近づきたい。
そう、思えるようになったから。
よし、頑張れ私!
大好きなお店が見えてきて、私は頬をペシンと叩く。
……………すると、
突然、お店のドアが開いて、中からサンジくんと綺麗な女のひとが出てきた。
私は、思わず足を止めた。
「サンジ、今日私たちが泊まるホテル…どこかわかってるわよね?」
「あァ、わかってるよ。おれが予約しといたんだから。」
「ふふっ…それもそうね。」
そう綺麗に笑うと、その女性はサンジくんのネクタイへ手を伸ばした。
「付き合ってはじめてのバレンタインだから、素敵な夜にしたいの。」
「おれもそう思ってるよ。」
「ありがとう、サンジ。大好きよ。」
そう言って、その女性はサンジくんの頬へ、ひとつキスを贈った。
「…………………。」
私はくるりと身を翻すと、歩いてきた道を戻っていった。
―…‥
小さな公園にあるベンチに座ると、私はバッグの中のそれを出した。
バリバリと乱暴にラッピングを剥がすと、ふたを開けてチョコをひとつ、口に放る。
「あ、おいしい。」
ふたつ、みっつ、パクパク食べていくと、いつのまにか涙が溢れていた。
「…っ、」
……………サンジくんがつくったデザートのほうが、
おいしい。
「……………バカ…」
サンジくんの、バカ…
あんなに綺麗な恋人がいるのに、
浮気するなんて、サイテー…
よかった。
そんなひとだったんだって知ったら、嫌いになれるし。
……………嫌い、に…
『***ちゃん、今日のデザートは***ちゃんが好きそうなもんにしてみたよ。』
「サンっ…ジくっ…、」
……………バカは、私だ。
それでも、私は、
その紳士、ニセモノにつき
まだ、あなたがほしい。
2月29日。
あの日以来、私はサンジくんのお店を訪れるのをやめた。
いままでみたいに笑える自信がない。
でも、恨んでるとかそんな気持ちはまったくなくて…
私は、空を見上げた。
……………サンジくん、元気かな。
サンジくんのつくった料理、食べたいな…
会いたいと、いまだに疼いてしまうこの感情が恨めしい。
いつか、
いつか、ふっ切ることができて、
サンジくんのしあわせを、心から願えるようになるのかな。
そしたらまた、サンジくんに会えるかな。
そんなことを考えながら、再び歩き出そうとしたときだった。
突然、視界にはいったそのひとを見て、時間が止まる。
私が進もうとしたその道の先に、
……………サンジくんがいる。
「…………………。」
サンジくんは、私を見つけるとゆっくりと歩いてきた。
その足が、ピタリと私の目の前で止まる。
「……………久しぶりだね、***ちゃん。」
「え、あ、う、うん…久しぶり…」
私は、動揺を悟られないように地面に視線を落としながら答えた。
「……………最近、店こないね。」
「あ……………え、と……………あ、あの、」
しどろもどろになって、うまい言い訳がなにも出てこない。
私が黙っていると、サンジくんが小さく呟いた。
「やっぱり………おれ、あそばれただけだった?」
「…………………………は?」
な、
え、
あ、あそばれた…?
「な、なに言って…」
「だってそうだろ?あの夜から、店こなくなるなんて。」
「そっ、それは………だって…!」
なに、言ってるの…?
あそばれたのは、私でしょ…?
「***ちゃんがそうだったとしても……………おれは……………好きだから、抱いた。」
「…………………え?」
…………………い、
いま、なんて…
「***ちゃんが好きだから………だから、抱いたんだ。」
……………うそ、でしょ…?
これは………夢…?
サンジくんが…
私を…
「………早く伝えたかったけど………もしフラれたら、***ちゃん、店こなくなっちまうかもしれねェって………そう思ったら、言えなくて…」
「…………………。」
「だから、あの夜………はじめて***ちゃんに触れられて………おれ、うれしくて…」
「…………………。」
「……………すげェ、しあわせだって………そう思って…」
ポツリ、ポツリと呟くように言いながら、サンジくんは苦しげに眉を寄せる。
その表情が、いつも紳士的なサンジくんとは思えないほど、余裕がなくて。
私の胸はどうしようもなく、きゅうっと泣いた。
「……………頼むよ、***ちゃん…」
「……………サン…ジく、」
「一度抱いたら………もう戻れねェ。」
そう言うと、サンジくんは乱暴に私を抱き寄せた。
「……………おれを……………好きになれよ。」
……………しぼりだしたようなその声が、
なんだか、泣いてるみたいに聞こえて。
『じゃあ、あの綺麗な女のひとはだれなの』とか、
『いつから、私を好きだったの』とか、
……………『私も、あなたが好き』、とか…
聞きたいことも、言いたいことも、たくさんあったけど…
とりあえず、いまは衝動の赴くまま。
私は、その小さく震える身体を力いっぱい抱きしめた。
その紳士、ニセモノにつき
バレンタインの夜?あァ、うちの常連さんだよ。あの店で出会った男と付き合うことになって、バレンタインにケーキつくって持ってきてほしいって頼まれてたんだ。
そ、そうだったんだ…(はやとちりだった…!私のバカ…!)
***ちゃんのチョコ、食いそこねちまったから………今日***ちゃんを食いてェな。
…!!んなっ…!!くっ…食いっ…!!
言っとくけど、あんなんじゃ全然足りねェよ?放置した責任とってくれよな、プリンセス。[ 1/4 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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