恋人以上、恋人未満 1/3

「北極よ」

「いいや、南極だ」

「私も船長さんに一票!」

「でも、イメージ的には北極よねェ?」


 ある日の昼下がり。


 洗濯物を干しに甲板へ出れば、賑やかしい声が聞こえてきた。


 ホッキョク、ナンキョク、ホッキョク、ホッキョクが、四人分の声で甲板を行ったり来たりする。


 ちなみに一つは男性の声、三つは女性の声である。


 ――またかい。


 心の中で呟きながら、洗濯カゴを床に置く。一枚目のシーツを干そうと拾い上げたところで、「おおい!」と声がやってきた。


「***! ちょっと来てくれ!」


 呼ばれたので見てみると、我が赤髪海賊団船長、シャンクス船長が、私に向かって大きく手招きしていた。


 拾い上げたシーツをカゴへ戻して、私はその船長命令に素直に従った。


「どうしました? 船長」


 未だ手招きをしながら、船長は私の手首を掴んでその傍らへ座らせた。


「おう、大変なんだ。北極と南極なんだけどよ、どっちが寒いと思う?」

「船長、お酒召し上がりました? くさいです」

「おれはな、南極だと思うんだよ。でもコイツらがよ」

「北極よォ!」

「だって、北ってなんだか寒そうだもの」


 あぐらをかいた船長の左右の太ももには、桃のようなかわいいお尻が二つ乗っている。


 ちなみにあと一人は、船長のふくらはぎを枕代わりにして寝そべっていた。


 我が船長が、小娘たちに椅子のように扱われている。その光景に、大人げなくも眉がしかめてしまった。


「なァ、***はどっちの味方だ?」


 そんな一船員の気持ちを知ってか知らずか、船長はのんきな口調で尚も繰り返した。


「味方も何も……真実はいつも一つなので」

「なんだよその答え! 探偵か!」


 まったくおもしろくもないのに、私以外の全員が手を叩いて笑い転げた。


 ついに口から、小さくため息がもれた。


「もうすぐ上陸なので、お酒控えて下さいね」


 そう言い残して、私は立ち上がった。


 去る背中に、「おおい! 北極と南極はっ?」と、覆い被さってくる。


「その質問、ここ一週間でもう三回目です」


 そう答えると、四人はきょとんと目をまるくした後、再び手を叩いて笑いこけた。





 上陸して数日が経ったある日。


 買い物目的で町をぶらついていると、茂みの中に赤い髪の後頭部を見つけた。


 大きな体に似つかわしくないコソコソとした雰囲気に、さすがに私も興味が沸く。


 そおっと背後に近付いて行って、「わっ」とベタに驚かせば、船長は「うおっ」と肩を跳ね上げた。


「こんなところにしゃがみ込んで、何されてるんですか? 船長」

「おまっ、シーッ……!」


 口元に人差し指を立てて、船長は私を茂みの方へ誘い込んだ。


「? 海軍でもいるんですか?」

「ちげェよ。もっとおもしろいもんだ」


 ほれほれ、と言わんばかりに、船長はにやつきながらある方向へ親指を向けた。


「あれって……副船長?」


 町の中を、副船長が歩いていた。


 いつものくわえ煙草。左手に持った袋からはネギの頭がはみ出していて、中身が食料品らしいと知る。


 そしてその右隣には、まばゆいばかりの美しい女性がいた。


 どう控えめに言っても二人は恋人同士のようで、彼女の細い指は副船長の腕に掛けられている。


 副船長の目は、船内で見るそれとは正反対の角度をしていた。


「なっ? おもしれェだろ?」

「……」


 嘘でしょ。ショック。


 思わず、心の中で本心がもれた。


 そう、ショックだった。


 あの。あの泣く子も黙る赤髪海賊団の副船長ともあろうお方が、袋からはみ出たネギを持っていることもあんな甘ったるい空気を醸しだしていることも十分ショックではあるけれど。


 何より私は、その隣にいる女性の年齢層に、大きなショックを受けた。


 ……若い。相当若いぞ、あれは。


 さすがに十代ではなさそうだけど、二十代半ば……もしかしたら、前半くらいかもしれない。


 勝手な、本当に勝手な思い込みなのだが、副船長はなんとなく、本人に近い年齢層の女性を選ぶと思っていた。


 船長と違って女性関係に浮つきもないし、海賊にしては地に足のついた考え方をする人だったから。


 いや何も、若い女性と恋仲になるのが悪いとか思っているわけじゃない。恋愛に年の差なんて関係ないし、私より若い子を毛嫌いしているわけでもない。もちろん、副船長に恋心もない。


 ただ、本当になんとなく。ちょっと。いや、かなり。ショックだっただけだ。


「副船長も、やっぱり若い女性がお好きなんですね……」

「"も"? "も"ってなんだよ」


 怪訝そうなカオをした船長に、私はあからさまなあきれ顔を作った。


「……いつもご自分より一回り以上も若い子に手を出してるのは、どこのどなたですか」

「……」

「……」

「……おれのことかっ?」

「他に誰がいるんです」


 よっこらせっ、と、私は立ち上がった。膝の関節がみしっと音を立てて、なんだか尚更ショックを受ける。


 船長も、私に続いて立ち上がった。


「手を出すって、人聞き悪いな」

「副船長、彼女を乗船させるおつもりでしょうか?」

「いや、それはないだろう」

「そうなんですか?」

「アイツが停泊した町で女作るのは何度かあったが、一度たりとも乗船の相談を持ちかけられたことはない」

「……それは、知らなかったです」


 十五年も一緒にいるのに。ほんと、知らなかった。


 愛にも、いろんな形があるもんな……。


 ふと、そんなふうに感慨深く思って、数歩前を歩く赤い髪を盗み見る。


 ……叶えるつもりのない片想いを、十五年間もしている女も、ここにいるわけだし。


 すると、船長が振り向きそうになったので、私はとっさに、「さて」と声を上げた。


「私は町に戻りますね」

「まだ買い物あるのか? 付き合うぞ」

「私物の買い物なので、大丈夫です。ありがとうございます」

「そうか」

「船長も、拾い食いなんてしちゃダメですよ。まっすぐ大人しく、船に帰ってくださいね」

「犬かおれはっ! しねェよ! 拾い食いなんて!」

「この前、拾ったキノコ食べて死にかけたの、どこのどなたですか」

「……」

「……」

「……おれだな」

「そうですね」


 そんなことを話しながら、船長とは町の中心部で別れた。




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