外科医と患者Aの攻防

「てめェ……………いい加減にしろよ…」


額に思いっきり青筋を立てながら、ロー先生は唸るようにそう言って私を睨み付けた。


「こんなことがなぜできねェ…楽にしてやるって言ってんだろうが…あァ?」

「ひっ、ひいっ、あなたほんとに医者ですかっ、」


ロー先生の右手に握られた、おどろおどろしい『それ』を、私は涙目で見つめる。


「そっ、そんなものをっ、いっ、5日間も腕に刺しておくなんてっ、できるわけっ、ないっ、ないじゃないですかっ、」

「できるかできねェかじゃねェ、……………やるんだよ。」

「いいいいいやあああああ…!!」


そのおっそろしい一言に、私は首を大きく横に振って泣き喚いた。


あっ、あんなぶっとい針がっ、私の腕に刺さってっ、


しかも、……………5日間もそのままなんて…!!


「死んじゃうよおおおおおいおいおいっ、」

「……………いっそ殺してやろうか。」


ぼそり、とても医者とは思えない台詞を、ロー先生は面倒くさそうに呟く。


「べっ、別の方法はありませんかっ、それをしなくてもいいっ、別の方法がっ、」

「……………ある。」

「!!ほっ、ほんとですか…!!」


パァっと、希望に満ちた光を放ちながら、私は神様にでも縋るようなまなざしでロー先生を見つめた。


すると、ロー先生はおもむろに私の耳元に唇を近付けると、その『別の方法』とやらを耳打ちする。


その距離に、ちょっとときめいてしまったのは内緒だ。


なにはともあれ、耳元で囁かれたその悪魔の言葉に、先程の嬉しさはどこへやら。


希望の光が満ちるどころか、サァっ、と、いっきに血の気が引いていった。


「分かったか。つまりはこの方法が一番楽なんだよ。」

「…………………。」

「分かったらさっさと腕出しやがれ、バカ。」

「…………………。」


…………………なんてこった…


この方法がレベル1だなんて…


私に残された道は、もうそれしかないなんて…


こんなの、私に死ねと言ってるようなもの…


絶望に打ちひしがれて、はらはらと涙を流していると、ロー先生が大きな溜め息をついた。


「…………………悪かったな。」

「……………え?」

「おまえの気持ちも考えずに、おれのものさしだけで話したりして。」

「ロ、ロー先生…」

「でもな、***、」


深く俯いていたカオをゆっくりと上げて、ロー先生は困ったように眉を寄せた。


何年かロー先生の元に通っているけど、こんな弱気な表情は初めてだ。


思わず、胸がきゅうっと泣く。


「おまえが苦しんでる姿は、もう見たくねェんだよ…」

「…………………。」

「日に日に弱っていくおまえを見てると、飯も喉を通らねェ。」

「…………………。」

「おまえとおれの関係は、ただの患者と医者だ。」

「…………………。」

「だが、そんなに短ェ付き合いじゃねェだろ。」

「…………………。」

「おれは、」


おまえには早くよくなって、また笑ってほしい。


そう小さく呟くように言って、ロー先生はまた深く俯いてしまった。


「…………………。」

「でも、まァいい。無理にとは、」

「やります。」


ロー先生の言葉を遮って、私ははっきりとそう告げた。


「私、やります!」

「…………………。」

「ロー先生のこと、信じてるから。」

「…………………。」

「だから、」

「…………………。」

「……………困らせたりして、ごめんなさい…」

「***…」


だから、そんなカオしないでよ、先生…


早くよくなって、必ず、


いつもの笑顔を、届けるから…


「そうか、……………よく決心したな。」

「ロー先生のおかげです!ありがとうございます!」

「見直したぜ。」

「ロ、ロー先生…!」


感激した私の腕を、そっと優しく引いて、ロー先生はすぐとなりのベッドへと誘導した。


「大丈夫だ、おれがついてる。」

「はっ、はははははっ、はいっ…!」

「ベポ、消毒。」

「アイアイ!」

「針。」

「アイアイ!」

「縄。」

「アイアイ!」


ああ…


やっぱり少し、……………いや、すっごく怖い。


でも、


……………ロー先生なら。


ロー先生になら、私…


すべてを任せられる。


だから、怖がらなくたっていいんだ。


ロー先生がついていてくれるなら、


あんな注射針と縄なんて、


全っ然、怖くな、


………………………。


………………………。


………………………。


…………………ん?


「せ、先生?な、縄ってなにに使うんですか?」


怖いくらい穏やかな表情を浮かべたロー先生にそう問い掛けると、ロー先生は、ニタリ、口の端を上げた。


そのあまりの恐ろしさに、私は、ひっ、と小さく声を上げる。


「……………決まってんだろ?てめェがこの5日間、暴れださねェようにするためだ。」

「…………………え、」


そうこうしているあいだに、やたらおっきな看護師さんによって私の身体はぐるぐる巻きにされた。


「ったく…てめェほど面倒な患者はいねェ。こんなことでいつまでも泣き喚きやがって…」

「ちょっ…!!ちょっとまってロー先生っ…!!さっ、さっきのしおらしさはいずこっ、」

「あんなの、嘘に決まってんだろ。」

「!!そっ、そんなっ、」

「待たせたな、おまえの出番だ…」


そう囁くように言って、ロー先生はこの世のものとは思えない太い針を、うっとりと見つめた。


「気を楽にしろ、***。」

「いっ、いやっ、」

「じきに楽になる。」

「まっ、まって、まって…!!」

「心配するな。この5日間、おれがずっとそばにいてやる。……………そのドMヅラ、そうそう拝めるもんじゃねェからなァ…」


ギラリ、ロー先生の瞳と、注射針の先が妖しく光ると、私の目の前は真っ暗になった。


「楽しもうぜ、……………***…」

「!!ぎいいいいいやあああああ…!!」


もう二度と、ロー先生のことは信じない。


そう強く心に誓って、私は遥か遠くへ意識を手放した。


外科医と患者の攻防


さっさとよくなれ、バーカ。


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