航海中、後悔

「あ。」

「……………あら。」

「…………………。」










「……………しつれいいたしました。」


ぱたり。


丁寧にお辞儀をして、その扉をゆっくりと閉めた。


………………………。


……………あれ。


なんだいまの。


えーっと、とりあえず、あれだ。


ほら、あれあれ。


あの、ほら、あれだよ。


…………………なんだっけ。


動揺をごまかすように別のことを考えようとしても、頭の中を支配しているのはつい今しがた目の当たりにしたあの光景だ。


どんっ…!


「おっと、なんだ***か。そんなに早歩きでどうしたんだ。」


ぐるぐると頭を回転させながら足早に歩いていたせいで、誰かとぶつかってしまった。


「……………ペンギン。」

「どうした***、カオが蒼いぞ。」

「ペンギン、わたし、……………わたしっ、今っ…!今っ!!」

「動揺しすぎだ。落ち着け。」


これが落ち着いていられますか!


「キャ、キャプテンがっ、キャプテンのっ、……………けっ、けっ、けっ、けつっ…!!」

「船長のケツ?見たのか?」


ちがう!


そんな生易しいものじゃない!


キャプテンのお尻を見ただけならどれほどいいか!


むしろごちそうさまでした!


「キャプテンのっ、けっ、けっ、けっ、……………けつごうぶぶんをっ、見てしまいました…」

「……………なんで平仮名。」


生々しいからだよ!


漢字にしちゃったらなんか生々しいでしょうが!


「まったく、……………なんだってそんなタイミングで船長室に行くんだ。」

「だって、キャプテンに呼ばれてたんだもん…」

「呼ばれてた?まったく、あの人は…」


そう呆れたように口にしながら、ペンギンは大きく溜め息をついた。


まだおっぱじめる前とかならまだしも…


まさかっ、あんなっ、あんなっ…


……………まさにつながってるところを見ちゃうなんてっ…!!


他人のそんなシーンに遭遇するだけでもショックなのに…


…………………まさか好きな人のそれを見てしまうなんて…


神様、私なにかいけないことしましたでしょうか。


ガチャ。


「……………あ。」

「あら、あなたさっきの…」


一人深く項垂れていたら、まさにそのけつごう相手が船長室から出てきた。


「おたくの船長さん、おいしかったわ。」


ごちそうさま、とそのけつごう相手は妖艶に私に耳打ちして去っていった。


思わず、「いえ、おそまつさまでした」と答えた。


その後ろ姿を呆然と見送る。


……………いいな、あの人。


さっきまで、キャプテンに触られてたんだ。


あの細い綺麗な指で。


見てたんだ。


私が見たことのないような、キャプテンの表情を。


……………わかってる。


キャプテンがそういうことをするのは、今日が初めてじゃない。


街に着けば必ず夜街に出て、明け方帰ってくる。


……………きつい香水の匂いと一緒に。


私にだって、なにをしてきたかなんてわかってた。


それでも、相手の女の人に会ったことはなかったから。


小さい嫉妬心を少しだけ燃やして、ちょっとだけ泣けばあとは笑っていられた。


……………なのに…


…………………ひどいよ、


ただ好きなだけなのに、


どうしてこんなつらい気持ちにさせるの。


気づいたら、ぽろぽろと涙が頬を伝っていた。


「………***…」

「っ、ペンギンっ、私もう無理だよ、……………わたしっ、わたしっ、ここでっ、ふねっ、……………おりるっ、」

「……………何言ってるんだ。少し落ち着け。」


なだめるような柔らかい声で囁きながら、優しい手つきペンギンは私の頭をなでる。


…………………その時、


「……………おい。」


その声に、思わず身体がびくりと揺れた。


「触るなペンギン。…………………***、来い。」


その言葉の直後、バタンっと乱暴に閉められたドアの音。


え、来いって言われた?今。


え、やなんだけどやなんだけど。


行かなきゃダメ?


そんな視線をペンギンに向けたら、「行け」と目で言われた。


そんな!


あんまりだ!


見捨てないでペンギン!


助けてよペンギン!


心の友ペンギン!


目で言ってみた。


伝わらなかった。


―…‥


コンコン…


「失礼します…」


涙の跡をきちんと拭いて、いざ戦場へ。


恐い。


マジ恐い。


怒ってんでしょ、そうなんでしょ。


イイトコじゃましたから怒ってんでしょ。


バラバラにされるのを覚悟で、キャプテンの前に立った。


「お、お呼びでしょうか…」

「……………あァ…」


……………こえーっ!!


めっちゃこわいっ!!


なんですかその間!


いっそ一思いにやってくれ!


恐怖に慄きながら、心の中で悶え始めた時だった。


「…………………どう思った。」

「……………はい?」

「だから、どう思ったか聞いてる。」


キャプテンのその問い掛けの意図が分からなくて、思わず返答に詰まる。


えーっと…


どう思ったかって…


え、さっきのあれ?


まさかさっきのあれのこと聞いてんのこの人。


え、バカじゃないの。


なに言わせたいのこの人。


「どうなんだよ、さっさと答えろ。」

「…………………。」

「…………………。」

「……………うちのキャプテンモッテモテって思いました。」

「…………………。」


……………言えないよ。


ほんとの気持ちを言ったら、船を下ろされてしまうかもしれない。


どんなに傷ついても、


やっぱりこの人のそばを離れるなんて、私にはできない。


大丈夫。


……………ちゃんと笑えてるよね。


「てめェ、……………いい加減にしろよ…」


その恐ろしくひっくい声に、え?とカオを上げたときには、もうすでに手を引かれていた。


「!!…やっ!!キャプテっ…!!」


乱暴にベッドに投げ出されて、キャプテンに両手首を拘束される。


夢にまで見たその状況に、不謹慎にも胸がときめいてしまった。


「抱いてた。ついさっきまで。あの女を、このベッドで。」

「っ、」

「触ってた。……………この手で。」

「っ、……………やっ!!」


頬を触れられそうになって、とっさにキャプテンの手を払う。


「何が嫌なんだよ。」

「っ、」

「答えろよ、……………***。」


綺麗な藍の瞳が、見透かすように私を捕らえる。


「……………や、ですっ、さわらないでっ、」

「…………………。」

「……………ほかの人にさわった手でっ、私にさわらないでっ、」

「……………***…」

「っ、やですっ、キャプテンっ、他の人にっ、……………さわらないでくださっ、」


あぁ、もう…


終わりだ。


溢れて、止まらない。


「……………キャプテン、……………すき、」


消え入りそうな、小さな小さな声で告げた。


最後の最後だというのに、なんて私は弱いのだろう。


「……………やっと聞けた。」


そう弱々しい声で呟くと、キャプテンは私の首筋にぽすんとカオを落とした。


「それが聞きたくて、何回抱きたくもねェ女抱いたと思ってる…」

「………………え?」

「あからさまに香水の匂い漂わせても、明け方帰っても、キスマーク付けてきても……………いつもいつもへらへらへらへらしやがって…」


……………ど、どういうこと?


「でも、……………さすがに今日のは効いたみたいだなァ。……………これで満足だ。」


にたりと口角を上げて、涙でぐちゃぐちゃになった私の頬をそっとなでる。


「このカオが見たかった。」


その表情を見て、嫌な予感がした。


まさか…


まさかっ…!!


「わっ、私を試したんですかっ…!?」

「おまえがいつまでも意地張ってるのが悪い。」


その意地の悪い笑顔が憎たらしくて、愛しくて、また涙が込み上げてくる。


「ひっ、ひどいっ…!いっぱい傷付いたのにっ、」

「あァ、それはざまぁねェな。そうやっておまえはいつもおれのことだけで心を乱してればいい。」


そう言って、キャプテンは唇に触れるだけのキスをした。


……………とんでもない人につかまってしまったかもしれない。


航海中、後悔


キャプテン、すみません。もう一度いろいろ考え直していいですか。


却下だ。


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