すれ違いラバーズ 2/2-ラブレター、とんでった続編-

「ほんと、やってらんねェよ」


 ある日の昼休み。購買部でパンを買ってから、教室へ戻ろうと、屋上への階段前を通り過ぎようとした時だった。階段の上の方から、そんな言葉が聞こえてきた。


 この声――エースくん?


 条件反射で足が止まる。しかも、声色がどことなく不穏な感じだったので、思わず聞き耳を立ててしまった。


「まァ、そう言うなよ。エース」

「そうだよい。しょうがねェだろ? 本人がそうしたいって言うんだから」


 どうやら、エースくんの他に、二人の男性が一緒にいるらしい。声から察するに、エースくんが仲良くしている先輩、マルコさんとサッチさんのようだ。(エースくんの交友関係は概ね把握済み)


「けどよォ、放課後デートに行くにも、いちいち待ち合わせなんだぜ? 同じ学校なのに」


 エースくんのその一言が、私の心臓をひやっとさせた。


 これ――私の話だ。


 背中に冷たい汗が垂れる。こんな、嫌気が差したような言い方じゃなかったら、うれしいところなのに。


「まァ、おまえは目立つからなァ。いい意味でも悪い意味でも」


 サッチさんの声がそう言う。


「……だったらなんだよ」

「苦手なんだろい。ああいうタイプは。一緒に目立ったりするのが」


 エースくんのふてくされたような言葉に、マルコさんがそう返した。


「そうかもしれねェけどさァ……ああっ、もうっ」


 少しの沈黙の後、小さな、本当に小さな声で、こう続いた。


「このままじゃ、無理かも……」


 それを聞いた瞬間、私の胸には、稲妻が刺してくるような衝撃が走った。


 失意のうちに、私はふらふらと教室へと帰っていった。





 無理 とは――理を欠くこと。道理に反すること。(グー○ル先生参照)


 つまり、エースくんにとって、私と付き合っていることは、道理に反しているということで――。


 そのことについて考えすぎて、ますますややこしくなって、頭の中でこんがらがる。


 つまりエースくんは、私と付き合っていくのが無理って……そう思ってるんだ、きっと。


 胸の奥が、ずうんと重くなる。


 そんな……せっかく両思いになれたのに……。


 もしかして、私に何もしてこないのも、もうすぐ別れるかもしれないから、っていう理由からなんだろうか……。別れるかもしれない人に、無責任なことはできないって……。


「ど、どうしよう……ありえすぎる……」


 これは、早急に対策をしなければ。でも、おいしい食べ物のお店のリサーチしか能のない私が、一体何をすれば――。


「おおい、***ー」


 一人ぶつぶつと呟きながら廊下を歩いていると、私を呼ぶ間延びした声が聞こえてきた。


 見ると、シャンクス先生が、私に向かって手を振って歩いてきている。


 ちなみに、シャンクス先生は私の担任の先生だ。


「は、はい。なんでしょう……」

「悪いんだが、これ三組の教室の教卓に置いててくれねェか?」


 そう言いながら先生は、私にプリントの束を手渡した。


 三組、という言葉にぎくりとする。――エースくんのクラスだ。


「職員室に忘れ物しちまって」

「は、はい。わかりました」

「悪ィな。頼んだ」


 シャンクス先生が右手を上げて去ろうとすると、通りがかった女子の群れの一人が「先生ェ、私が持っていくよォ」と、鼻にかかった声を出した。


「おまえらこれから体育だろ。ほれ、さっさと行け」

「えー、じゃあ、今度デートしてねー!」

「何が、じゃあ、なんだよ」


 あきれたようなシャンクス先生の言葉に、女の子たちがきゃあきゃあと小鳥のような声を上げて、走り去っていった。


 ……この学校って、どうして生徒から先生から、かっこいい人ばっかりなんだろうか。


 そんなことを考えながら、私は三組の教室へと向かった。





 休み時間終了まで十分を残した教室内は、賑やかだった。


 エースくん、いませんように……。


 そんなことを祈りながら、開きっぱなしになっている教室の出入り口から、そろおっと中を覗く。


 しかし、残念ながら祈り届かず、エースくんは窓際後方の自分の席に座って(席の位置調査済み)、ローくんや女の子たちに囲まれながらおしゃべりをしていた。


 そして、その中には、エースくんが昔好きだったであろう、朝帰りした女の子もいる。女の子たちが噂していた通り、あの子はまだエースくんのことが好きなのかもしれない。


 は、華やか……。


 エースくんを取り囲むキラキラオーラに、思わず圧倒される。ああいうのを、今巷で話題の『スクールカースト上位』というのかもしれない。エースくんはそういう表現、絶対嫌いだと思うけど。


 私は気配を消して、教卓へ向かった。


 プリントを置いて、そそくさと立ち去ろうとする。


 すると、


「やだー、エースくんおもしろーい」


 と、柔らかな鈴の音のような声が聞こえてきた。


 ちらりと後ろを振り返ると、あの女の子がエースくんの腕に触れて、笑っている。


 エースくんも、それに笑い返していた。


 ……エースくん、あの子に心が戻っちゃったのかな。だから、私とは無理かもって、そう思ったのかな。


 どう見ても、彼女との方がお似合いだし……。あんなに美人だったら、エースくんの隣だって、きっと堂々と歩ける――


 そんなふうに考えて、はっと気付く。私、いつからこんなに、卑屈なこと考えるようになったんだろう。付き合い始めの頃は、ただ浮かれてばかりいられたのに。


 これ以上ここにいると、ますます陰鬱としてきてしまいそうだ。


 一刻も早く立ち去りたくなって、私は勢いよく出入り口の方へ振り返った。


 その時――。


 ガンッ――!


 そんな凄まじい音と共に、鼻っ柱に激痛が走る。


 どうやら、勢いよく振り返りすぎて、引き戸にぶつかってしまったようだ。


 思わず、鼻を抑えてうずくまる。近くにいた女の子が、「大丈夫っ?」と駆け寄ってきてくれた。


 見えてはいないが、私のせいで教室内がざわついている。


 羞恥心から、身体中が熱くなった。


「大変……! 血が出てるよっ」

「保健室行ける?」

「私ついて行くよ」


 親切な三組の生徒たちが、次々と駆けつけてきてくれる。


 手が、鼻血で真っ赤になっていた。


「だっ、大丈夫……! 一人で行け――」


 立ち上がろうとした、その時――身体が、たくましい腕に支えられる。


 驚いて見上げると、エースくんが冷や汗を垂らして私を見下ろしていた。


「***! 大丈夫かっ?」

「エっ、エースく――」

「保健室行こうっ」


 私よりも慌てながら、エースくんが私を抱きかかえようとする。


 私はそれを、とっさに止めた。


「だっ、大丈夫だから! ほんと!」

「……」

「たかが鼻血だしっ」


 エースくんの真っ白な制服を汚してしまいそう――とっさにそう考えて、腕を押し退けた。


 エースくんはなぜか、ぐっと歯を食いしばって、長いまつげを伏せた。


「***……おれ……」

「え?」


 数秒、黒目を揺らしてから、エースくんはぱっとカオを上げた。


「そういうの、すげェ傷付く!」

「……えっ? ちょっ、わ……!」


 押し退けた私の手を押し退けて、エースくんは私をひょいと持ち上げた。お姫様だっこじゃないのが、なんともエースくんらしい。


 エースくんが教室を出ようとした時、鈴の音の声が、


「待ってエースくん! 保健室なら、私が連れていくよ! っていうか……エースくんじゃなくても別によくないっ?」


 と、強ばった声色で言う。


 エースくんは、振り返って、言った。


「おれ、こいつに惚れてるから。だから、おれ以外にはやらせない」


 教室内を、いっきに黄色い声が駆け巡る。視界の端で、ローくんが楽しげに口の端を上げていた。


「これくらいは、いいだろ?」

「……え?」


 声色を、ワントーン落として、エースくんは言った。


「おれの気持ちくらいは、秘密にしなくたって」


 その瞬間、エースくんの気持ちが、すべて伝わった。


 私は、ガッと教室のドアを掴んで、エースくんの歩みを止めた。


「うおっ……! おまえっ、何してっ――」

「私も、エースくんのことが好きです!」


 教室内の、誰にともなくそう叫ぶ。


 生徒全員と、エースくんの口が、あんぐりとした。


「なのでっ、あのっ、両思いなので! 実は半年前から付き合ってます!」

「***、わ、分かった。もういいから」

「だからっ、エースくんのことを好きな人がいたらっ、すっぱりと、あっ――あきらめてください!」

「***っ」

「納得できない場合のみ、私の下駄箱に果たし状をっ」

「……! いいからもう行くぞっ」


 踏ん張っている私の手を引き剥がして、エースくんは足早に教室をあとにした。


 廊下には、はやし立てるような口笛の音が、いつまでも鳴り響いていた。





 保健室に着くと、引き戸には『昼休憩中』の札がぶら下がっていた。


 エースくんは、構わず引き戸を開けると、ようやく私を床へ下ろした。


「***、椅子に座って、鼻のこの辺押さえてろ」

「は、はい」

「ああ、上向いちゃだめだ。下向いて」

「あ、はい」

「ええっと、冷やすやつ冷やすやつ……」


 エースくんが、保健室の中を物色する。ほどなくして、アイスノンと、濡らしたタオルを手に、私の前の椅子に座った。


「***、鼻、おれが押さえとくから、このタオルで血拭いて」

「あ、う、うん。ありがとう……」

「鼻の上、少しひやっとするぞ」

「……エースくん、手慣れてるね」


 手際よく処置をしてくれるエースくんをまじまじと見て、私はそう訊ねた。


 エースくんは、そばかすに皺を寄せて笑った。


「ルフィがよく、鼻血出すんだ。あいつ、よく転んだり、まァ、血の気も多いしな。おれに似て」

「ははっ、そうなんだ。どうりで」

「だから、おれとサボはひと通りの応急処置はできる」


 そう言って、エースくんは穏やかにほほえんだ。兄弟の話をしている時のエースくんが、私は一番好きだった。


 そうだ。私が好きになったのは、"ただの"エースくんだ。


 人気者のエースくんでも、かわいい女の子にモテるエースくんでも、ましてやスクールカースト上位なんていうエースくんでもない。


 この、ただの、食いしん坊で、兄弟思いの――優しいエースくんを、私は好きになったんだ。


「……ごめんね、エースくん」

「え?」

「付き合ってるの、秘密にしようなんて言って」

「……」

「ふつうに考えたら、大した理由もなくそんな提案されたら、傷付くよね」

「……」

「ほんとに……ごめんっ」


 ぺこっ、と、エースくんに向けて頭を下げた。しかし、いつまでたってもリアクションがないので、そろそろっと頭を上げる。


 エースくんは、いじけたように唇を尖らせてから、「おれだってなァっ」と言った。


「ふつうに学校で話したりとか、一緒に登下校とか弁当食ったりとか、ネクタイ交換とか、してみたいんだよっ」

「ネ、ネクタイ交換?」

「カップル同士でやってるやついるんだ」

「へ、へェ……知らなかった……」

「別にそんなの、憧れたことなんてなかったけど――」


 エースくんの耳が、じわじわと赤くなっていく。まるで、じんわりと火が灯されたみたいだ。


 エースくんは続けた。


「こうみえてもおれ……浮かれてんだよ。……おまえと付き合えてから」

「エースくん……」

「ふわっふわなんだよ! ふわっふわ! パンケーキのようになっ」

「うまい……!」

「うるせェ!」


 そう掛け合ってから、同時に吹き出して笑った。


 戸惑ったり、卑屈になったり、急に勇気が湧いたり――


 恋をすると誰でも、なったことのない気持ちに、たくさんなるんだな。


「そういや、してみたいこと――もう一個あった」

「……え?」


 そう言うと、エースくんはおもむろにカオを近付けてきた。


 そして、唇から、チュッ、と、かわいい音がする。


 一センチ先で、にかっと笑いながら、エースくんは言った。


「保健室でチュー」


すれ違いラバーズ


 なんか……また鼻血が出そう……


 ……おまえ、そんなんでこの先どうすんだ。言っとくけど、半年以上は待たないからな。


 えっ。


[ 22/22 ]

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