すれ違いラバーズ 2/2-ラブレター、とんでった続編-
「ほんと、やってらんねェよ」
ある日の昼休み。購買部でパンを買ってから、教室へ戻ろうと、屋上への階段前を通り過ぎようとした時だった。階段の上の方から、そんな言葉が聞こえてきた。
この声――エースくん?
条件反射で足が止まる。しかも、声色がどことなく不穏な感じだったので、思わず聞き耳を立ててしまった。
「まァ、そう言うなよ。エース」
「そうだよい。しょうがねェだろ? 本人がそうしたいって言うんだから」
どうやら、エースくんの他に、二人の男性が一緒にいるらしい。声から察するに、エースくんが仲良くしている先輩、マルコさんとサッチさんのようだ。(エースくんの交友関係は概ね把握済み)
「けどよォ、放課後デートに行くにも、いちいち待ち合わせなんだぜ? 同じ学校なのに」
エースくんのその一言が、私の心臓をひやっとさせた。
これ――私の話だ。
背中に冷たい汗が垂れる。こんな、嫌気が差したような言い方じゃなかったら、うれしいところなのに。
「まァ、おまえは目立つからなァ。いい意味でも悪い意味でも」
サッチさんの声がそう言う。
「……だったらなんだよ」
「苦手なんだろい。ああいうタイプは。一緒に目立ったりするのが」
エースくんのふてくされたような言葉に、マルコさんがそう返した。
「そうかもしれねェけどさァ……ああっ、もうっ」
少しの沈黙の後、小さな、本当に小さな声で、こう続いた。
「このままじゃ、無理かも……」
それを聞いた瞬間、私の胸には、稲妻が刺してくるような衝撃が走った。
失意のうちに、私はふらふらと教室へと帰っていった。
*
無理 とは――理を欠くこと。道理に反すること。(グー○ル先生参照)
つまり、エースくんにとって、私と付き合っていることは、道理に反しているということで――。
そのことについて考えすぎて、ますますややこしくなって、頭の中でこんがらがる。
つまりエースくんは、私と付き合っていくのが無理って……そう思ってるんだ、きっと。
胸の奥が、ずうんと重くなる。
そんな……せっかく両思いになれたのに……。
もしかして、私に何もしてこないのも、もうすぐ別れるかもしれないから、っていう理由からなんだろうか……。別れるかもしれない人に、無責任なことはできないって……。
「ど、どうしよう……ありえすぎる……」
これは、早急に対策をしなければ。でも、おいしい食べ物のお店のリサーチしか能のない私が、一体何をすれば――。
「おおい、***ー」
一人ぶつぶつと呟きながら廊下を歩いていると、私を呼ぶ間延びした声が聞こえてきた。
見ると、シャンクス先生が、私に向かって手を振って歩いてきている。
ちなみに、シャンクス先生は私の担任の先生だ。
「は、はい。なんでしょう……」
「悪いんだが、これ三組の教室の教卓に置いててくれねェか?」
そう言いながら先生は、私にプリントの束を手渡した。
三組、という言葉にぎくりとする。――エースくんのクラスだ。
「職員室に忘れ物しちまって」
「は、はい。わかりました」
「悪ィな。頼んだ」
シャンクス先生が右手を上げて去ろうとすると、通りがかった女子の群れの一人が「先生ェ、私が持っていくよォ」と、鼻にかかった声を出した。
「おまえらこれから体育だろ。ほれ、さっさと行け」
「えー、じゃあ、今度デートしてねー!」
「何が、じゃあ、なんだよ」
あきれたようなシャンクス先生の言葉に、女の子たちがきゃあきゃあと小鳥のような声を上げて、走り去っていった。
……この学校って、どうして生徒から先生から、かっこいい人ばっかりなんだろうか。
そんなことを考えながら、私は三組の教室へと向かった。
*
休み時間終了まで十分を残した教室内は、賑やかだった。
エースくん、いませんように……。
そんなことを祈りながら、開きっぱなしになっている教室の出入り口から、そろおっと中を覗く。
しかし、残念ながら祈り届かず、エースくんは窓際後方の自分の席に座って(席の位置調査済み)、ローくんや女の子たちに囲まれながらおしゃべりをしていた。
そして、その中には、エースくんが昔好きだったであろう、朝帰りした女の子もいる。女の子たちが噂していた通り、あの子はまだエースくんのことが好きなのかもしれない。
は、華やか……。
エースくんを取り囲むキラキラオーラに、思わず圧倒される。ああいうのを、今巷で話題の『スクールカースト上位』というのかもしれない。エースくんはそういう表現、絶対嫌いだと思うけど。
私は気配を消して、教卓へ向かった。
プリントを置いて、そそくさと立ち去ろうとする。
すると、
「やだー、エースくんおもしろーい」
と、柔らかな鈴の音のような声が聞こえてきた。
ちらりと後ろを振り返ると、あの女の子がエースくんの腕に触れて、笑っている。
エースくんも、それに笑い返していた。
……エースくん、あの子に心が戻っちゃったのかな。だから、私とは無理かもって、そう思ったのかな。
どう見ても、彼女との方がお似合いだし……。あんなに美人だったら、エースくんの隣だって、きっと堂々と歩ける――
そんなふうに考えて、はっと気付く。私、いつからこんなに、卑屈なこと考えるようになったんだろう。付き合い始めの頃は、ただ浮かれてばかりいられたのに。
これ以上ここにいると、ますます陰鬱としてきてしまいそうだ。
一刻も早く立ち去りたくなって、私は勢いよく出入り口の方へ振り返った。
その時――。
ガンッ――!
そんな凄まじい音と共に、鼻っ柱に激痛が走る。
どうやら、勢いよく振り返りすぎて、引き戸にぶつかってしまったようだ。
思わず、鼻を抑えてうずくまる。近くにいた女の子が、「大丈夫っ?」と駆け寄ってきてくれた。
見えてはいないが、私のせいで教室内がざわついている。
羞恥心から、身体中が熱くなった。
「大変……! 血が出てるよっ」
「保健室行ける?」
「私ついて行くよ」
親切な三組の生徒たちが、次々と駆けつけてきてくれる。
手が、鼻血で真っ赤になっていた。
「だっ、大丈夫……! 一人で行け――」
立ち上がろうとした、その時――身体が、たくましい腕に支えられる。
驚いて見上げると、エースくんが冷や汗を垂らして私を見下ろしていた。
「***! 大丈夫かっ?」
「エっ、エースく――」
「保健室行こうっ」
私よりも慌てながら、エースくんが私を抱きかかえようとする。
私はそれを、とっさに止めた。
「だっ、大丈夫だから! ほんと!」
「……」
「たかが鼻血だしっ」
エースくんの真っ白な制服を汚してしまいそう――とっさにそう考えて、腕を押し退けた。
エースくんはなぜか、ぐっと歯を食いしばって、長いまつげを伏せた。
「***……おれ……」
「え?」
数秒、黒目を揺らしてから、エースくんはぱっとカオを上げた。
「そういうの、すげェ傷付く!」
「……えっ? ちょっ、わ……!」
押し退けた私の手を押し退けて、エースくんは私をひょいと持ち上げた。お姫様だっこじゃないのが、なんともエースくんらしい。
エースくんが教室を出ようとした時、鈴の音の声が、
「待ってエースくん! 保健室なら、私が連れていくよ! っていうか……エースくんじゃなくても別によくないっ?」
と、強ばった声色で言う。
エースくんは、振り返って、言った。
「おれ、こいつに惚れてるから。だから、おれ以外にはやらせない」
教室内を、いっきに黄色い声が駆け巡る。視界の端で、ローくんが楽しげに口の端を上げていた。
「これくらいは、いいだろ?」
「……え?」
声色を、ワントーン落として、エースくんは言った。
「おれの気持ちくらいは、秘密にしなくたって」
その瞬間、エースくんの気持ちが、すべて伝わった。
私は、ガッと教室のドアを掴んで、エースくんの歩みを止めた。
「うおっ……! おまえっ、何してっ――」
「私も、エースくんのことが好きです!」
教室内の、誰にともなくそう叫ぶ。
生徒全員と、エースくんの口が、あんぐりとした。
「なのでっ、あのっ、両思いなので! 実は半年前から付き合ってます!」
「***、わ、分かった。もういいから」
「だからっ、エースくんのことを好きな人がいたらっ、すっぱりと、あっ――あきらめてください!」
「***っ」
「納得できない場合のみ、私の下駄箱に果たし状をっ」
「……! いいからもう行くぞっ」
踏ん張っている私の手を引き剥がして、エースくんは足早に教室をあとにした。
廊下には、はやし立てるような口笛の音が、いつまでも鳴り響いていた。
*
保健室に着くと、引き戸には『昼休憩中』の札がぶら下がっていた。
エースくんは、構わず引き戸を開けると、ようやく私を床へ下ろした。
「***、椅子に座って、鼻のこの辺押さえてろ」
「は、はい」
「ああ、上向いちゃだめだ。下向いて」
「あ、はい」
「ええっと、冷やすやつ冷やすやつ……」
エースくんが、保健室の中を物色する。ほどなくして、アイスノンと、濡らしたタオルを手に、私の前の椅子に座った。
「***、鼻、おれが押さえとくから、このタオルで血拭いて」
「あ、う、うん。ありがとう……」
「鼻の上、少しひやっとするぞ」
「……エースくん、手慣れてるね」
手際よく処置をしてくれるエースくんをまじまじと見て、私はそう訊ねた。
エースくんは、そばかすに皺を寄せて笑った。
「ルフィがよく、鼻血出すんだ。あいつ、よく転んだり、まァ、血の気も多いしな。おれに似て」
「ははっ、そうなんだ。どうりで」
「だから、おれとサボはひと通りの応急処置はできる」
そう言って、エースくんは穏やかにほほえんだ。兄弟の話をしている時のエースくんが、私は一番好きだった。
そうだ。私が好きになったのは、"ただの"エースくんだ。
人気者のエースくんでも、かわいい女の子にモテるエースくんでも、ましてやスクールカースト上位なんていうエースくんでもない。
この、ただの、食いしん坊で、兄弟思いの――優しいエースくんを、私は好きになったんだ。
「……ごめんね、エースくん」
「え?」
「付き合ってるの、秘密にしようなんて言って」
「……」
「ふつうに考えたら、大した理由もなくそんな提案されたら、傷付くよね」
「……」
「ほんとに……ごめんっ」
ぺこっ、と、エースくんに向けて頭を下げた。しかし、いつまでたってもリアクションがないので、そろそろっと頭を上げる。
エースくんは、いじけたように唇を尖らせてから、「おれだってなァっ」と言った。
「ふつうに学校で話したりとか、一緒に登下校とか弁当食ったりとか、ネクタイ交換とか、してみたいんだよっ」
「ネ、ネクタイ交換?」
「カップル同士でやってるやついるんだ」
「へ、へェ……知らなかった……」
「別にそんなの、憧れたことなんてなかったけど――」
エースくんの耳が、じわじわと赤くなっていく。まるで、じんわりと火が灯されたみたいだ。
エースくんは続けた。
「こうみえてもおれ……浮かれてんだよ。……おまえと付き合えてから」
「エースくん……」
「ふわっふわなんだよ! ふわっふわ! パンケーキのようになっ」
「うまい……!」
「うるせェ!」
そう掛け合ってから、同時に吹き出して笑った。
戸惑ったり、卑屈になったり、急に勇気が湧いたり――
恋をすると誰でも、なったことのない気持ちに、たくさんなるんだな。
「そういや、してみたいこと――もう一個あった」
「……え?」
そう言うと、エースくんはおもむろにカオを近付けてきた。
そして、唇から、チュッ、と、かわいい音がする。
一センチ先で、にかっと笑いながら、エースくんは言った。
「保健室でチュー」
すれ違いラバーズ
なんか……また鼻血が出そう……
……おまえ、そんなんでこの先どうすんだ。言っとくけど、半年以上は待たないからな。
えっ。[ 22/22 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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