おとなりさんと私。
○月×日
おとなりさんができた。真っ黒なくせっ毛、そばかすがかわいく散らばったイケメンだった。
おとなりさんは、それはそれは丁寧に頭を下げてアイサツしてくれた。おまけにきちんと手みやげまで。
塊のロース肉だった。しかも結構大きめ。
そのチョイスはイマイチよくわからないが、いまどきの若者も捨てたもんじゃない。
そんなことを思いながらロース肉はカリッと焼いておいしく頂いた。
○月×日
おとなりさんはお友だちが多いみたいだ。
毎日だれかしら訪ねてきている。
ジュースでも買いにいこうと外へ出たら、おとなりさんのおうちをピンポンする金パツの男性と目が合った。顔が怖い。頭がパイナップルみたいだ。
ジロジロと見ていたら、ギロリと睨まれてしまった。
すると中から、おとなりさんが出てきた。
チラリと見たら、目が合った。なぜか慌ててそらしてしまった。
その日はパイナップルジュースを買った。
○月×日
帰宅したら、たまたまおとなりさんがおうちから出てきた。
「こんにちは。」
そうアイサツしたら、満面の笑みで「おう!」と言われた。
人懐こそうなひとだ。
どうやらどこかへ出掛けるらしいおとなりさんは、そのまま去っていった。
もう少し笑った方がよかっただろうか。自分の愛想のなさが悔やまれる。
○月×日
今日は、おとなりさんのおうちが賑やかしい。
なにやらルフィという男の子が訪ねてきているらしい。よくよく聞いていると、どうやら弟さんのようだ。
「おれのおかずとるなっ!ルフィ!」
「いいじゃねェかケチ!兄ちゃんのくせに!」
そのような言い合いが聞こえてきた。たまたま、聞こえてきた。べつに壁に耳とかつけてない。
おとなりさんは今日も楽しそうだ。
○月×日
今日も、おとなりさんのおうちは賑やかしい。
今日はルフィくんではなく、お友だちのようだ。たくさん人がいるらしく、いろんな笑い声が聞こえてくる。
女の子もいるみたいだ。
おとなりさんは女の子にもモテモテだ。
なぜか胸がもやもやする。今日は、あまり眠れなさそうだ。
○月×日
肉じゃがを作りすぎた。たまたま、作りすぎた。
最近のご近所付き合いは希薄になってしまっていけない。
おとなりさんに余った肉じゃがをおすそわけするくらい、一昔前なら当たり前のことだ。そう思う。
私は、肉じゃがを手に外へ出た。
ピンポンしようとしている手が震えていたのは、ピンポンするまで外で10分ほど悩んで冷えてしまったせいだ。緊張していたわけではない。
中から出てきたおとなりさんは、上下スウェットというリラクゼーションスタイルだった。カッコいいひとはなにを着てもカッコいいからずるい。
いまさらだけど、やっぱり気味が悪いかもしれない。となりに住んでる見ず知らずの女の手作りは。
やめておけばよかった。そう思ったが、もはや手おくれ。
もごもごと肉じゃがを作りすぎた旨を伝えたら、おとなりさんはとてもうれしそうに笑って「ありがとう!」と言った。
太陽みたいに、笑うひとだと思った。
○月×日
びっくりした。
突然、おとなりさんが訪ねてきたからだ。
「このまえの肉じゃがのお礼だ。」と言って、これまた大きなお肉の塊をもってきてくれた。
おいしいお肉屋さんを見つけたらしく、おとなりさんはとてもうれしそうだ。
食べきれないかもしれないと伝えたら、「じゃあまたなんか作ってくれ!」と言われた。
信じられなかった。
まさか、お礼にきてご飯をせがむ男性がいるなんて。
でももっと信じられないのは即答で「はい。」と言っていた私自身だ。
その日さっそく、トンカツを作っておとなりさんへ持っていった。
よだれを垂らしながらよろこんでくれた。
なんだか、かわいいひとだなと思った。
○月×日
あの日以来、おとなりさんと私は食材とご飯をシェアし合うという、奇妙な関係になっていた。
もともと料理はそれほど得意なわけではないが、綺麗に空っぽになったお皿と、「うまかった!」とうれしそうに笑うおとなりさんを見ると、料理をするのが楽しくなっていた。
食べてくれるひとがいるというのは、やっぱりいいものだ。
おとなりさんのように、おいしいおいしいと食べてくれるひとだとなおさら。
今日は、料理本を4冊も買ってしまった。
○月×日
出掛けようと外へ出たところ、おとなりさんのおうちの前にだれが立っていた。
綺麗な、女の人だった。
その女性は私に気がつくと、「こんにちは。」と綺麗に笑ってアイサツしてくれた。
なんだか恥ずかしくなって、私は深く俯きながら「こんにちは。」と小さく言った。感じが悪かったかもしれない。
その女性は、カギを回しておとなりさんのおうちに入っていった。
おとなりさんの恋人は、とても美人さんだ。
○月×日
おとなりさんがやってきた。
いつものようにやってきた。
早くでなければと心の中では思っていても、なぜか身体が動かない。
ピンポンが何回か鳴ったあと、おとなりさんの玄関のドアが閉まる音がした。
生まれてはじめて、居留守を使ってしまった。
○月×日
今日もピンポンが鳴った。
何回か鳴った。
居留守を使い始めて、かれこれ5日ほどになる。
「また買いすぎちまった!」
「今日は鶏肉持ってきたぞ!」
「ハンバーグ食いてェな!」
ピンポンするたびに、なにかしら声を掛けていく。
しだいにその声が弱々しくなっていって、私の胸はズキズキと軋んだ。
この日を境に、おとなりさんはこなくなった。
○月×日
帰宅してバッグからカギを出そうとしたところで、おとなりさんのおうちのドアノブが回った。
とっさに、アパート横に身を潜めてしまった。
そろりと顔を出すと、心なしか少し元気がなさそうなおとなりさん。
ちゃんとご飯食べてるんだろうか。
そう不安に思ったところで、中からおとなりさんの恋人も出てきた。
大丈夫だ。
おとなりさんには、あんなに綺麗な恋人がいるのだから。
ただのおとなりさんである私が心配することじゃない。
二人は、仲良さげに腕を組んで去っていった。
まるで絵のように美しい二人のその光景が、しだいにぐにゃりと歪んでいく。ぽたりぽたりと地面におちる、暖かいしずく。
私は、泣いていた。
なんてことだ。いまさら気がつくなんて。
どうやら私は、
おとなりさんに、恋をしてしまっていたらしい。
いつのまにか恋をして、いつのまにか失恋をしてしまうなんて。
やっぱり、ご近所付き合いはほどほどにしたほうが良かったかもしれない。
私はこの日、久しぶりに声を上げて泣いた。
おとなりさんと私。
「あ。」
「…あ。」
玄関を出たら、おとなりさんも同時に玄関から出てきた。
な、なんていうタイミング…
「お、おはようございます…」
「あ、あァ、…おはよう。」
私は慌ててカギを掛けると、いそいそと早足に歩き出した。
「あっ、ちょっ、ちょっと待ってくれっ!」
突然、おとなりさんが私を呼び止めた。
「はっ、はいっ?」
も、もしかして、…居留守バレた?
「あ、いや、その、…悪い。出かけるとこ。」
「い、いえ…」
そう答えると、なぜかおとなりさんはあーとかうーとか唸りながら、頭を下に下げてしまった。
「あ、あの、」
「あのさっ!今日の夜、暇かっ?」
「え?」
私の言葉をさえぎって、おとなりさんがそんなことを口にした。
「あっ、いやっ、ほらっ、最近ちゃんとしたメシ食ってなくてよ!また作ってくれたらうれしいなって思って…」
「あ、…い、いや、…でも、」
「もっ、もしかして今日はダメか?それなら空いてる日教えてくれ!」
「…………………。」
そんなにちゃんと食べてないのかな。
あの綺麗な恋人は、料理が苦手なんだろうか。
そう考えてしまうほど、おとなりさんは必死に見えた。
「もしかして、…迷惑だったか?」
「え?」
考えこみながら黙っていると、おとなりさんがぽつり、と呟くようにそう言った。
「いつも会いにいったりして、…迷惑だったか?」
「そっ、そんなことありませんっ…!」
「え?」
「そんなこと、ないっ…!」
私は、思わず叫ぶようにそう言っていた。
うれしかったよ。
それに、楽しかった。
ピンポンが鳴るたびに、わくわくドキドキして。
こんな気持ち、初めてだったから。
「…あのさ、」
「は、はい…」
「ほんとは、メシがなくてもいいんだ。」
「…はい?」
さっきと言ってることがちがう。
私は意味がわからずに、眉を寄せておとなりさんのカオを見た。
「ただ、…会いたかっただけだから。」
「…は、」
「あんな口実でもなきゃ、なかなかおとなりさんになんて会えねェだろ?」
そう言いながら、おとなりさんは困ったように笑った。
少し赤くなったそのカオが、とてもかわいくて。
思わず、涙がじわりと滲んだ。
「これからは、理由がなくても会いてェんだけど。ダメか?」
ああ、
やっぱり、ご近所付き合いは大切かもしれない。
おとなりさんと私。
あっ、あれっ?でもあのっ、…パーマかけたロングヘアの綺麗な人は?
パーマかけたロングヘア?…あァ、あれはおふくろだ。
お母さん、若っ![ 2/22 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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