リナリア

カランコロン…


少し寂しげな音を立てて戸が開くと、見知ったカオが訪れた。


「あ、いらっしゃいませ。」

「おう。」

「こんにちは。」

「いつもの頼む。」

「はい。」


そんな短いやり取りをして、私は奥のキッチンへと向かった。


シンクを挟んで、退屈そうに頬杖をつくその男性をチラリと見上げる。


…今日はあまり寝癖がない。


自然と緩んでいた頬に気付いて、慌ててそれを引き締めた。


彼について知っていることは少ない。


名前、海賊、エビピラフが好き、変わったヘアスタイルの仲間がいる…


それくらい。


大して話もしない。


いつもオーダーするエビピラフをモグモグ食べて、たまに眠ってまた起きてエビピラフを咀嚼する。


その一連の流れが終われば、「ごちそうさん。」と小さく言って去っていく。


店員と客。


私たちの関係は、ただそれだけ。


「お待たせしました。」

「おう。」


コトリ。


エビピラフの乗った皿を彼の前に置くと、彼はいつものようにスプーンを握った。


それを見届けると、私はカウンターに置いてある小さな椅子に座って本を読む。


たった数日のことなのに、もう何十年もこうしているようにも思える。


それはきっと、私がこの時間が好きだからだ。


「ごちそうさん。」


何十分か経つと、彼は素っ気なくそう言って席を立った。


「ありがとうございました。」


聞いているのかいないのか、彼の大きな背中にそう声を掛ければ、振り向くこともなく彼は去っていく。


カランコロン…


さっきよりも、その音が寂しげに聞こえた。


―…‥


「こんばんは。」

「あら、***ちゃん。どうしたの?こんな時間に。」

「ごめんなさい。お塩を少し分けて頂けませんか?お店がもう閉まっていて、明日の仕込みができなくて…」

「あァ、なんだそんなことかい。ちょっと待っててね!」

「ありがとうございます。助かります。」

「なァに、いいわよそれくらい!」


カラカラと楽しそうに笑うと、その女主人はお店の奥へと小走りしていく。


待っているあいだ、彼女の経営する呑み屋さんの店内を覗いた。


今日もずいぶん賑やかだ。


いいなァ、繁盛してて。


自分の店の寒々しい雰囲気とは正反対の暖かさが、店内に溢れている。


店主の人柄が、その店に現れるんだろう。


そう思ったら、なんだか哀しくなった。


フッと客席に目をやると、見覚えのあるオレンジの帽子。


彼だ。


仲間数人と楽しそうに酒を呑み交わしている彼は、うちに来る時の彼とは別人のよう。


大きな声で交わされる会話の内容に、思わず耳を傾ける。


「さっさと好きだって言っちまえよエース!いつまでモタモタしてんだァ?」


リーゼント頭のガタイの良い男性が、ケタケタ笑って彼にそう言った。


「うるせェなァ。いいんだよ、……………おれは。」

「なァにカッコつけちゃってんの!そのうちヒョイッと違う男に持ってかれんぞ!」

「バァカ。その方が幸せだよ、アイツにとっては。」


その子を想っているんだろう。


そう呟くように言った彼の瞳は、とても穏やかで、とても哀しげだ。


「大犯罪者の息子がよォ、誰かを幸せにできるなんて、思っちゃいけねェ…」


誰にでもない。


自分に言い聞かせるように、彼は確かにそう言った。


「あァ?なんだってェ?」

「…くっせーなおまえ!呑みすぎだバカリーゼント。」

「あんだとコラ!リーゼントバカにすんじゃねェ!」

「バカはバカだ。」

「あァん?」

「いいぞー!エース!」

「サッチもやれやれー!」


ドンチャンドンチャン騒ぎ出す仲間たちに囃し立てられて、彼は楽しげに声を上げて笑う。


「…………………。」

「***ちゃんお待たせ!こんなもんで足り、…***ちゃん?」

「えっ、あっ…!すみません!ありがとうございます!」

「また困ったことがあったら、いつでも言ってね!」

「はい、ありがとうございます。あ、お塩は今度お返ししますね。」

「あーいいのいいの!そんなことより、気を付けて帰りなよ!」

「では失礼します。」


深々と頭を下げて、私はその賑やかなお店をあとにした。


そこから少し離れると、歩く足音と虫の鳴き声しか聞こえない。


今日の月は、やけにはっきりしない形をしていた。


「好きな人、いたんだ…」


そりゃあそうだ。


彼は海賊。


広い海で、いろんな人に出逢う。


小さな村でのんびり生きている私では到底及ばない、素敵な女性がたくさんいるんだろう。


塩の入った袋が、小さくカサカサと音を立てて空しく揺れる。


私の日常は、ひどく穏やかだ。


取り立てて不満もなければ、かといって満足ではない。


夢もない。


当の昔に、そんな情熱はどこかに置いてきてしまった。


両親の遺したあの小さなお店だけが、唯一の私の宝もの。


だから、うれしかった。


『おまえの料理、なんかあったけェ味がするな。』


日だまりみたいに笑って言った、そんな彼の言葉が。


「っ、」


じんわり、涙が滲んで、月が余計にぼんやりした。


―…‥


カランコロン…


いつものように寂しげな音を立てて戸が開く。


カオを上げれば、彼が俯き加減でそこに立ち尽くしていた。


「あ、いらっしゃいませ。」

「…………………おう。」


いつもより小さな声でそう答えると、彼はいつもの席に座った。


「いつものでいいですか?」

「…………………。」

「?…あの、」

「あァ。」

「あ、は、はい…」


いつもと違う。リズムが狂う。


心の中で首を傾げながら、私はキッチンに向かった。


手を洗い、食材を取り出すと、野菜を洗うためシンクへ。


その前に立つと、私はチラリといつものように彼を見上げた。


「…!」


バチリ。


ピッタリと、彼と目が合う。


慌ててそらすと、私は濡れた手元に目を落とした。


ここから目が合うの、初めて。


ドキドキと高鳴る胸を落ち着かせて、食材を切っていく。


全神経を彼に集中させながら、私はエビピラフを完成させた。


コトリ。


いつものように彼の前に皿を置く。


「…お待たせしました。」

「…おう。」


彼も、いつものようにスプーンを手にした。


何かが違う。


いつもと、何かが。


本を開いてもなんだか落ち着かなくて、私は何度も同じ行の文章を目で追った。


「…………………。」

「…………………。」


チクタク、モグモグ、チクタク、モグモグ。


時計の針の音と、彼の咀嚼する音が、やけに大きく聞こえる。


数分経った後、突然、彼が口を開いた。


「……………今日、」

「はっ、はい?」

「…………………。」


次の言葉を待つ私に、彼は小さな声で告げた。


「今日、この村を出る。」

「……………え、」

「出航するんだ。今日の夕方。」

「…………………。」


チクタク、モグモグ、チクタク、チクタク、


ドクドクドクドク。


自分の鼓動の音で、なにも聞こえなくなった。


「……………そうなんですか。」

「…………………。」

「寂しくなりますね。」

「…………………。」


口元に笑みを作って、私はそう言った。


彼のカオは、大きなテンガロンハットに覆われて見えない。


どうせ見てないのだからと、笑みを作るのをやめた。


「メシ、いつもうまかった。」

「……………ありがとうございます。」

「……………おれの方こそ、……………ありがとう。」

「……………いえ、そんな…」

「…………………。」

「…………………。」


その小さな沈黙がきっかけとなって、彼はカタンと席を立った。


「…ごちそうさん。」


テンガロンハットを被り直すと、彼はゆっくりと去っていく。


待って、泣いちゃダメ、待って、待って、泣くな、待って、










好きなの。










口を開きかけた、その時、


彼が、ゆっくりと振り向いた。


そして、日だまりのように笑って、一言。


「ありがとう、***。……………またな!」


カランコロン…


小さな音を立てて、彼が店から出ていく。


私はカウンターから走り出すと、戸を開けて大きな背中目掛けて叫んだ。


「いつかまた…!!それまで、どうかお元気で…!!……………エースさん…!!」


その声に、彼は振り向くことなく、小さく手を上げて去って行った。


見えなくなるまで、愛しいその背中を見送る。


やがてその姿が見えなくなると、私は小さく息をついて店の戸を開けた。


カランコロン…


その音は、きっともう二度と、寂しく感じることはない。


彼の使った皿を片付けようと、そのテーブルの前に立つと、


お皿の横に、綺麗な一輪の花。


彼の帽子とお揃いの色したそれを見て、ぽたぽたぽたぽた、涙が零れ落ちた。


泣くのは、これで最後。


私はもう泣かない。


だって、私、


ズズッと鼻水をすすると、私は子電電虫の受話器を上げた。


「……………あ、もしもし?ごめんね、突然。ちょっとお願いがあって。航海術を教えてほしいの。え?どうしてって?」


花瓶に花を挿しながら、私は小さく笑った。


「夢ができたの。海に出てね、コックをやりたいの。うん、毎日エビピラフを作ってあげたい人がいて。そう、だから心も身体も、もっと強くならなきゃ!」


今はまだ、となりに並べないけど。


でも、いつか、……………きっと。


誇らしげに咲くその花が、なんだか彼の笑顔と重なった。


リナリア


どうしてその花を選んだのか。


その理由を彼の口から告げられるのは、それから数年後のお話。


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