残念ながら、末期です

「どうして行ってるの?」


 脈絡もなく、突然そう訊ねられた。


 キッドは眉をしかめて、ベッドに寝そべったまま女を見上げた。


 女の方はこちらを見てはおらず、ちょうど上の下着を取り付けているところだった。


「あ? 何がだよ」


 女の目がこちらに向いていなかったので、キッドは再び枕にカオを突っ伏した。昨夜から一睡もしていない。今更訪れてきた睡魔が、キッドは憎くなった。


「学校よ、学校。あなた、どうして行ってるの?」

「……お前、まさかおれが未成年だって知らねェわけじゃねェだろうな」

「ううん、そういうことじゃなくて」

「だから、なんだよ」


 キッドの口からは舌打ちが漏れる。女という生き物はどうしてこうも会話がスムーズにいかないのか。相手がキラーだったら、もうとっくにこの話題は終わっているだろう。


「だってあなた、学校なんて行きそうにないじゃない。かったるくないの? 子供に紛れておベンキョーなんて。あら、あなたも子供だったわね」

「……殺すぞ」

「ほら。そんなこと口にする高校生、そうはいないと思うけど」


 言われてキッドは考えた。そんなことはない。知ってるカオでも、あと二、三人はそんな暴言を吐きそうな男がいる。一番最初に浮かんだのはやはり、ひょろっと背の高いスカした医者の息子だった。


「……別に。ヒマだしな」


 言いながらキッドはベッドを出た。


 今日は木曜日だ。平日なので、無論登校の必要がある。


 床から拾い上げた制服を着ていると、女が可笑しそうに笑った。


「なんだよ」

「ごめんなさい。だって、あまりにも似合わないから」


 締めたネクタイを、軽く整えられる。


 女は背伸びをして、そのままキッドにキスをした。


「……また会える?」

「……おれの気が向けば」


 女はまた可笑しそうに笑った。





「今度はどこの女に手をつけてる」


 登校して早々、開口一番キラーに言われた。


 何の話かは分かっている。キッドはわざと辟易したカオを作った。


「うるせェな。起こさなきゃいいんだろ。面倒を」

「お前はそれが無理だから言っている。手をつけるにしても、真っ当な職についている男の女にしてくれ」


 それじゃあ退屈なんだよ。とは、口には出さない。キラーの小言が延々と続くからだ。それに、キラー相手では、むやみやたらに歯向かうのは得策ではないのだ。


 キッドは閉口して、しばらくしてから話を逸らそうと考えた。


「ああ、そういえば。お前の幼なじみ、今日はもう登校したぞ」


 話題を変えてきたのはキラーの方だった。


 廊下に尻をつく寸前で、キッドは動きを止めた。


「ああ? だってまだ」


 言いながらキッドは、教室内の掛け時計を見ようと身を乗り出した。


「どうやら日直らしいぞ。登校してすぐ職員室へ向かっていたようだ」


 キッドの疑問を先読みしてキラーは言った。


 大きく舌打ちをして、キッドはようやく腰を下ろした。


 日直なんて真面目にやってんじゃねェよ、と心の中だけで呟いた。


「そういえば」


 キラーが切り出した。


「あ?」

「髪型が変わっていたな」

「……あ?」

「切っていた。バッサリ」

「誰が」

「寝癖がますます立ちやすくなるな」


 その一言で、誰のことなのか分かった。分かったとは言ってもおおよそ見当はついていたので、答え合わせに近かった。


「……へェ」

「なかなか似合っていたぞ。ショートカットが」

「ショートねェ。へェ。カオまるいくせにな」

「……」

「ショートか。結構切ったな。へェ……」

「……見たいのか?」

「あ?」

「見たいんじゃないのか? 幼なじみの変わりようを。見に行くか?」


 そう訊ねられて、キッドは真っ赤な唇をぱくぱくと動かした。


「ちっ、ちげェよっ! 誰が見たいかよ、んなの!」

「そうなのか? 気になっている素振りが隠しきれてなかったから、てっきり」

「ふっざけんな! なんでおれがあんな陰気な女を!」


 叫びながらキッドは立ち上がった。そしてそのまま、教室とは真逆へ歩き出した。


「どこへ?」


 怒のオーラを撒き散らかしている背中に訊ねれば、キッドは右手の人差し指を上へ向けた。


 キッドは昼休みまでの時間を、屋上で寝倒すことに決めた。





 何度目かのチャイムで目を覚ますと、ちょうどキラーがキッドを迎えに来た。


 昼だぞ、というキラーの言葉で、キッドのお腹がぐうっと鳴る。


 二人は揃って屋上を出た。


 購買が通り道だったので、キッドは近場にいた舎弟を捕まえてパンを買いに走らせた。


 購買前に置かれている長椅子に、キラーと共に我が物顔で座っていると、複数人数の話し声が聞こえてきた。


 キッドの目は自然とそちらへ向く。


 その中に***がいた。


「ああ、寝癖女じゃないか」


 同時にキラーも気付いたらしく、キッドに向けてそう言った。


 キッドは何も答えない。ぼんやりと***を見ている。キラーが思うに、「見惚れている」が相応しかった。


 どうやら***も、友達らと一緒に購買へ向かうところらしい。話し声は次第に近付いてきた。会話の内容が耳に入る。


「しかし***、ほんとバッサリいったね!」

「あはは、うん。こんな短さ、小学生の時以来かも」

「でも似合ってるよ」

「うんうん!涼しげだし、いいよね」


 友人達の賞賛に、***は照れたように笑っている。満更でもなさそうだ。


 すると、***達とすれ違った男が、***を見て「あっ」と声を上げた。


「お前、髪切ったの?」


 言いながら男は、***の方へ歩み寄った。


「あ、うん。そうなんだ。ちょっと切りすぎちゃって」


 照れくさそうに笑った***の髪に、男が手を伸ばして触れた。


 キッドのこめかみが、ぴくりと揺れた。


「そうか? いいじゃんいいじゃん。モンチッチみてェで」

「えっ、そ、それ褒めてない」

「モンチッチって! ひどーい杉本」


 ***の友人達が口々に非難する。***を含めた皆が笑っているので、ただのじゃれあいに近い。


 キラーは数秒前から、なんとなく嫌な予感がしていた。


「いやいや、だってよォ」

「うるせェよ」


 杉本と呼ばれた男の声に、尖った声が被さってきた。


 やはりな、とキラーは心中溜め息を吐いた。


 ***達どころか、購買付近全体がしんとして、皆がキッドを見た。


 無論、***もキッドを見ていた。


「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、うるせェんだよ」

「……」

「ガキ共が、はしゃぎやがって」


 お前も同い年だ、などとは今のキッドには誰も突っ込めない。キラーも心の中だけで言った。


「髪切ったくらいで、廊下の真ん中で騒ぐんじゃねェ」

「……」

「大体なァ」


 胸のムカつきが収まらなくて、キッドは失言した。


「ブサイクは、何したってブサイクなんだよ」


 その言葉で、空気が凍りつく。


 ***の友人達は、***の方を気にしていた。


「……キッド」


 何かに気付いて、キラーは呼びかけた。


「ああ? なんだよ、本当のこと」

「いや、おれはいいんだが……」


 続きは口にせず、キラーはある方向へ目配せした。


 その方向に目を向けたキッドは、次の瞬間小さく息を呑んだ。


 ***の目に、涙が浮かんでいた。


「***、行こう?」


 友人の一人が、***の背中を優しく押しながら言う。


 友人達に連れられながら去って行く***の小さな背中を、キッドは唖然として見送った。


「……泣いていたな」

「……」

「ブサイクはまずかったな。女相手には失言だ」

「……」

「嫌われたな、あれは」


 舎弟の買ってきたコーヒーを飲みながら、キラーはトドメを刺した。


 キッドは何も答えられずに、ただただ白い肌をサァッと青くした。





 翌朝。


 キッドは玄関のドアにカオ半分をくっつけて、外の音に耳を傾けていた。


 やがて、玄関が開く音と「行ってきます」という小さな声が聞こえてきた。


 キッドもすぐさま玄関を開けた。


 隣家の方を見れば、***がこちらを見ている。


 まさか同じタイミングでキッドが出てくるとは思わなかったのだろう。***のカオは、ぎょっとしていた。


「よ、よォ……」

「……」


 ***からの返答はない。それは無視ではなく、即座に反応できていないだけのようだった。


 数秒経ってからようやく「お、おはよう」と***は言った。


 沈黙が続くと、***はそのまま立ち去ろうとした。


「あ、おっ、おい……!」


 その背中を、キッドは声で追いかけた。


 ***は驚いたように、びくっと体を震わせて振り向いた。


「はっ、はいっ?」

「い、いや。その。あー……」

「……」

「……の」

「……」

「……乗ってくか?後ろ」


 バイクを指しながら訊ねれば、***は黒目を右へ左へとうろちょろさせてから、ゆっくりと首を振った。


「ま、まだ時間あるから。大丈夫」

「あ、あァ。そうか」

「……ありがとう」

「……いや」

「……」

「……」


 ***は小さく「じゃあ」と言って、ついに立ち去ってしまった。


 キッドはその場に立ち尽くした。


 何してやがる。


 何してやがるんだ、俺は。一体何がしたい。わざわざこんな早起きして、待ち伏せみてェな真似までして。


 キッドは、自分自身と今の状況に苛立ち始めた。


 大体なァ、アイツが悪いんだ。アイツが。


 アイツが、あんなことくらいで泣いたりするから……


 脳裏に、昨日の***の泣き顔が浮かぶ。


 キッドは項垂れていた頭をぱっと上げると、***の跡を追った。


 早足で歩いて、ぐんぐんと距離をつめる。


 追い付いたその肩をぐいっと掴むと、***は「わっ」と小さく悲鳴を上げた。


「いいんじゃねェか!」

「はっ、はいっ?」


 怯えた目がキッドを見上げる。明らかな困惑が***のカオ全体に広がっていた。


「だからァ……!」

「はっ、はいっ!」

「そのっ……! あれっ、あれだ!」

「は、はい……」


 ガシガシと乱暴に頭を掻いてから、キッドはようやく口にした。


「……髪」

「え?」

「……それ」

「……」

「……悪くねェ。と、思う」

「……」


 ***は、呆気に取られたようなカオをしている。


 言おうとしていたことは言えた。もっとも、もう少しスマートに伝えるつもりではあったが。


「そっ、それだけだ。もう行け」


 掴んでいた***の肩をどんと押して、キッドはぶっきらぼうに言った。そして、くるりと踵を返すと、逃げるようにしてその場を去る。


 恥だ。恥すぎる。なぜ俺が、女相手にこんなご機嫌取りみたいなことを。しかも相手は***。


 耳が異様に熱く感じて、両耳を乱暴に手の平でさすった。


「あっ、あの!」


 背中から呼び止められた。


 なんだかヤケになってきて、キッドは「なんだ!」と苛立ち気味で振り向いた。


「あの、あ……」

「ああっ?」

「あり……ありがとう」


 そう言って、***は照れくさそうにはにかんだ。そして、***もまた、逃げるようにして去って行く。


「お……おう」


 もはや聞こえてはいないと思うが、キッドは小さくなっていく背中にそう答えた。


 昔からそうだ。


 ***の笑ったカオを見ると、なんか、こう。胸が……


「うう……ふわついて気持ち悪ィ……」


 今日はもう、このまま眠ってしまおう。


 むず痒くなった胸を押さえながら、キッドはよろよろと自宅へ歩いて行った。


残念ながら、末期です


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