Another WORLD-18

 部屋を出ると、船内は緊迫していた。


 みんな、慌ただしく私の目の前を右へ左へ駆けていく。その手には、剣や銃などの武器が握られていた。


「***のいう通りだなァ。海賊船じゃあ、無事に送ってやれなんだ」


 よく一緒に食事の準備をしていた船員が、通りすがりにそういって笑う。


 戦場へと駆けていくその後ろ姿を見ていたら、涙が出た。


「感傷に浸るのは後だ。行くぞ」


 キラーさんに手を引かれて、慌ただしい船内を駆け抜ける。


 甲板へ続く扉が開かれる。


 そこには――。


「キッド……」


 夢と同じ。冷たい月に見下ろされている、キッドの背中があった。


 黒いマントが、乱暴な潮風に踊らされている。赤い髪は、まっすぐ天へ。空も月も焼いている。


 キッドは、少しだけこちらへ振り向いた。赤い瞳に、わずかに私の姿を映す。


 ユースタス・キャプテン・キッド。海賊。私の幼なじみ。そして、


 誰よりも、大切だった。


 その、勇敢で剛毅な姿が、歪んでにじむ。


 最後なのに。刻みつけたいのに。


 どうしても、涙を止めることができない。


 キッドは、ふ、と笑った。そして、


「幸せにやれ」


 きこえるかきこえないか。とても小さな声で、そういった。きこえなくてもいいと、そう思ったのかもしれない。


 なにかをいわなければ。でも、いったいなにを。


 声の出し方を忘れたみたいに、私の口ははくはくと空気だけを吐く。


 結局なにも告げられず、キラーさんに引きずられるようにして、私はヴィクトリアパンク号を、降りた。



 思考が追い付かないまま、私はキラーさんのあとをただただ追った。走りながらヴィクトリアパンク号のほうを見れば、その向こう側から一際大きな船が一隻、ヴィクトリアパンク号に突っ込むような勢いで向かってきている。


「おそらく、格上だ」

「えっ」


 キラーさんは走りながらいう。


「あの船を見たことがある。船長の懸賞金はキッドの上をいく。覇気も。どうやら、隠すつもりもないらしい」

「そ、そんな」


 愕然としているうちに、見覚えのある船に辿り着いた。その船はすでに出航準備を始めていて、キッド海賊団とはまた違った雰囲気で慌ただしくしていた。


「あの海賊はおれたちが引き留める。おまえたちは反対側から、無事出航してくれ」


 私を船に押し込みながら、キラーさんは船内にいる商人たちにそう告げる。


「キラーさんっ……! 待って」

「***」


 私の声を遮って、キラーさんは私を見返した。


「大丈夫だ。キッドは負けない」

「……」

「アイツはいままでも、自分より強いヤツらを相手にして、勝って、のし上がっていったんだ」

「……」

「おまえは、おまえの幸せだけを考えろ」

「……」

「それが――」キラーさんは一呼吸置いて、続けた。「キッドの望みだ」


 そういい残して、キッドの右腕はあっというまに戦線へと駆けていった。


 呆然としているあいだに船は出航して、ヴィクトリアパンク号がどんどん小さくなっていく。


 どんっ、と耳をつんざくような凄まじい音がして、海底が大きく揺れた。激しい波の揺れがこの船にまで追ってきて、私も商人たちも悲鳴をあげながら体をよろけさせる。


 次々と夜の海に閃光が走って、真夜中とは思えないほど明るくなる。どうやら、敵の船が砲弾を打ち続けているようだ。もちろん、ヴィクトリアパンク号も応戦している。


「ひゅー。始まった始まった」

「間一髪。危なかったぜ」

「さァ。巻き込まれないうちに行くぞ」


 後方で、商人たちが口々にいう。それが、次第にぼんやりと膜が張ったようにきこえなくなって、私の頭は真っ白になった。


 ――もうだめだ、ここで終わりだ。そう覚悟したとき、必ずアイツを思い出す。


 ――おれがいなくなった後の世界はどう変わるのか。その世界は、アイツが幸せに生きていける世界なのか。


 ――アイツ自身をみまもれなくても、アイツの生きていく世界はみまもっていきたい。アイツがどこかで、ガキでもこさえて幸せに暮らしていける世界。そんな世界であり続けることを、おれはこの目で確かめていかなきゃならねェ。


 ――幼なじみでも、恋でもねェ。かたちのない、大事なもんだ。アイツは。


 私は、キッドの気持ちを無下にできない。


 キッドのためを思うなら、これでいい。これでいいんだ。


 砲撃の音が遠くなる。ヴィクトリアパンク号が。キッドが。もう、私の手の届かないところへ行く。


 キッドのためを、思うなら。


 じゃあ、


 私の気持ちは、どこへ行くの。


 そのとき。一際大きな砲撃の音が、骨の髄まで轟いた。


 船が大きく傾いて揺れる。全員が、悲鳴をあげる間もなくその場に倒れ込んだ。


 すぐさま、ヴィクトリアパンク号を見る。


 船体の横っ腹から、黒い煙が濛々と立ちのぼっている。


 額からつま先まで、さっと血の気が引いた。


「キッド……キラーさん……みんな……」


 情けない声が、口からこぼれ落ちる。涙も、ぼたぼたと顎を伝って落ちていった。


「……止めて」


 体が震える。


 いや。ちがう。


 魂ごと、震えてる。


「止めて……止めて……!! お願いっ……!!」


 近くにいた商人の胸ぐらを掴んで揺さぶる。


「止めて!! 船を戻して!!」

「な、なにいってんだ! 見ろ! あの惨劇を! ありゃあもうだめだ……行けば巻き込まれて死ぬぞ!」


 二発目、三発目と、砲撃の音はやまない。


 ヴィクトリアパンク号の船体が、大きく左右へ振れたのを見た瞬間。


 爆風に霧散されるがごとく、頭の中の靄がいっきに晴れて、クリアになった。


 私の中に残った答えは、たった一つ。

「ごめんなさい!!」

「えっ」

「ありがとう!!」

「……!! おいっ……!!」


 次の瞬間には、私はもう海へ飛び込んでいた。


 服が重く、泳ぎにくい。海中で上着を脱ぎ捨てた。


 無我夢中で、砲撃が鳴るほうへ泳いでいく。だけど、波の揺れがすごすぎて、とてもじゃないけど近づけない。


 私はここで、溺れ死ぬかもしれない。


 だけど、もう、それでもよかった。


 故郷へ帰ったところで。キッドの望む人生を歩めたところで。


 私の心は、きっと死ぬ。


 あなたと離れたあの日から。


 私の心は、死んでいたの。


「……!!  ***……!? キッドの頭ァ!! ***が!!」


 微かにその声がきこえた。必死に腕を動かしていたら、少しずつヴィクトリアパンク号に近づけていたらしい。


 キッドが船上からカオを出す。


 戸惑いや、焦り。それに、怒りが綯い交ぜになって、キッドはカオを真っ赤にして叫んだ。


「なにしてやがる……!! 戻りやがれ!!」

「戻らないっ!!」


 自分の体からこんなに大きな声が出ることを、私はいま、初めて知った。


「戻らないっ!! 私はもう絶対に、キッドから離れない!!」

「……!!」

 キッドのカオが歪む。


 そのカオが、一瞬泣いているように見えて。


 私の目から、ぼろぼろ涙が落ちた。


「一緒に来いって……いっでよっ、ギッド……」

「っ、」

「私、なんでもずるっ……ずるがらっ……」


 海中で叫んでいるから、口にたくさん海水が入る。数回飲み込んでしまって、呼吸が苦しくなってきた。


 縋るように伸ばした手が、何かに掬い取られる。


 ざばっと体が宙に浮いて、見覚えのあるストライプの仮面が見えた。


「っ、キラーさんっ……」


 ふ、と。仮面の中で、キラーさんが笑った気がした。


「どうする!? キッド!!」

「……」

「もう戻る気はないらしい!! ここに沈めていくか!?」


 キッドは奥歯を噛みしめている。


 鳴りやまぬ砲撃。傾く船体。


 ぐっと、なにかを決意したようなまなざしの後で、キッドは叫んだ。


「馬鹿野郎!! さっさと上がってきやがれ!!」


 キッドがそう叫んだ瞬間。私の体はふわりと浮いた。


 とっさに瞑った目を開いたときには、私はキラーさんと甲板に着地していた。


 こんな状況だというのに、キッド海賊団の船員たちはぴゅーっと口笛を鳴らしている。


「こんなとこ、とっととずらかるぞ!! 野郎ども!!」


 海賊たちの「おう!!  キャプテン!!」という咆哮が、夜空に響いた。


 ――危険な世界だけど、キッドくんと一緒なら、大丈夫。元気でやりなさい。


 あのとき。


 母はきっと、分かっていたのだろう。私がもう、戻らないことを。


 私は自由だ。誰だってそう。誰の隣で生きるか。誰の腕の中で死ぬか。私が決める。決められる。


「おい!」


 鋭く声が走ってきて、私はキッドを見上げた。


「なにぼさっとしてやがる! とっとと銃でも砲弾でも持ってこい! ……***!」

「……!」


 名前……!


「はっ、はい!!」


 私は船内を駆ける。海賊として。


 敵船が海底へ沈む頃。新しい太陽が水平線から登った。


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