Another WORLD-18
部屋を出ると、船内は緊迫していた。
みんな、慌ただしく私の目の前を右へ左へ駆けていく。その手には、剣や銃などの武器が握られていた。
「***のいう通りだなァ。海賊船じゃあ、無事に送ってやれなんだ」
よく一緒に食事の準備をしていた船員が、通りすがりにそういって笑う。
戦場へと駆けていくその後ろ姿を見ていたら、涙が出た。
「感傷に浸るのは後だ。行くぞ」
キラーさんに手を引かれて、慌ただしい船内を駆け抜ける。
甲板へ続く扉が開かれる。
そこには――。
「キッド……」
夢と同じ。冷たい月に見下ろされている、キッドの背中があった。
黒いマントが、乱暴な潮風に踊らされている。赤い髪は、まっすぐ天へ。空も月も焼いている。
キッドは、少しだけこちらへ振り向いた。赤い瞳に、わずかに私の姿を映す。
ユースタス・キャプテン・キッド。海賊。私の幼なじみ。そして、
誰よりも、大切だった。
その、勇敢で剛毅な姿が、歪んでにじむ。
最後なのに。刻みつけたいのに。
どうしても、涙を止めることができない。
キッドは、ふ、と笑った。そして、
「幸せにやれ」
きこえるかきこえないか。とても小さな声で、そういった。きこえなくてもいいと、そう思ったのかもしれない。
なにかをいわなければ。でも、いったいなにを。
声の出し方を忘れたみたいに、私の口ははくはくと空気だけを吐く。
結局なにも告げられず、キラーさんに引きずられるようにして、私はヴィクトリアパンク号を、降りた。
*
思考が追い付かないまま、私はキラーさんのあとをただただ追った。走りながらヴィクトリアパンク号のほうを見れば、その向こう側から一際大きな船が一隻、ヴィクトリアパンク号に突っ込むような勢いで向かってきている。
「おそらく、格上だ」
「えっ」
キラーさんは走りながらいう。
「あの船を見たことがある。船長の懸賞金はキッドの上をいく。覇気も。どうやら、隠すつもりもないらしい」
「そ、そんな」
愕然としているうちに、見覚えのある船に辿り着いた。その船はすでに出航準備を始めていて、キッド海賊団とはまた違った雰囲気で慌ただしくしていた。
「あの海賊はおれたちが引き留める。おまえたちは反対側から、無事出航してくれ」
私を船に押し込みながら、キラーさんは船内にいる商人たちにそう告げる。
「キラーさんっ……! 待って」
「***」
私の声を遮って、キラーさんは私を見返した。
「大丈夫だ。キッドは負けない」
「……」
「アイツはいままでも、自分より強いヤツらを相手にして、勝って、のし上がっていったんだ」
「……」
「おまえは、おまえの幸せだけを考えろ」
「……」
「それが――」キラーさんは一呼吸置いて、続けた。「キッドの望みだ」
そういい残して、キッドの右腕はあっというまに戦線へと駆けていった。
呆然としているあいだに船は出航して、ヴィクトリアパンク号がどんどん小さくなっていく。
どんっ、と耳をつんざくような凄まじい音がして、海底が大きく揺れた。激しい波の揺れがこの船にまで追ってきて、私も商人たちも悲鳴をあげながら体をよろけさせる。
次々と夜の海に閃光が走って、真夜中とは思えないほど明るくなる。どうやら、敵の船が砲弾を打ち続けているようだ。もちろん、ヴィクトリアパンク号も応戦している。
「ひゅー。始まった始まった」
「間一髪。危なかったぜ」
「さァ。巻き込まれないうちに行くぞ」
後方で、商人たちが口々にいう。それが、次第にぼんやりと膜が張ったようにきこえなくなって、私の頭は真っ白になった。
――もうだめだ、ここで終わりだ。そう覚悟したとき、必ずアイツを思い出す。
――おれがいなくなった後の世界はどう変わるのか。その世界は、アイツが幸せに生きていける世界なのか。
――アイツ自身をみまもれなくても、アイツの生きていく世界はみまもっていきたい。アイツがどこかで、ガキでもこさえて幸せに暮らしていける世界。そんな世界であり続けることを、おれはこの目で確かめていかなきゃならねェ。
――幼なじみでも、恋でもねェ。かたちのない、大事なもんだ。アイツは。
私は、キッドの気持ちを無下にできない。
キッドのためを思うなら、これでいい。これでいいんだ。
砲撃の音が遠くなる。ヴィクトリアパンク号が。キッドが。もう、私の手の届かないところへ行く。
キッドのためを、思うなら。
じゃあ、
私の気持ちは、どこへ行くの。
そのとき。一際大きな砲撃の音が、骨の髄まで轟いた。
船が大きく傾いて揺れる。全員が、悲鳴をあげる間もなくその場に倒れ込んだ。
すぐさま、ヴィクトリアパンク号を見る。
船体の横っ腹から、黒い煙が濛々と立ちのぼっている。
額からつま先まで、さっと血の気が引いた。
「キッド……キラーさん……みんな……」
情けない声が、口からこぼれ落ちる。涙も、ぼたぼたと顎を伝って落ちていった。
「……止めて」
体が震える。
いや。ちがう。
魂ごと、震えてる。
「止めて……止めて……!! お願いっ……!!」
近くにいた商人の胸ぐらを掴んで揺さぶる。
「止めて!! 船を戻して!!」
「な、なにいってんだ! 見ろ! あの惨劇を! ありゃあもうだめだ……行けば巻き込まれて死ぬぞ!」
二発目、三発目と、砲撃の音はやまない。
ヴィクトリアパンク号の船体が、大きく左右へ振れたのを見た瞬間。
爆風に霧散されるがごとく、頭の中の靄がいっきに晴れて、クリアになった。
私の中に残った答えは、たった一つ。
「ごめんなさい!!」
「えっ」
「ありがとう!!」
「……!! おいっ……!!」
次の瞬間には、私はもう海へ飛び込んでいた。
服が重く、泳ぎにくい。海中で上着を脱ぎ捨てた。
無我夢中で、砲撃が鳴るほうへ泳いでいく。だけど、波の揺れがすごすぎて、とてもじゃないけど近づけない。
私はここで、溺れ死ぬかもしれない。
だけど、もう、それでもよかった。
故郷へ帰ったところで。キッドの望む人生を歩めたところで。
私の心は、きっと死ぬ。
あなたと離れたあの日から。
私の心は、死んでいたの。
「……!! ***……!? キッドの頭ァ!! ***が!!」
微かにその声がきこえた。必死に腕を動かしていたら、少しずつヴィクトリアパンク号に近づけていたらしい。
キッドが船上からカオを出す。
戸惑いや、焦り。それに、怒りが綯い交ぜになって、キッドはカオを真っ赤にして叫んだ。
「なにしてやがる……!! 戻りやがれ!!」
「戻らないっ!!」
自分の体からこんなに大きな声が出ることを、私はいま、初めて知った。
「戻らないっ!! 私はもう絶対に、キッドから離れない!!」
「……!!」
キッドのカオが歪む。
そのカオが、一瞬泣いているように見えて。
私の目から、ぼろぼろ涙が落ちた。
「一緒に来いって……いっでよっ、ギッド……」
「っ、」
「私、なんでもずるっ……ずるがらっ……」
海中で叫んでいるから、口にたくさん海水が入る。数回飲み込んでしまって、呼吸が苦しくなってきた。
縋るように伸ばした手が、何かに掬い取られる。
ざばっと体が宙に浮いて、見覚えのあるストライプの仮面が見えた。
「っ、キラーさんっ……」
ふ、と。仮面の中で、キラーさんが笑った気がした。
「どうする!? キッド!!」
「……」
「もう戻る気はないらしい!! ここに沈めていくか!?」
キッドは奥歯を噛みしめている。
鳴りやまぬ砲撃。傾く船体。
ぐっと、なにかを決意したようなまなざしの後で、キッドは叫んだ。
「馬鹿野郎!! さっさと上がってきやがれ!!」
キッドがそう叫んだ瞬間。私の体はふわりと浮いた。
とっさに瞑った目を開いたときには、私はキラーさんと甲板に着地していた。
こんな状況だというのに、キッド海賊団の船員たちはぴゅーっと口笛を鳴らしている。
「こんなとこ、とっととずらかるぞ!! 野郎ども!!」
海賊たちの「おう!! キャプテン!!」という咆哮が、夜空に響いた。
――危険な世界だけど、キッドくんと一緒なら、大丈夫。元気でやりなさい。
あのとき。
母はきっと、分かっていたのだろう。私がもう、戻らないことを。
私は自由だ。誰だってそう。誰の隣で生きるか。誰の腕の中で死ぬか。私が決める。決められる。
「おい!」
鋭く声が走ってきて、私はキッドを見上げた。
「なにぼさっとしてやがる! とっとと銃でも砲弾でも持ってこい! ……***!」
「……!」
名前……!
「はっ、はい!!」
私は船内を駆ける。海賊として。
敵船が海底へ沈む頃。新しい太陽が水平線から登った。[ 27/28 ][*prev] [next#]
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