Another WORLD-17

「えっ、本当ですか?」


 目の前の男性にそう返してから、私は隣に立つキッドへ視線を投げた。


 キッドは、私を見ることなく、あごに手を置いてしばらく何事かを考えていた。そして、カオを上げると「どのくらいで着く」と、その商人の男性に訊ねた。


「どうだろうなァ。何事もなければ、三ヵ月そこらでは着くんじゃねェかと思うが……」

「さ、三ヵ月……」

「それでもいいなら、こっちはかまわねェよ」


 そういいながら、金物屋の商人だという男性は手元の作業へ意識を戻した。航海をしながら売りさばいていくのであろう商品が、木箱や麻の布に収められていく。


 私は、男性が乗っている船をまじまじと見た。その側面には、この島の名前が筆記体で記されている。故郷で何度も目にしたことのある文字だ。


 決して、いまにも沈みそうなくらい小さい船、というわけではない。けれど、ヴィクトリアパンク号と比較してしまうと、どうしても心許なさは否めない。


 この島にはついさっき着いた。着いてすぐ「波止場に行ってみる」といった私に、キッドをはじめ、留守番組以外の全員がついてきてくれた。


 停まっている船を一隻一隻確認してみたところ、この船を見つけたのだ。


 ちょうど船内から出てきた男性に話を聞くと、運よくこれから私の故郷へ出稼ぎに行くらしい。乗せていってくれないかと頼み込んだところ、彼も、彼の仲間たちも、快く引き受けてくれた。のだが――。


 この船で三ヵ月。海賊がうようよいる、この新世界を。


 キッドが黙り込んでいることに気づいて、キッドの方を見やる。キッドは、あごに手を当てて、いまだ何事かを思案していた。その少し後ろで、キラーさんたちも難しいカオ(キラーさんは雰囲気だけ)をしている。


 あ、まずい。なんとなく、そう察知する。


 心優しい彼らが、今何を考えているか。手に取るようにわかったからだ。


 何かを決断したように、キッドがぱっとカオを上げて口を開きかける。


 それを遮るようにして、私は「ぜひよろしくお願いします」と、商人の男性にお辞儀をした。


「出発は日付が変わった午前一時だ。ここに停めておくから、遅れないでくれよ」


 じゃ、と、手を上げて去っていく男性の背中を見送って、キッドたちに向き直る。


 キッドもキラーさんもみんなも、私より不安げなカオをしていた。


「本当にこの船で行かせるのか?」いったのはキラーさんだ。私にではなく、キッドに向けていっている。「ヴィクトリアなら、三倍は早く着く」


 キラーさんの言葉に、キッドは鷹揚に頷いた。


「そうだな。やはり――」

「まっ、待って、キッド。キラーさん」

 二人の前に、慌てて立ちはだかる。


 頬はひきつっていたが、私は無理やりにでも笑ってみせた。


「大丈夫だよ。あの船は、故郷で何度も見てる。つまり、毎回無事に私の故郷に辿り着いてるってことでしょ?」

「そりゃあ、そうだが……」

「それに、こういったらなんだけど……この新世界で狙われる確率の高さでいったら、圧倒的に海賊船の方が高いと思う」


 私のその見解に、キッドもキラーさんも口を噤んだ。


「だから、大丈夫。私はこの船で帰るよ」

「……そうか」

「うん。ありがとう」


 私一人のために、キッド海賊団が航路を変更するなんてこと、あっちゃいけない。


 みんなの、キッドの邪魔にだけはなりたくない。絶対に。


「出航は見送る。それまではヴィクトリアにいろ」


 マントをばさりと翻したキッドがそういう。


「えっ。でも――」

「船長命令だ」


 キッドの歩みが止まる。カオはみえない。


「おまえはまだ、おれの船の船員だろ」

「……」

「それまではここにいろ」

「……」

「いいな」


 去っていく精悍な背中に、「ありがとう」。そういって、頭を下げた。



 すっかり見慣れた天井をじっと見つめながら、海の声を聴いている。


 ベッドに潜り込んでしばらく経つけれど、どうしたって眠れるはずもない。


 船内は静まり返っていた。私の旅立ちの日なのだからと、宴をやろうといってくれた船員たちが幾人かいたが、『スムーズな出航にしたい。火種になりかねないお祭り騒ぎは無しだ。残念だがな』といって止めたのはキラーさんだった。その後ろで、キッドが小刻みに頷いていた。


 闇に目が慣れてきて、ぼんやりと視界の淵が白くなる。その曖昧な線に、今日までの出来事は本当に現実だったのだろうか。もしかして全部、私の願望だったんじゃないか。そんなふうに思う。


 いろんなことがあった。本当に。人攫いに遭い、船で運ばれ、ヒューマンショップに売り飛ばされ、海賊に買われ、船を抜け出し、そして――。


 手を伸ばして、ベッドのすぐそば、木の壁に触れる。暖かい。ヴィクトリアパンク号。ここに辿り着くなんて、誰が想像しただろう。


 だけど、それももう終わり。あと数時間後には、私はこの船にはいない。一生、出会うこともない。――もう二度と。


 ぱっと、ヴィクトリアから手を離す。頭の上まで布団を被った。


 たった、数日のこと。これから何十年と続く長い長い道のりの、ほんの一部。


 大丈夫。いい思い出にできる。大丈夫。大丈夫。


 この感覚に、既視感を覚える。


 そうだ。私は何度も、こんな夜を過ごした。キッドがいなくなってから、ずっと、ずっと。


 何をそんなに言い聞かせてるの。自分に。大丈夫、大丈夫って。どうしておまじないのように唱えてるの。


 私、本当はどうしたいの。


 あの日、キッドがいなくなった日。


 私、本当は、どうしたかったの。


 ばんっ、と大きな音がして、はっと息を止める。


 大きな、強い潮風が吹いて、窓を叩いたらしかった。


 ばくばくと鳴る心臓をおさえて、息をつく。どうやら眠りの入口にいたらしい。いまのですっかりと目が覚めて、先ほどのぼんやりとした自問自答にゆっくりと首を振った。


 私は、キッドの気持ちを、思いやりを。無下にはできない。したくない。


 これでいいの。これで。


 ……そうでしょう?


 布団に潜って、目を瞑る。


 まぶたの裏に映っているのは、船首で冷たい月に見下ろされるキッドの後ろ姿だった。



 ***。――***。


 意識の遠くから、くぐもった声がきこえてくる。


 それが、駆けてくるように、川の急流のようにいっきに近くなって、私ははっと目を開けた。


 途端、口を誰かに塞がれる。


 暴れはじめた私に、「落ち着け。おれだ」と聞き慣れた声がした。


 正体を認めて、ぴたりと動きを止める。それを見届けてから、キラーさんはそっと私の口から手を離した。


「キ、キラーさん? 一体どうし――」


 キラーさんは、人差し指を唇の前に立てた。静かに、ということらしい。


 途端に、胸中に嫌な予感が広がる。


 次のキラーさんの言葉で、その予感が的中したんだと知った。


「敵船が近づいてる。予定より早いが、もう出るぞ」


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