純情悪魔

「おい」

「っ、ひっくっ」

「……おい、***」

「……! きっ、キッド……! キッドおおおおおっ!」

「おわっ! てめェ抱きつくんじゃねェ! あっ、鼻水つけんなこの野郎っ」

「ごわがっだよおおお……!」

「おれはおまえのそのカオのほうが怖ェ」

「だっでっ、だっでっ」

「ったく、こんなちんけなお化け屋敷で迷子になるとか、バカじゃねェのか」

「だっでっ、まっくらなんだもんっ、おばけでるしっ」

「ぶっとばしゃいいだろ、んなもん」

「お、おばけだからさわれないんだよっ。キッドだってかてないよっ」

「バーカ、おれがお化けごときにやられるか」

「きっ、きっど、おばけにかてるの……?」

「……あたりまえだろ」

「すごい! キッドはつよいね!」

「あァ、おれはだれよりも強ェ」

「じゃあっ、じゃあわたしっ、おおきくなったら――」










 なにが、「大きくなったらキッドのお嫁さんになる」だよ。


 今じゃ、おれと目も合わせねェくせに。


 幼稚園の頃の戯言に、いつまでも付き合ってられっか。


 おれは、おまえみてェな面倒な女は嫌いなんだよ。


 あんな女と、"幼なじみ"なんて関係があるだけで、おれの人生の汚点だ。


 だから……だからよ、


 いい加減、夢にまで出てくんのはやめてくれ。


「キッド?」

「……あァ?」


 その呼びかけにうっすらと目を開くと、薄暗い室内の中で心配そうに眉を寄せる女のカオが目に入った。


 ラブホテルってェのは、どうしてこう内装が下品なんだ。


 まァ、下品なことをするところだからか。


「なんかうなされてたみたいよ? 大丈夫?」

「うなされてた? おれが? ふざけたこと言ってんじゃねェよ」

「お、怒らないでよ、怖い子ね」


 そう言って、女はキッドの唇にキスをした。


「携帯がずっと鳴ってたわよ」


 その女の言葉に、キッドは携帯を手に取って着信の相手を確認する。


「ふふっ、恋人?」

「あァ……ったく、うぜェな」

「あなたのこと、とっても好きなのね」

「ふん、くだらねェ」


 そう吐き捨てるように言うと、キッドはベッドから出て煙草に火をつけた。


「私帰るわね。あの人にバレたら殺されちゃう」


 下着を身につけながら、女はそう言った。


「ヤクザの組長ともあろう男が、自分の女の不貞に気付かねェたァ笑わせるな」

「なに言ってるの、バレたらあなたもただじゃ済まないわ」

「その時はおれがそいつを殺すまでだ」

「もう、またそんな怖いこと言って……」


 ぶつぶつと不満げにそう口にする女を横目に、キッドは口の端を上げる。


 いっそ、バレりゃいい。そしたら、多少の暇つぶしにはなる。


「じゃあ、またね」

「気が向いたらな」

「……ほんと、悪い子ね」


 そう困ったように笑うと、女は足早に去って行った。





「おはよー!」

「ねェ、昨日のテスト大丈夫だった?」

「私赤点ー!」

「うっそォ!」


 耳に届く平和ぼけした会話の内容に、キッドは大きく舌打ちをしながらいつもの定位置へ向かう。


「あっ、頭! おはようございます!」

「おいっ、頭が来たぞ! 道開けろ!」

「頭ァ! おれ昨日めっちゃイイ女とヤったんすよォ!」


 四方八方から掛けられる声に相槌だけで適当に応えると、キッドはいつもの位置に座り込んだ。


「今日は少し早いんじゃないか、キッド」

「おう、キラー。もうあの女もだめだな、男にビビってやがる。早々に帰りやがった」

「そうか、それはよかった」

「あァ?」

「おまえの面倒に巻き込まれるおれの身にもなってくれ。もうやっかいな女に手を出すなよ」

「おれに指図してんじゃねェよ。……おい、ところで」

「八時十三分だ」

「……そうか」


 もう少しだな。


 そう心の中で呟くと、キッドはその方向へ視線を向ける。


 その一分後――。


「……!」


 俯き加減で現れた、一人の女の姿が目に入った。


「あいつ今日寝坊しやがったな。見てみろキラー、あのひでェ寝癖」

「……」

「あいつはガキの頃からそうなんだよ。寒ィと目覚めが悪くてな」


 そう言いながらうれしそうに口元を緩めたキッドに、キラーは大きくため息をつく。


「おれはおまえがよくわからない」

「あァ? なにが」


 そう答えながらも、キッドの意識はいまだその女から離れることはない。


「……いや、もういい」

「なんなんだよ、おまえは」

「キッド……!」


 突然、キッドとキラーの耳に、女のヒステリックな声が届く。


「あァ? なんだようるせェな」

「昨日何回も電話したのよっ! どこ行ってたのっ?」


 そう興奮気味に現れたのは、キッドの恋人だった。


「いちいちうるせェんだよ、てめェは」

「浮気してたんでしょっ! 私知ってるんだから! キッドが年上の派手な女と会ってるの!」

「知ってんならいいじゃねェか。昨日もその女だ」

「なっ……! なによそれっ」

「わかったらとっとと失せろ。てめェの身体はもう飽きた」

「ひっ、ひどっ」

「おい、キッドが暴れだす前に去ってくれないか。おれが面倒になる」

「っ、」


 キラーのその言葉に、女は怯えた表情を見せながら走り去っていった。


「ったく、なんでこう女ってのは面倒くせェんだ」

「おれから言わせればおまえのほうがよほど面倒くさい」

「あァっ? んだとキラー!」

「いいのか? 寝癖女が教室に入っていくぞ」

「……!」


 キラーのその一言に、キッドは慌ててその方へ視線を戻す。


 それと同時に、女は自分の教室へと姿を消した。


 くそっ、今日はあんまり見れなかったな……。


「……行くぞキラー」

「幼なじみのストーキングは終わりか」

「誰がストーカーだゴラァ!」

「? 違うのか」

「誰があんな辛気くせェ女!」

「そうか」


 ったく、ふざけたこと言いやがる……。


 おれは、派手でエロい女しか相手にしねェんだよ。


 誰が、


『おおきくなったら、キッドのおよめさんになる!』


 ……誰があんな約束、いつまでも信じるってんだ。


「あいつだって、もう覚えてねェよ……」


 そう寂しげに呟いたキッドの後姿がいやに小さく見えて、キラーは人知れずため息をついた。


純情悪魔


 あんな女、好きじゃねェよ。


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