Another WORLD-15

 数日後、船は一時的に孤島に停泊した。ナズナの気分転換が目的だということは、キッドがそういわないまでも手に取るようにわかる。再会して数日の私にわかるのだから、キラーさんをはじめとした船員たちも当然のように理解したはずだ。


 降り立った島は夏島の海域だった。からっと暑くて気持ちがいい。みんな水着を持っているらしく、それを着て楽しそうに泳ぎはじめた。


「キッドー! キラー! 一緒に泳ぎましょうよ!」


 ナズナが沖から手を振りながらまぶしい笑顔でそう叫ぶ。水着なんて必要のない彼女は、一等先に海へ飛び込んでいった。


 砂浜に現れたキッドが大きく舌打ちをする。


「まーたあいつはあんな無茶を……」

「おまえにかまってほしいんだろう」

「……ったく」


 キラーさんの一言に、悲喜こもごも、ならぬ怒喜こもごもな表情をうかべて、キッドは海へ向かった。向かったとはいっても、キッドは悪魔の実を食べているので海水に浸かれない。キッドが波打ち際まで来たのを見たナズナは、うれしそうに沖から戻ってきた。


 キッドの水着はみんなのようなうかれた水着ではなく、濡れてもいいようなハーフパンツだ。あらわになった筋肉隆々な上半身は、私には刺激が強すぎて直視できない。


 水着、持ってなくてよかった……。


 上陸してすぐは水着を持っていないことを嘆いたけれど、ナズナのほっそりとしたスタイルやキッドたちの引き締まった体を見たあとでは、とてもじゃないけれどこのふよついた肉体をさらすなんてできない。水着を持っていたところできっと着られなかっただろう。


 波打ち際からナズナの笑い声がする。彼女はキッドの肩に担がれて子どものようにはしゃいでいた。


 いいなァ……。


 ついそんなふうに思ってしまって、はっとする。


 ふたりの姿が見えなくなる場所まで行こうと、木が生い茂る森のほうへと歩いた。





 奥へ進めば進むほど濃くなっていく、湿った木と土の匂い。木々のざわめきが近くなって、海賊たちのはしゃぐ声は遠のいていった。


「わあ……」


 辺りを見渡すと、木漏れ日が美しかった。森の中が薄暗いからか、余計に神秘的に見える。故郷にも森はあるけれど、こんなに綺麗な景色は見たことがない。


 葉と葉の間から光が差すさまも美しい。頭上を見上げながら歩いていたら、思いきり何かにつまずいた。


 あっ、と声が出る。転倒してしまう前に、がっしりとした何かにお腹を支えられた。


「きちんと前を見て歩け」


 驚いて見上げると、背後にはいつのまにかキラーさんがいた。大木のような腕で、私の決して軽くはない体を軽々と支えている。


「すっ、すみません……!」

「……」

「ありがとう、ございます……」


 腕を離すと、キラーさんは先ほどの私と同じように頭上を見上げた。そして、仮面の中で小さく、ほう、とうなる。


「なるほど。なかなかいい眺めだ」

「そう、ですよね」


 表情は窺えないけれど、キラーさんから柔らかなオーラが発せられているのがわかる。じんわりとした太陽の白線が、キラーさんの髪の上でキラキラと反射した。


 見かけによらず、穏やかな人なんだな……。


 仮面の横顔を盗み見ながら、そんなふうに思う。


 するとキラーさんは、あるところで視線を止めた。おもむろにかがむと、足元で咲いている花に手を伸ばす。サンパラソルのような少し大ぶりの赤い花。いかにも夏島の花という容貌だ。


 一輪、繊細な手つきで摘むと、キラーさんは私のほうへ手を伸ばしてきた。左側の髪を耳にかけて、耳の上に花を挿す。


「水着が着られないんだ。これくらいは着飾ってもいいだろう」


 仮面の中でふっと笑う。


 キラーさんは、そのまま浜辺のほうへ踵を返した。


 カオが真っ赤になっていくのがわかる。こんなこと、男の人にされたこと、ない。


 もしかして、私が落ち込んでいることに気づいてくれたんだろうか。さすがキッドの右腕的存在。……モテそう。


 軽薄な感想を抱いてしまって、小さく首を振る。彼のあとに続いて私も浜辺へ戻った。





「あらっ。そのお花素敵ねっ、***。よく似合っているわ」


 浜辺に戻ると、ナズナは髪を拭いていた。私の左耳に飾られたお花を見て、目を輝かせる。


「あ、ありがとう……」

「どこで摘んだの?」

「あ、ええっと」

「森の奥のほうだ」


 答えたのは私ではない。キラーさんだった。


「えっ。まさか……キラーが***に花を贈ったの?」


 ナズナがそう問うと、みんなが一斉にキラーさんを見る。


 体を拭いていたキッドも、ぴたりと手を止めた。


「あっ、いやっ。そんな大げさなものじゃ――」

「おれが女に花を贈ったらおかしいか」


 慌てた私の言葉を遮って、キラーさんがいう。


 船員たちはカオを見合わせて驚いていたし、ナズナは宝石のように瞳をきらめかせて両手を組んだ。


「素敵っ。少し会わないあいだにそんなにロマンチックなひとになってたなんてっ」

「キラーさんが女に花やるなんてなァ」

「***。おまえどんな手使ったんだ?」


 近くにいた船員さんにそう問われて、慌てて首を振る。


「そ、そんな。わたしはべつになにもっ――」

「そいつと馴れ合うな」


 するどく切り込んでくる、重たい声色。私たちは自然と発言者のほうを見た。


 キッドは体を拭きながら、こちらを見ずに続けた。


「そいつはずっとこの船にいるわけじゃない。いずれいなくなる人間とへらへら馴れ合うんじゃねェ」

「ちょっとキッド! そんな言い方っ――」

「やめろ。ナズナ」


 止めたのはキラーさんだ。自分のことをいわれているにもかかわらず、私は身動き一つとれない。


 キッドは私に一瞥もくれず、船のほうへ戻っていった。





「あんな言い方ってないわっ。ほんと、言葉を選べないひとなんだからっ」


 孤島から出航してなお、ナズナはいわれた本人よりも怒ってくれていた。海水を洗い流したあとの生乾きのブロンドから、あまい香りが漂う。


 当の本人――私はといえば、キッドにあんなふうにいわれてどう思ったのか、自分で自分がわからなかった。喜怒はもちろんないけれど、哀しさもないのが自分でも不思議だ。


「ははっ。でもまあ、事実だしね。私はいずれ、この船下りるから」

「そんな……。キッドにいわれたことなら気にしないで、***もずっとここにいましょうよ? そうだっ。私も一緒に直談判しにいくわっ」


 いまにも船長室に乗り込みそうな勢いのナズナを慌てて制する。


「ナ、ナズナ。いいのいいの。ほんと」

「でもっ――」

「親も心配してるから、私は帰らないと」


 そう告げると、ナズナははっとしたように口を噤んだ。そして、罰が悪そうに視線を床に落とすと、小さく「ごめんなさい」という。


「そうよね。私ったら***のご家族の気持ちも考えずに……」

「ううんっ。ナズナが怒ってくれて、うれしかった。ありがとう」

「***……」


 私をみつめるオリーブ色の瞳が、夕焼けに照らされてキラキラしている。オーロラ色の鱗も、この世のものとは思えないほど美しく揺らめいていた。


「この広い海の上で、***に出会えてよかった」


 カナリアの声でそうつぶやいて、私の肩にもたれかかるナズナ。


「うん。私も」


 そう告げると、ナズナは肩口でくすぐったそうに笑った。


 こんなの、私でも恋におちちゃう。


 この瞬間、私はようやくこの恋をあきらめられると、心の底からほっとした。


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