Another WORLD-14

 キッドのあの血相を見たら、とてもじゃないけれどのんきに船になんて戻っていられない。私は慌てて彼のあとを追った。


 けれど、全速力のキッドに私が追いつけるはずもない。途中からは、騒ぎを聞きつけた住民たちについていくようなかたちで目的地へ向かった。


 たどり着いた先は浜辺で、その一角に黒山の人だかりができている。


「人魚だっ」

「本当だ、本物だっ」

「知ってるか? 人魚の肉を食うと、不老不死になれるらしい」


 住人たちの噂話に、ぞっと身の毛がよだつ。尾ひれがある以外、自分たちとほぼ変わらぬ見た目だというのに、それを食べるだなんて、本気で言っているのだろうか。


 人の波を必死でかき分けて、騒ぎの中心へ向かう。人だかりをようやく抜けると、そこには住民たちと睨み合うキッド、そして、気を失ったままキッドに抱きかかえられている人魚がいた。


 やっぱり……! あの子だ!


 キッドの腕に宝物のように収められた人魚は、予想した通り、ヒューマンショップで出会ったあの人魚だった。美しいウェーブのかかったブロンドには、惨たらしく赤黒い血がこびりついている。人に傷つけられたのか、傷を負ったから流れ着いたのか。どういう経緯かはわからないけれど、早急に手当てが必要なのは一目瞭然だった。


「海賊風情が、偉そうに……! どうせ、人魚の肉を売りさばくつもりだろっ」

「そうだそうだ! その人魚は、おれたちの街に流れ着いたんだぞ!」

「どう扱うかは、おれたちに任せてもらうっ」


 四方八方から浴びせられる罵詈雑言に、キッドは無表情を貫いている。


 だけど、私にはわかる。あれは、キッドの血管が切れる、数秒前の沈黙だ。そして、血管が切れたあとのキッドは、私には手がつけられない。


 視線を走らせてキラーさんを探す。きっと、キッドを止められるとしたら彼だけだろう。けれど、あんなに目立つストライプの仮面は探し出せない。


 ――ぷっつん。


 ついにその音がして、私は無意識にキッドの前に躍り出た。


「この子っ、私の友だちなんです……!」


 自分でも驚くほど大きな声が出て、辺りがしんと静まり返る。


 今がチャンスとばかりに、私は矢継ぎ早に話しはじめた。


「私は、その、この海賊の人と一緒に来たんですけどっ、そしたら、今人魚の噂を街で聞いて、もしかしたら私の友だちかもって、そしたら、やっぱり友だちで、だから、売りさばくなんてことは考えてなくて、ただ助けたいだけなんですっ」


 うまく説明できた自信はまったくなかったが、住民たちは互いに困ったように顔を見合わせた。もしかしたら、海賊にかっさわれることがおもしろくないだけで、本当にこの子を殺して食べてしまおうなんて思っていないのかもしれない。


 さらに言葉を重ねようと、口を開きかけたとき、


「やめておけ」


 と、静かな声がして、私たちは一斉に声のしたほうへ振り向いた。


「浅はかなことに目を輝かせるでない。恥を知れ」


 現れたのは、一人の老人だった。あごには立派な白いひげを蓄えている。杖をついてはいるが、その足取りはしっかりとしていた。


 住民たちが慌てて道を開ける。どうやら、この街一番の権力者のようだ。


 彼は、私とキッドの前に立つと、静かに口を開いた。


「すまんかったな。早く手当てをしてあげてくれ。もし薬が足りないようなら、私のところを訪ねてくるといい。居場所は、どの住人に聞いてもらってもわかる」

「あ、ありがとうございます……」


 私がそう礼を言うと、老人は小さく微笑んで踵を返した。


 やがて、蜘蛛の子を散らすように浜辺から人がいなくなって、私たちは急いで船へ戻った。





「どうだ?」


 キッドが、深刻な表情で船医に訊ねる。


 船医は、キッドとは真逆の表情で言った。


「問題ない。出血はひどいが、傷自体はそんなに大きくもないし深くもない。きっと脳震盪でも起こして気を失っているだけだろう」


 その言葉に、キッドが安堵したように息をつく。私も、無意識に入っていた肩の力を抜いた。


 船医が治療をすると言うので、私とキッドは医務室を出た。なんとなく重苦しい沈黙が、二人の間に流れる。


「……あの」

「世話かけたな」


 そう言うと、キッドはコートを翻して去っていった。





「ナズナは昔、この船に乗ってたんだ」


 船が出港して、夕飯の支度をしているとき、私はそれとなしに船員に彼女のことを訊ねてみた。さっそく、初めて聞いたナズナという名前が飛び出してくる。


 じゃがいもの皮をむきながら、船員は続けた。


「だけど、キッドの頭が最悪の世代と呼ばれるようになって、さらに強敵に狙われるようになって……。危ないからって、頭に船を無理矢理下ろされたんだ」

「その、ナズナさんは、キッドの……その……」


 歯切れ悪くそう訊ねる。聞きたくないけれど、あのキッドの様子を見ていればわかるし、早いうちにはっきりさせたほうがいい。


 船員は、少し困ったように笑って、言った。


「元恋人だ」


 ……やっぱり。


 私はカオを俯かせた。手に持ったにんじんの上に、見たこともないのに二人が見つめあっている姿が浮かぶ。


「まさかまた、この船に戻ることになるとはな。まったく……人生なんて、どこでなにが起こるかわかったもんじゃねェ」

「そう、ですね」


 沈んだ声で答えた私に、船員は何かを言おうと口を開きかけた。が、かける言葉がみつからなかったのか、すぐに口を噤んで私のそばを離れた。


 海賊と人魚の恋、か……。すごい。絵本みたいにロマンチック。


 そんなふうに思って、また勝手に落ち込んだ。





 扉の前で深呼吸をした。お腹の底に、鉛のような空気を入れる。じゃないと、二人の姿を見たら、あっというまに倒れてしまいそうだ。


 意を決して、ノックをする。


「入れ」


 低い声でそう返ってきて、私は「失礼します」と言って静かに扉を開けた。


 目に飛び込んできたのは、ベッドの上の美しい寝顔。そして、その傍らに寄り添うキッドの姿だった。


「あ……ええっと、船医さんに、これ、持っていくように頼まれて……」


 手に持ったガーゼの束を持ち上げる。なんとなく、キッドのカオが見られない。


「……なにしてやがる」

「はっ、はい?」

「入れと言っただろ」

「あ……は、はい。じゃあ」


 お邪魔します、と小さな声が出る。ほんと、とんだお邪魔虫気分だ。


 椅子に座ったキッドの横に立つと、私はナズナさんのカオを覗いた。血の気のなかった頬には、今は赤みがさしている。


「寝て、ますね」

「あァ」

「大丈夫、そうですね」

「あァ」


 そのまま二人、黙り込む。私は咳ばらいをすると、じゃあ、と言って立ち去ろうとした。


「さっきは助かった」


 弱気な声が追ってきて、私は足を止めた。


「……え?」

「おまえが出てこなかったら、おれはあそこで暴れてた。そして、そんなことをしているうちに、ナズナは出血多量で危なかっただろうよ」


 キッドが、首を回して私のほうを向く。その真摯な視線に、はっと息をのんだ。


「だから、助かった。ありがとうな」


 なんて答えていいか、わからなかった。あのキッドが、お礼を言うなんて。


 それほどまでに、この子が大切だということだろうか。


「いや……そんな、私は……」


 キッドの視線から逃げるように、視線をさまよわせる。ふと、キッドの机の上に目がいった。


 小瓶に入っている、プラスチック片のようなもの。それを見て、私の体には電流が走った。


 あれは、鱗だ。しかも、あのオーロラ色は、間違いなく、人魚の……。


 ――会いたい人がいて、旅をしていたんだけど……。

 ――彼のように、強く生きていきたかった。

 ――私、最後の最後まであきらめない。例えどんな目に遭っても、彼の腕にまた抱かれる日が来ること、ずっと……ずっと信じてる。


 あの日の彼女の言葉が、走馬灯のように蘇る。


 そうか。あれは、キッドのことだったんだ。そして、キッドもずっと、彼女のことを想っている。


 二人は、こうなる運命だったんだ。


「おい。……おい」

「……え」

「なんだ。急に黙り込んで」


 そういえば私、キッドにまだ名前を呼ばれていない。


 果たして彼は、私の名前を覚えているのだろうか。


「いえ、その……失礼しますっ」


 倒れこみそうになって、私は逃げるようにして部屋を出た。





「まさかまた、あなたに会える日がくるなんて……。ほんと、夢みたいだわ」


 ブロンドの髪を潮風になびかせて、彼女は言った。青い空の下で聞くと、声はカナリアのようだ。オーロラ色の鱗が、キラキラと陽の光を反射している。


 彼女が「あなた」と言ったのは、キッドのことではない。


 私も、彼女に微笑み返した。


「ほんとですね。お互い、無事でよかった」

「ふふっ、ほんとね」


 頭にまだ包帯を巻かれた状態のまま、ナズナは無邪気にそう笑った。


 ナズナが目を覚ましたのは、彼女を助けた日の夜のことだった。


 目を覚ました途端、彼女はパニックを起こして半狂乱で暴れた。おそらく、ヒューマンショップに売られたことがひどいストレスで、トラウマになってしまったのだろう。


『ナズナ』


 キッドが現れて、そう名前を呼んだ瞬間。彼女は、電池を抜かれたおもちゃのようにぴたりと動きを止めた。そして、キッドの姿を瞳に映した途端、子どものように泣きじゃくって、キッドの腕に縋りついた。


 そんな彼女を、キッドは優しく抱きとめていた。


「災い転じて福となすって、こういうことを言うのかしら」

「……えっ」


 回想に耽っていた私は、反応が一瞬遅れた。


 ナズナは、そんなことは気にかからなかったようで、うっとりと目を細める。


「まさか、私を助けてくれたのがキッドだなんて……。ほんと、運命だわ」


 運命、と億面なく口にする姿が、これほど似合う女性がいるだろうか。彼女は、人魚ということを差し引いても、じゅうぶんに美しい。


「こんなところにいやがったのか」


 清廉な彼女に不似合いの乱暴な言葉が聞こえてきて、私たちは同時に声のしたほうを見た。


「キッド!」


 呼んだのはナズナのほうだ。呼ばれた彼も、用があるのは彼女のほう。


 私は、途端に居心地が悪くなった。


「まだ全快ってわけじゃねェんだ。おとなしく寝てろ」

「外の空気を吸いたかったの」

「窓開けりゃいいだろ」

「あんな小窓からじゃ、潮風を感じられないわ」

「ったく。わがままばっか言いやがって……」


 かわいらしい言い合いをしながら、彼女をその逞しい腕に抱え込む。彼女も、おとなしく彼に捕まった。


「治ったら、一緒に海を泳ぎましょうね。***」


 手を振った彼女に、笑顔で手を振り返す。


 きちんと笑えているか、私はそればかりを心配した。


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