Another WORLD-13
「今日、この先の島に上陸する」
海賊生活二日目の朝。
みんなと一緒に食堂で朝食を摂っていると、キッド――もとい、船長がそう言った。
「今日、ですかい?」
「でも、島へはこの前上陸したばかりだから、食料も何も――あ」
ひとりの船員が、そこで言葉をきって私のほうを見る。すると、他のみんなも倣うようにして同じ動きをした。
私以外のみんなが、同時に顔を見合わせる。そして、
「了解です!」
「上陸準備しておきますっ」
と、口々にそう返事をした。
どうやら、私だけが流れについていけていないようだ。
ひとりおろおろしていると、キッドが私を一瞥して、ふんっ、と鼻を鳴らした。
そして、手近にあったパンを鷲掴みすると、食堂を出ていってしまった。
「おまえのためだぜ、きっと」
「……えっ?」
驚いて、そう聞き返す。
海賊たちはニッと笑った。
「おまえ、何も持ってねェだろ?」
「え?」
「ほら。服とか靴とかさ」
「……あ」
そういえば、と思って、今着ている、キッドに借りたままの服を見る。
「なんでも好きなの買ってもらえよ」
「そうそう。この前敵船で宝かっぱらったばっかりだから。金持ってんぜー、キッドの頭」
確かに、ずっと人様の洋服(しかもキッドの)を借りておくわけにはいかない。
仮に、返す必要がなくて、これを着ていていいにしても、替えがなければ洗うことができないのだから、私はまた薄汚い状態に逆戻りしてしまうだろう。
蘇る悪臭の悪夢……。ここは、お言葉にあまえることにしよう……。
昨日の、お風呂に入る前のキッドとのやり取りを思い出して、含羞のあまり赤面する。
ふと、視線を感じてカオを上げると、みんながニヤニヤしながら私を見ていた。
「なっ、なんですかっ」
嫌な予感がして、思わず噛み付くようにそう問う。
「いやー? べっつにー」
「なァ? 他意はねェよなァ?」
「ただ、恋っていいなーって思っただけで」
(今は)そんなんじゃなかったのに、からかい口調の海賊たちに、ますますカオが熱くなってくる。
「だっ、だからっ、違いますったら」
「さー、上陸の準備準備」
「ちょっと……!」
「あー、忙しい忙しい」
私ひとりを取り残して、みんなはいそいそと上陸準備を始めた。
か、完全に遊ばれている……。
火照ったカオを手うちわで冷ましてから、私もみんなに倣って準備を始めた。
*
船長室の前に立つと、きゅっとお腹が痛くなる。おそらく、緊張しているのだろう。
意を決して、扉をノックする。
入れ、と返ってきたので、私は扉を開けた。
「し、失礼します……」
訪問者の正体がわかっていたのか、キッドはこちらを振り返らない。机の上を、何やらごそごそと漁っている。
「あの……お呼びでしょうか?」
そう。なぜ私が船長室を訪れたかというと、何やらキッドが私を呼んでいるらしいと、一番若手そうな海賊の子に言われたからだった。
キッドはくるりと振り向くと、私に向かって何かを投げた。
わわっ、と声を上げて、慌ててそれをキャッチする。
「遣え」
そう言ったっきり、キッドはまたくるりと背を向けてしまった。
手の中に収まったそれを見る。
ずっしりとした重さ、ジャリジャリとした音、手のひらに伝わる形。
そのすべてが、これはお金だと物語っていた。
「あっ、ありがとうございます。でも、こんなには――」
「別にここで全部遣うことはねェだろ。余ったら持ってろ」
でも、さすがにこの量……。
と、喉のすぐそこまで出かかったが、水掛け論になりそうな気配がしたので、結局そのまま素直に受け取った。
そして、いまの私には、キッドに話さなければならないことが、一つある。
意を決して、私は口を開いた。
「あっ、あのっ。実は、もう一つ、その……お願い、がありまして」
「……あ? お願い?」
威圧感のある眉間と声色に、思わず決意が怯む。
けれど、他の船員に頼むのはそれはそれで憚れることなので、ぐっと勇気を振り絞って言った。
「あの、ほんと、なんでもいいんですけどっ。短めの、そのー、ハーフパンツとか。使わないもの、持ってますか?」
「短めの、ハーフパンツ……?」
キッドが、怪訝そうに眉間の皺を深くする。
「も、もしくは、あの、布、とかでもいいんですけどっ」
「あァ? 何に使うんだ、んなもん」
「それは……その……」
「なんだよ、はっきり言えっ」
「下着がっ」
強めの口調で詰め寄られたもんだから、驚いて思わずそう声に出る。
キッドは、少し呆気に取られたカオで、
「下着?」
と、言った。
「はい。その……下着が、ないんです」
「……」
「実は今、その……下着、つけてなくて……」
「……」
「昨日のお風呂上がりのさっぱりした体に、あの下着をつける気には、その……どうしてもなれなくって……」
「……」
「上は、あの……大丈夫だと思うんですけど……さすがに、下は……」
話しているうちに、下着をつけていないことを強く意識してしまって、おのずと身が捩る。
しばらくのあいだ、固まったように動かなかったキッドは、ひとつ咳払いをすると、
「これでいいか」
と、クローゼットの中から、黒のハーフパンツを取り出した。
受け取って、まじまじと見る。これなら、ウエストを何重にも捲れば、ずり落ちてはこないかもしれない。
「あ、ありがとうございます。ほんと、すみません……」
「おら、さっさと履け。行くぞ」
「えっ」
キッドが背を向けたタイミングで、急いでハーフパンツを履きながら、私は聞いた。
「キッド、船長も、一緒に行くの? ですか?」
焦ってしゃべったから、変な話し口調になる。
キッドは私を一瞥すると、深いため息をついた。
「んな格好でひとりでフラフラ歩いてたら、男にやられるだろ」
「やらっ、ええっ?」
「挙句、ノーブラノーパンとはな」
「なっ、ノ……!」
「茂みにでも連れ込まれたら、三秒で処女喪失だ」
「……!」
ついに言葉を失った私を追い越して、キッドは「おら、行くぞ」と、さっさと部屋を出ていってしまった。
「しょ、処女のところは忘れてよ……」
誰もいない船長室でひとり呟くと、私は駆け足でキッドの背中を追った。
*
停泊した街は、広すぎず狭すぎず、ちょうどいい広さだった。お店の数も、少なくはないけれど、多すぎることもない。あまりにも店数があると、それはそれで迷ってしまいそうだったので、今の私にはこのくらいの規模がありがたかった。
この街で一番大きな服飾店に入ると、動きやすそうなデザインの、サイズが合う服を数点選んでいった。靴も、攫われたときに履いていたのがヒールのないパンプスだったので、船内を走り回れるよう、スニーカーを買った。
比較的大きなお店なので、下着も売っている。普段なら惹かれるような繊細なデザインには目もくれず、こちらも動きやすさ重視のスポーティーなものを選んだ。
二十分程度で買い揃えて、お店を出る。
辺りを見回すと、少し離れたところの壁に寄りかかっているキッドの姿を発見した。
「おっ、お待たせしましたっ」
紙袋をガサガサ揺らしながら駆け寄っていく。
キッドは、私の格好をじっと見た。
「あ……。借りた服ずっと着てたので、お店で着替えさせてもらいました」
「……」
「し……下着も着けました」
「……そこまで聞いてねェよ」
呆れ顔をしながら、壁から体を離す。
キッドは、長い脚でスタスタと行ってしまった。
「あっ、借りた服、洗って返しますっ」
「いらねェよ。着るなり捨てるなり好きにしろ」
「え、じゃあ、着ます」
「……ふん」
小走りでキッドについていきながら、大きな背中を見上げる。
男の人とデートとか、したことないけど……。こんな感じなのかな。
初めてのデートがキッドで、うれしい。……なんちゃって。
浮かれきって思い上がったことを考えていると、周囲の街の住民たちが、にわかにざわつきはじめた。
「人魚だっ。人魚が見つかったってよ」
「人魚っ? どこにだ?」
「あっちの波打ち際で、気失ってるって!」
嬉々とした数人の男性たちが、キッドと私の横を、走って追い越していく。
キッドの歩く速度が緩んだ。
「キッド……今、人魚って……」
言いながら、キッドのカオを見上げる。
キッドは、心ここにあらずといった感じで、男性たちが走っていった方向を見ていた。
「先に船に戻ってろ」
「え? あっ……」
キッドは、風の速さで駆けていって、見えなくなってしまった。[ 22/28 ][*prev] [next#]
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