Another WORLD-10

「はああ、生き返るー!」


 だだっ広い湯船に一人で浸かって、手足をぐーっとお湯の中で伸ばしきる。お風呂ってこんなに気持ちよかったっけ、と、数日ぶりの入浴に震えるほどの感動を覚えた。


 髪も体もあまりに汚れていて、シャンプーも石鹸もまるで泡立たないほどだった。結局、複数回に分けて少しずつ洗い、ようやく汚れが落ちたと実感できた。


 あんな汚らしい姿でキッドとの再会を果たしてしまうなんて……。やり直せるものなら、ぶつかったところからやり直したい……。


 けれど、人攫いに遭っていなければ、こんなところまで来ることもなかったし、キッドにも会えていなかった。そう思うと、少し複雑な気持ちになる。


 のんびりとお風呂に浸かりながら、波乱万丈だった数日間を回顧する。


 本当にいろんなことがあったけど……正直、キッドとの衝撃の再会に、全部持っていかれたな……。


 真っ赤な髪と、瞳。筋肉は隆々としていて、所々に生々しい傷跡が残っていた。貫禄もたっぷりあって、海賊船の船長と呼ぶにふさわしい佇まいだった。それに――。


「キッド……相変わらず、かっこよかった……」


 たくさんの死線をくぐり抜けて、様々な出会いと別れを繰り返して――。幼少期はずっと二人で過ごしていたのに、経験値は天と地ほども差がついてしまった。


「海賊船の船長からしたら、私なんてあまったれなんだろうな……」


 湯船にカオをつける。


 きっと、ずっとここにいられるわけじゃない。いずれ、この船は追い出されるだろう。それまでに、自分が出来ることを見つけ出して、恩を返さないと。


 そう新たに決意を固めて、私は勢いよく湯船から出た。





 船長室に行くと、キッドはいなかった。彼のコートだけが、先ほどと同じ状態で、私を待ってくれていた。


 改めて、まじまじと船長室を眺める。


 キッドの部屋は、意外にも整然としていた。もしかしたら、海賊の部下? のような人たちが、この部屋を片付けているのかもしれない。


 ふと、机の上に視線を移すと、海図や羅針盤に埋れて、小瓶のようなものが見えた。窓から漏れている反射光に照らされて、キラキラと光っている。


 私は、扉のほうを窺った。キッドが戻ってくる気配はまだない。


 私は、そおっと、その小瓶を手に取った。


 小瓶の中に、半透明で平たい、小さなまるいプラスチック片のようなものが数枚納められている。オーロラ色に輝くその謎の物体に、思わずほうっと見惚れた。


 でも、なんか……。この感じ、どっかで――。


 そのとき、ずかずかと廊下を歩いてくる大きな足音が聞こえてきた。


 慌てて、小瓶を元あった位置に戻す。


 机からさっと離れたのと扉が開くのは、ほぼ同時だった。


 現れたのは、やはりキッドだ。


「来い」

「はっ、はいっ?」


 それ以上何も言わず、キッドは椅子にかけてあったマントを手に取って、羽織った。


「……繋がってる」


 そうとだけ言うと、キッドはマントを翻してさっさと出て行ってしまった。


 見失わないように、私も慌てて部屋を出た。





『***……! 無事なのねっ?』

「お母さん……!」


 子電電虫から聞こえてきた声は、間違いなく母のものだった。かたつむりのカオも母の姿形をしていて、思わず咽び泣いてしまいそうになる。


『本当に……よかったわ、無事で……』

「心配かけて、ほんとにごめんなさい……。でも、どうして私がここにいるって……」


 そう疑問を投げかけると、かたつむりは朗らかに目を細めて笑った。


『キッドくんから連絡をもらったのよ。人攫いに遭ったけど、いろいろあって今うちの船にいるって』

「キッド、から……」


 思わず、部屋の出入り口を見る。今、ここには私一人で、キッドも出て行ってしまったため、彼の残像だけを目で追った。


『いろいろ大変だったけど……***、キッドくんに会えて、よかったわね』

「……え?」

『本当はずっと、気にしていたでしょう? 彼が元気でやれているのかどうか』


 母はやはり、気付いていたようだ。娘が、引き出しにしまわれたキッドの手配書や、キッド海賊団の記事を掲載した新聞を、夜な夜な盗み見ていたことを。


『***。世間の声じゃなく、本当に大切な人の声を聴きなさい。あなたは、あなたの信じたい人を信じていいの』

「お母さん……」

『大丈夫。キッドくんは、信じてついて行っていい人よ』


 母の言葉に、目頭と胸が熱くなる。


 大人はみんな、キッドのことを悪く言っていた。母だって同じ大人だから、キッドのことを良く思っていなかったらどうしようと、キッドの話題はずっと出せないでいた。


『危険な世界だけど、キッドくんと一緒なら、大丈夫。元気でやりなさい』

「っ、うんっ。無事に帰るから、っ、待っててね……」
 名残惜しく思いながら、私は母との電話を終了させた。





 部屋を出ると、扉のすぐそばにキッドがいた。腕組みをしながら壁に寄りかかって、目線だけで私を見下ろす。


 私は、慌てて頭を下げた。


「あのっ……あ、ありがとうございました」

「……」

「心配してるだろうなって気にかかってたから、嬉しかった」

「……ふん」


 ふい、とそっぽを向いて、キッドは歩き出した。しばらくその後ろ姿を眺めていたら、キッドがくるりと私のほうへ振り向いた。


「なにぼやっとしてやがる。来い」

「えっ」


 真っ赤な双眸が、ギラリと光ったような気がした。


「これから、この船でのてめェの処遇を決める」


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