Another WORLD-9

「入れ」


 入れ、とは言いながらも、キッドは私の体を放り投げるようにして、部屋に押し込んだ。


 わっとっと、と、情けない声を上げながら、思わず上体がつんのめる。


 転倒をなんとか回避して振り返ると、キッドはちょうど部屋の扉を閉めたところだった。


「……」 

「……」


 キッドは、突っ立っている私を無言で通り越して、椅子の前に立った。肩から羽織っているだけの、あの重そうなコートを脱ぐと、椅子の背もたれに投げるようにして掛ける。そして、どかっ、と音を立てて、その椅子に座った。


 幅、高さ、デザイン――どれを取っても、その椅子はキッドにぴったりで、ここでようやく、この部屋がキッドの部屋なのだと悟った。


 興味があるからと言って、じろじろと見渡すわけにはいかない。


 木目の粗い床にばかり視線を落としていたら、キッドが息を吸う気配がした。


「なにしてやがる」


 その声に、ぱっとカオを上げた。


 助けて――もらったのかは定かではないが、礼も詫びも言わず、ただ突っ立って床ばかり眺めていることを咎められるのかと思った。


 私は慌てて口を開いた。


「ご、ごめんなさい。あんまり人様のお部屋じろじろ見るのもどうかと思っ――」

「あァ? んなこと言ってんじゃねェよ」

「えっ? あ……ああ! ええっと、ぶつかったことは、ほんとに、その――」


 私の言葉を遮るように、キッドは重たいため息をついた。肘置きに肘をついて、頭を抱えるような仕草までする。


「んなこたどうでもいい。俺が言ってんのは、なぜてめェみてェな田舎モンがこんなとこにいて、ましてやヒューマンショップで売られるような事態になってんだって聞いてんだ」

「あ……。ええ、と、じつは……」


 辿々しいながらも、私は拐われた日のことをかいつまんで説明した。


 仕事の帰り道、考え事をして歩いていたら、いつのまにか暗い小道のほうへ来てしまったこと。早足で歩けば大丈夫だと思ってしまったこと。考え事の内容がキッドのことだということは、口が裂けても言えないけれど。


 私が話し終える前に、キッドは苛々したようにその真っ赤な髪を掻いていた。説明が長いだろうかと、途中からかいつまんだ内容をさらにかいつまんで話した。


 私が話し終えてしばらくしてからも、キッドは黙り込んだままだった。


 沈黙が重い。この重さで、船の床を突き破って海に沈んでいけてしまいそうだ。


 疲弊した脳でそんなことを考えていたら、キッドが太く長い息を吐き出した。


「なにやってんだ、てめェは……」


 あきれたような、怒っているような声色。独り言に近いトーンで、キッドはそう呟いた。


 ごめんなさい、と、私の口からは素直な謝罪が溢れる。ほんと、なにやってるんだろう……。


 すると、キッドがおもむろに立ち上がった。またもや私を通り越して、壁際に備え付けられた扉を開く。


 どうやらそこは、クローゼットのようだ。中には、服やコートが乱雑に放り込まれていた。


 キッドはその中から、一番上に積み重ねられた二枚を手に取って、振り向き様に私へと放り投げた。


 わっ、と声を上げながら、なんとかその二枚をキャッチする。見ると、ブラックのTシャツと真紅のシャツだった。


「あ、あの」

「それ持って、さっさと風呂行け。そんな薄汚ェ格好で、いつまでもおれの前にいるんじゃねェよ」


 そう言われて、羞恥心で一気に体が熱くなる。


 拐われてから何日たっているかはわからないが、拐われた日の前の晩にシャワーを浴びて以来洗っていないので、今の自分はさぞかし異臭を放っているだろう。


「ごっ、ごめんなさい……! これ、あのっ、お借りしますっ」


 一刻も早くこの場を立ち去りたくて、早送りのスピードで頭を下げて部屋を出ようとする。けれどすぐに、お風呂の位置がわからないことに気がついて、恐る恐る振り返った。


「あ、あのー……」

「右に出て突き当たりが風呂場だ」

「――! はっ、はいっ。ありがとうございますっ」


 今度こそ私は、脱兎の如くキッドの部屋を出た。


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