恋心、遠く、遠く

 となりのおうちのきっどくんは、とってもおかおがこわいです。


 まゆげがなくて、おめめがつりあがってて、かみのけがまっかっかです。


 でも、きっどくんはとってもやさしいです。


 すてられて、あめにぬれていたこねこちゃんを、いいこいいこしているのを、わたしはみました。


 いま、そのこねこちゃんは、きっどくんのおうちにいます。


 きっどくんは、ほんとうにやさしいです。


 わたしは、そんなきっどくんが――










 ピピピピピと、けたたましく鳴る目覚まし時計に手を置いた。


 カーテンの隙間から射す光をぼんやりと見つめて、朝の訪れを悟る。


「うー……」


 この時ほど、布団が恋しくなることはない。


 また始まってしまう変わらない毎日を、少しだけ疎ましく思いながら、私はのっそりと身体を動かした。





「おはよう、***!」

「あ、おはよう」


 下駄箱で上履きを履いていると、隣の席の友達に声をかけられた。


「数学の小テストの勉強、した?」

「ううん、ぶっつけ本番!」

「あははっ、一緒ー!」


 そんな会話を繰り広げながら、私たちは教室への道を行く。


 と、友だちが先の光景に一足先に気付いて、ぎくりと足を止めた。


「うわあ、いるよ……」


 眉を潜めたその視線の先を辿ると――


「……あ」

「もう……あんなところに座ってたら邪魔になるって分かんないかなァ。***、ちょっと遠くなるけど回り道しよ!」

「え、あ、う、うん」


 先を歩く友達に着いていきながら、ちらりとまた目を戻す。


 たくさんの人に囲まれた綺麗な赤が、今日も異彩な存在感を放っていた。


「昨日の夜も他校の生徒と喧嘩してたんだってよ」

「へ?」


 教室に着いたところで、友達がそんなことを口にする。


「あいつらよ、あいつら!」

「あ、そ、そうなんだ」

「現場見た友だちが言ってたんだけど、そりゃあもう凄惨だったみたいよ」

「せ、凄惨って?」

「喧嘩相手全員、血まみれで倒れてたって」

「……」

「おそろしいよねー、ほんと!」

「そ、そうだね……」


 また喧嘩したんだ、キッド。相変わらずだな。大丈夫かな、怪我とか……


 大丈夫か。


 キッドの回りには女の子たくさんいるし、手当てしてくれる恋人だって、きっといるよね。


 そんなことを考えて勝手に胸が痛む。それを、いつものように知らんぷりした。





「あ」


 ある朝、玄関のドアを開けると、おとなりさんの玄関のドアも同時に開いた。


 そこから出てきたのは、


「……よォ」

「お、おは、おはよう、キッド……くん」

「……」


 どもっちゃった。恥ずかしい。


 私は深く俯きながら、学校の方へと歩き出そうとした。


 その時、


「……おい」


 突然、後ろから呼びかけられて、思わず身体がびくりと揺れる。


「はっ、はいっ」

「……乗ってくか?」

「え?」

 そう言ってキッドが示したのは、バイクの後ろの座席。


「あ……え、と」

「……」

「だ、大丈夫。ありがとう……」

「……あァ」


 そう短く返事をすると、キッドは長い足でバイクに跨がって颯爽と去っていった。


「はー……」


 緊張したァ。久しぶりに話しちゃった。


 ……相変わらず、カッコよかったなァ。


 声かけてくれて、うれしかったな。


 昔は、あんなにたくさん話したのにな。


 キッドと私は、いわゆる幼なじみだ。


 だけど、学校内にそれを知っている人はいない。それほどまでに、キッドと私はいつのまにか、遠く離れてしまった。


 いつも自分の思うまま、まっすぐに生きているキッド。学年が上がるたびに、キッドの回りにはたくさんの華やかな人たちが集まってきて、臆病で引っ込み思案な私は、いつからかキッドの隣にいるのが、怖くなってしまった。


 自然と空いてしまった距離を埋めるすべはなくて、今じゃ昔のように名前を呼ぶこともできない。


「昔はよく一緒に学校行ってたんだけどなァ……」


 キッドと私を繋ぐのは、遠い昔の思い出だけ。


 そんなことを考えて、なんとなく暗い気持ちになりながら、私は重い足取りで再び学校への道のりを歩きだした。





 学校に着いて教室へ向かっていると、ふと違和感を感じた。


 いつもの場所に、キッドがいない。


 キッドがいないからか、いつもはやんちゃな生徒で埋め尽くされているその場所は、寂しいくらいにがらんとしていた。


 おかしいな。キッドのほうが早く着いてるはずなのに。もしかして、またどこかで喧嘩してるのかな。怪我しないといいけど……。


 そんなことを心配しながら教室へ入ろうとすると、なにやら外のほうから騒音が聞こえた。


 それがバイクのエンジン音だと分かったのは、窓からその光景を見てから。


 そのバイクの運転席には、予想した通り、人相の悪い幼なじみ。


 そして後ろの席には、大人っぽくてとても綺麗な女の子が乗っていた。


 キッドはバイクを停めると、その子と仲良く話をしながら校内へと歩いてくる。


「あーあ、やっぱりあの二人付き合ってるんだねー!」

「このあいだ友だちが、あの二人がラブホから出てくるの見たって!」

「ショックー!」


 同じ光景を見ていた何人かの女生徒が、そんなことを話しながらその場を去っていく。


 キッドは、恐れられる存在でもありながら、なぜかとてもモテる。気軽に近付けるようなタイプの人ではないから、ほとんどの人は告白もせずに遠くから憧れているだけみたいだけど。


 あの子が、キッドの……。


 やっぱり、相変わらず綺麗な子が好きなんだな、キッド。


 キッドが好きになる女の子は、いつも私とは正反対。


 どんなに小さな頃から一緒にいても、キッドが好きになるのは、私以外の誰か。


 それを近くで見てるのが、つらくて、つらくて。


 苦しくなって、逃げ出した。


「いい加減、あきらめなきゃ……」


 そんなことを、ぽつり、ため息と一緒に吐き出しながら、教室へ入っていった。


恋心、遠く、遠く


 どこかに置き忘れてこられたら、よかったのに。


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