Another WORLD-6

 転がるようにして廊下へ出てから、今の自分の行動が、考え無しだったことに気づく。もし、今、廊下に海賊がいたら――私はきっと、その瞬間に殺されていただろう。


 幸い、廊下に海賊の姿はなかった。自分の運の強さにほっとしたのも束の間、どこからか笑い声が聞こえてきて、ひっ、と肩を窄める。その笑い声は、まるで分厚い膜で包んだように小さな音量で、おそらくここから少し離れたところで響いているのだろうと察した。


 船の中に、まだ海賊はいる――。そのことを実感して、私は強く唇を結んだ。もう、後戻りはできない。急がなければ――。


 どこに海賊がいるかはわからない。笑い声がしている方向はもちろん避けて、外へと通じる扉はないか、身を縮めながら慎重に探った。


 しばらく進んで行くと、突き当たりに扉を発見した。その扉に備え付けられた小窓を、おそるおそる覗く。遠目に、町の風景が見えた。


 ここを開ければ、外へ出られる。だけど、もし、この扉を開いた瞬間、そこに海賊がいたら――。


 そう考えただけで、歯はがちがちと音を立て、脚は地震が起きてしまうのではないかと思うくらいに震える。


 キッド――。


 キッドの姿を思い浮かべて、胸の中にわずかに灯る勇気を奮い立たせる。


 ぼやぼやしている時間はない。もしかしたら、眠っていた海賊が今にも目を覚まして、私が逃げ出したことに気がつくかもしれない。まだ船の中にいる段階で勘付かれてしまったら、私はきっと、逃げきれない。


 唇を強く結んで、睨みつけるように前を向く。ドアノブに手をかけると、極力音が鳴らないよう、注意深く扉を開いた。


 開いた扉の隙間から、強い日差しが目に飛び込んでくる。思わず眉を顰めてから、息を殺して周囲を見渡した。


 思った通り、この扉は外へ続いていた。すぐ目の前には、船の手すりがある。


 私は、急いで、再び辺りを見渡した。左右、後方、手すりの下、の順に、視線を走らせる。海賊は、そのどこにもいなかった。


 次に、船の下を見る。おそらくは、海が広がっているのだろうと踏んでいたそこは、陸地だった。海だったとしても、なんとか泳いで逃げようと考えていた私の目には、喜びから、涙が溢れ出そうになった。


 けれど、無論、泣いている暇はない。次にするべきは、陸地へ降りるための、梯子か紐を探すことだった。何日か振りに太陽の光を浴びた目は、まるで攻撃を受けているかのように、ずきずきと痛む。その目に鞭を打って、目を皿のようにして船の側面を探った。すると、右側の方に、陸地へと垂れ下がる何かを認める。注意深く辺りを見渡しながら、その位置に向かうと、それは、陸地へと続く一本の希望だった。


 私は、その紐を掴んだ。紐は、目に見えて頼りなく、古い。もしかしたら、途中で切れてしまうのではないかと、不安に駆られるほどの細さだ。


 もう一度、陸地を見る。先ほどは、すぐそこに見えていた陸地も、少し冷静になって見れば、遙か遠くのように感じた。


 もし、途中で紐が切れたり、手に力が入らなくなって、落ちたりしたら、多分死ぬ――。


 だけど、ここにいたって、私はきっと死ぬ。殺される――。


 選択肢なんて、始めから無いに等しい。いや、無いのだ。今の私には、この細い紐に運命を預けるしか、術はない。


 そのとき、先ほどよりも近い場所から、海賊たちの笑い声が聞こえた。聞こえたような気がした。


 皮肉にも、その笑い声に背中を押されたようなかたちで、私は手すりを跨いだ。震える脚で船の縁に立ち、おそるおそるしゃがみ込みながら、紐を握る。


 慎重に、且つ、迅速に――。


 喉がからからに渇く。身体中から、汗が吹き出してきた。途中で手が滑らないよう、手のひらを擦り合わせて湿らせる。大きく息を吐き出すと、紐を掴んで、船の縁から、まず右足を離した。


 途端に、ぐんと両手に負荷が掛かる。数日間、飲み食いをしていなかった体は、まるで自分のものではないみたいに、うまく力が入らなかった。


 左足も離したら、その瞬間に落ちてしまいそう――。先ほどから、事あるごとになんとか奮い立たせてきた勇気が、空気を抜いた風船のように、一気に萎んだ。


 逃げなくたって、いいのではないだろうか――。逃げなければ、すぐに殺されることはない。黙って彼らに従っていれば、私はもう少し、生きていられる。幸い、彼らはまだ目を覚ましていない。今から、急いであの部屋に戻れば、逃げたことには気づかれない。そうだ。より長く、生き延びることが大切だ。今は辛くても、耐え忍んでいれば、きっといつか、またどこかで、キッドに――。


 怖気付いた私の頬を平手打ちしたのは、やはりキッドの存在だった。


 キッドなら、きっと、そんな考え方はしない。彼なら、きっと、勇気も気力も奮い立たせて、〈戦う〉方を選ぶ。


 私にとって、〈戦う〉方は、どちらだろう――。


 考えるまでもない。私は、左足を離した。


 ぐぐん、と、両腕に大きな負荷が掛かる。歯を食いしばって、一歩一歩、確実に下へと降りていった。


 どのくらい、もうそうしていたかわからない。下を見たら、絶望してしまいそうで、私はただただ、足を下へ持っていく作業を繰り返した。


『おい――! 女がいない!』

『逃げたぞ! 探せ!』


 その声に、体が尋常じゃない振動で震える。その瞬間、手が、紐をぱっと離した。


 あ、と、間抜けな声が漏れる。地面を背にして、私はそのまま落ちていった。


 永遠か、一瞬か――判断がつかない時間が流れる。次の瞬間、背中に強い衝撃を受けた。


「いっ、た……」


 手が、思わず腰をさする。はっと我に返って、辺りを見渡すと、砂が敷き詰められた陸地に、私は倒れ込んでいた。


 降りられた……。降りられた。死ななかった――!


 体を起こして、よろよろと立ち上がる。くらりと目眩を憶えたが、そんなことにはもちろん、構っていられない。


 私は、賑やかで、華やかな声がする、町の方へと駆けていった。〈続く〉


[ 15/28 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#オメガバース」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -