Another WORLD-5

「二百二十万ベリー! 他にはいないかっ? ――二百二十万ベリーで落札!」


 司会の男が声高らかに叫びながら鐘をカンカンカンと鳴らした。客席からは、歓声と惜しみない拍手が贈られる。


 拍手を贈られている当の本人は、感情のないカオで床ばかりを見ていた。その表情に生気はなく、一言で表すなら“あきらめ”なのだろう。二百二十万ベリーで買われた彼は、その屈強な肉体にそぐわない折れそうな精神ごと引きずられて裏方へ消えていった。


「肉体派の男はやはり高く売れるなァ」

「奴隷としては最適だからな!」

「多少食べさせなくてもよく働く」


 交わされている会話の内容にぞっとする。これが同じ人間の言う言葉なのだろうか。人の心というものを備えずに生まれてきた別の生き物なのかもしれないと、私は本気で思った。


「来い。出番だ」


 呆然としていたら、首輪をぐんと引かれた。引きずられるようにして舞台上へと連れて行かれる。


 真っ白なスポットライトを当てられて、思わず目を顰めた。あまりに眩しすぎて、客席なんて見えない。


「さァお次は! 一見なんの変哲もない人間の女! だがしかし! この女はなんとっ、生まれてこのかた男を知らない、まっさらなカラダの持ち主! つまり、処女だ!」


 司会の男の叫び声に、観客がどよめく。恐怖よりも羞恥心が湧いてきて、私はただただ拳を握った。


「さァ、百万ベリーからスタートだ!」

「百十万ベリー!」

「こっちは百三十五万出そう!」

「いいや、百五十万だ!」


 少しずつ金額が競り上がっていく。とても自分のこととは思えなくて、私は唖然としてその光景を見ていた。


「百七十五! いいか? いないかっ? ――百七十五万ベリーで落札!」


 カンカンカンと鐘が鳴る。その音が延々と頭の奥で鳴り響いて、私はその場から動けなくなった。


「おい……来い! 終わりだ!」


 終わり――人生の終わり。そう宣言されたようで、私は縋るように後方を見た。


 狭い水槽に閉じ込められたあの人魚が、怯えたような悲しげな表情で私を見ていた。その瞳に、先ほど僅かに灯った希望の光は皆無だった。そしてきっと、私も同じなのだろう。


「さァ、皆の衆! お待たせした! 今日の目玉“商品”はこちら! なんとっ、本物の人魚だ! 食うもよし、性奴隷もよし、売るもよし! 使い道抜群のこの商品は、五百万ベリーからスタートだ!」


 彼女は今、どんな気持ちでこの言葉を聞いているのだろう。胸が押し潰されそうになって、私は涙を流しながら闇の中へ引きずられていった。 





「処女かァ! いいなァ。誰が一番にいく?」

「バーカ。船長に決まってんだろ?」

「そうそう。俺らはいっつもその後」

「あーあ。人魚も食いたかったなァ」

「あんな高ェ買い物できるかよ」


 下劣な笑い声が船内に澱む。私は船の片隅で、他人事のように彼らの会話を聞いていた。聞いていたというよりは、右から左へ流れていったに近い。耳には入ってくるけれど頭には入ってこず、言葉がぽろぽろと汚い木の床にこぼれ落ちていった。


 私を買ったのは海賊だった。“海賊”の二文字に一瞬でも希望を抱いた私は、本当にバカだと思う。キッドは人間を買うような海賊ではない。そんなことは、幼少期に彼とずっと一緒にいた私が一番よく分かっている。キッドは冷たいようにみえて優しい。案の定、私を買ったのは名前も知らないような三下海賊団だった。


「船長はいつ帰ってくんだろうな?」

「酒と女に満足したらだろ?」

「満足なんてしねェだろ、あのお人は」

「だから女を買ったのさ」

「船長があの女に飽きるまでどんくらいだ?」

「せいぜい二週間ってとこか?」

「その後は俺らで戴いてェ」

「飲まず食わずで雑用やらせて、使いもんになんなくなったら捨てようぜ」


 まるで雑巾の話でもしているみたいに、海賊たちはそう吐き捨てた。


 ――お父さん、お母さん。……キッド。


 彼の広い背中を思い浮かべる。キッドならきっと、こんなふうにやられっぱなしではいないだろう。なんとかしてこの状況を打開しようと頭を働かせるはずだ。決してあきらめるなんてしない。


 だけど、私――私はどうしたら……。


 自分の無力さを呪って、私はひとり涙を溢した。




 
 怪獣の唸り声みたいなイビキで目が覚めた。どうやらいつのまにか眠ってしまっていたらしい。天窓から僅かに漏れている陽の光は、日中の色そのものだった。


 周囲をおそるおそる見渡す。海賊は複数人いるが、誰一人として起きてはいない。皆酒でカオを真っ赤にして眠りこけていた。


 心臓がドクンと跳ねる。私は自分の手足を見た。逃げ出せる気力もないと踏んでいたのか、手錠はおろか足枷もされていない。部屋の扉も開けっぱなしで、それはまるで“逃げてください”と言わんばかりに口を開けていた。


 心臓がドクドクと走り出す。――今しかない。逃げるなら今しか。だけど、もし見つかったら――? きっともっと酷い目に遭う。もしかしたら、彼らが飽きるのを待たず殺されてしまうかもしれない。


 ううん、と寝言が響く。肩を跳ね上げてそちらを見ると、海賊がひとり寝返りを打ったところだった。


 ここにいたって、いずれは殺される。早いか遅いかの違いだ。それだったら、僅かな希望に賭けたい。


 私はぐっと歯を食いしばると、眠る海賊たちの間を縫って部屋を出た。


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