Another WORLD-4

 売人に外へ連れ出されたのは、おそらく数時間後のことだった。おそらく、というのは、ここには時計がない。何時間どころか、何日たっているのかすら分からない。両親や仕事仲間たちが私の身を案じて泣いているのではないかと思うと、あの日あの小道を選択したことが悔やんでも悔やみきれなかった。


 複数人の売人が私を取り囲むようにして連行していく。部屋を出る前に手錠で繋がれてしまったので、逃げようにも逃げられない。もっとも、拐われてからというもの、満足にご飯を食べられていない。足取りもふらふらで、なんとか歩けているという状態だった。


 湿った森の奥に古くさい建物が見えてきた。裏口に門番が複数人立っていて、売人と私を一瞥する。入れ、と、顎で建物の中を指し示した。


 仄暗い廊下を進んで行く。突き当たりに受付のようなものがあって、そこにひとりの男がいた。


「……なんだァ? さっきのとはえれェ違いじゃねェか」


 眼鏡の奥の瞳をぎょろりと動かして、私の頭のてっぺんから足の爪先までを見る。居心地が悪くなって、私は思わず顔を背けた。


 さっきの、というのは、おそらくあの金髪の女性のことだろう。彼女はもう“買われて”しまって、もしかしたらもうここにはいないのかもしれない。


「この程度じゃあ、せいぜい五十万ベリー――」

「この女はおそらく処女だ」


 事もなげに売人が言う。私はぎょっとして彼を見た。


 受付の男が、にやりと口元を歪めて顎ひげをさすった。


「と、言っているが、実際のところどうなんだ? んん?」


 薄汚れたカオが近付いてきて、思わず身を退いてしまう。すると男は突然、かっと目を見開いた。


「どうなんだと訊いてるんだ! さもなくば指を突っ込んで確認するぞ!」


 耳元で怒鳴られて肩が揺れる。涙を溢しながら、私は小刻みに頷いた。


「……百万ベリーからスタートしよう」


 納得したように頷いて、受付の男はそう言った。


 受付を通ってすぐのところに重厚そうな扉が佇んでいる。鍵のかかったその扉の奥にはたくさんの牢屋が並んでいて、所々からすすり泣く声や喚き散らす声、呪文のような独り言が聞こえてきた。


 私を連行してきた男のひとりが、ある牢屋の鍵を開け始めた。扉を開けると、その中に私を乱雑に押し込む。再び鍵を閉めると、男たちは無言で扉の向こう側へと姿を消した。


 強張っていた全身の筋肉が解けて、脱力する。その場にうずくまると、私は膝を抱えて泣き出してしまった。


「大丈夫?」


 その声に、はっと息が止まる。暗闇が支配する牢屋の中を、注意深く目で探った。


 私一人だと思い込んでいた牢屋には、どうやら先客がいたらしい。声質から察するに女性のようで、次第にその陰影がはっきりとしてくる。ウェーブがかった髪が腰まで伸びていて、腕も腰も折れそうなほど細い。そして、脚は――わずかな光を反射して、鱗がキラキラと煌めいていた。


「人魚……」


 あまりの美しさに涙が止まる。


 人魚の女性はあっけに取られたようにぽかんとしてから、ふっと口元を緩めた。


「なんとか大丈夫そうね」

「あ……あなたも拐われたんですか?」


 噂で聞いたことがある。人魚は高く売れるって。けれど、その姿を見たことがなかった私は、人魚の存在自体幻だと思っていた。まさか本当に存在していて、本当にこんなふうに売られてしまうなんて――。


 人魚の女性は悲しげに笑って言った。


「会いたい人がいて、旅をしていたんだけど……ダメね、やっぱり。守られていただけの女は」水晶のような涙が、埃っぽい床に落ちた。「彼のように、強く生きていきたかった。だけど、もう――」

「だめですっ」


 私は思わずそう叫んでいた。人魚の女性が、涙で濡れた目をまるくして私を見る。


 私は強く拳を握って、尚も訴えた。


「最後まで、希望を捨てちゃだめですっ。そうすればきっと……きっとまた会えますっ」


 彼女は私と同じだ。私と同じように、会いたくてたまらない人がいる。望みなんて、確かにほとんどないに等しいけれど、それでもあきらめてほしくない――あきらめたくない。もしかしたら私は、彼女を励ますつもりで、自分を励ましたかったのかもしれない。


 人魚の女性は、華奢な指先で自分の涙を拭った。そしてカオを上げると、私に笑顔を向けてくれた。


「そうね。あなたの言う通りだわ。私、最後の最後まであきらめない。例えどんな目に遭っても、彼の腕にまた抱かれる日が来ること、ずっと……ずっと信じてる」


 彼女の笑顔とその決意は、私の心をも奮い立たせてくれた。


 大丈夫。あきらめずに、信じ続けていればきっと――きっと、キッドにまた会える。


 しばらくすると、扉が開かれる音がした。たくさんの足音がこちらに向かってきて、私たちの牢屋の前で止まる。


「出ろ。お前らのオークションの始まりだ」


 感情のない冷えた声が、悪夢の始まりを告げた。


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