Another WORLD-1

 目覚まし時計の音がする。いや、目覚まし時計の音じゃないかも。毎朝聞いている音は、こんな音じゃなかった。――ん? そんなことないか。いつもこの音か。――あれ? そうだっけ? こんな音だっけ。


 妙な違和感がした。音と匂い、布団の手触り――五感で感じるすべてがどうも腑に落ちなくて、私はぼんやりと目を開けた。


 天井が見える。木の。たしかに我が家は木で建てられているけれど、今見上げている天井は加工が何も施されていない剥き出しの状態の木だった。


 思わず眉を潜める。うちの天井ってこんな感じだったっけ……? いや、しかし、こんな感じだったと言われればそうだった気がする。……そうだ。こういう天井だった。……うん。


 納得したようなしていないような気持ちのまま、枕元に置いてあるはずのスマートフォンに手を伸ばす。けれど、手に当たったのはもっと存在感のある大きさの何かだった。


 むくりと体を起こして〈それ〉を見る――目覚まし時計だった。


 あれ? スマホは?


 その時、部屋の扉の向こうから大きな足音が聞こえてきた。次第にこちらへ近付いてきて、駆け足気味だと分かる。


 数回のノックの後、扉が無遠慮に開かれた。


「***! いつまで寝てんの? 遅刻するわよ!」

「お母さん……何その格好……」


 言われた言葉より何より、母の出で立ちに絶句する。母はまるで、ジ◯リ作品に出てくる某魔女作品の某パン屋の奥さんみたいな格好をしていた。いつものスーツ姿とはえらい違いである。


「何って……何がよ?」

「いや、何がって……スーツは? 今日仕事ないの? っていうか、そんな服持ってたの?」

「そんな服って何よ。***が誕生日プレゼントにくれた服じゃない」

「……え?」

「寝ぼけてるの? ほら、早く用意しなさい。仕事遅れるわよ」

「しご……えっ? 仕事っ? 誰がっ?」


 立ち去ろうとしている母の背中に向かって、手を伸ばして問いかける。


 母はいよいよ訝しそうなカオをした。


「誰って……***がでしょう」

「えっ、ええっ? 仕事? 私が? 高校じゃなくて?」

「……何よ、コウコウって」

「……」

「***、大丈夫?」

「大、丈夫……」


 蚊の鳴くような声で答えると、母は首を傾げながらも部屋の前から立ち去った。取り残された私は、呆然としながら母の言葉を頭の中で反芻した。私があげた服……仕事……高校って何……。


 そう言われてみれば、コウコウってなんだっけ。そうだ。あの服もたしかに、友だちに付き合ってもらって選んだような気がする。仕事……仕事だって――。


「そうだ! 仕事! 遅刻……!」


 はっと我に返った私は、慌ててパジャマを脱ぎ捨てた。
 




 家を出ると、街並みまで魔◯宅のようだった。木造建てというよりもはや木そのものの家、舗装されていない道、道端で朝食を売るサンドウィッチ屋さん、いつもより高い空、そして――。


「わあ……」


 眼前に広がる、青い海。海を見るのは初めてではないけれど、こんなに青い海は見たことがない。――いや、そんなことなかったかも。今までも、むしろ見慣れているような……。


 今日はなんだか、朝から調子がおかしい。違和感を覚えたり、そんなことないかと思い直したり……まるで、二つの世界を行ったり来たりして、自分がどっちにいるのか分からなくなってしまったような――例えるならばそんな感じだった。


 けれど、足は向かうべきところを理解しているようで、迷いなくずんずん突き進んでいく。やっぱり寝ぼけていたのかもしれない――私は次第にそう思い始めた。


 通勤途中の道端で、大人たちが数枚の紙を見ながら眉を潜めている。すれ違いがてら耳をすませると、会話の内容が聞こえてきた。


「いやぁね。指名手配なんてされて」

「ほんと。何が〈最悪の世代〉よ」

「故郷の恥さらしだわ」


 歩きながら紙を覗こうとする。けれど、それに気付いた大人たちが、サッと紙を背に隠した。


 なんとなく気まずくなって、私は挨拶をした。大人たちも、ぎこちない笑顔で挨拶を返してきた。


「ほら、あの子よ。〈コイツ〉と仲が良かった――」

「あァ。小さい頃よく遊んでいたわよね」

「まったく……。友だちが海賊になるなんて、かわいそうに」


 カイゾク――その単語に、私は足を止めてしまいそうになった。


 ……なんだろう。この、胸が締め付けられるような感覚は。名前を聞くだけで泣いてしまいそうな、この胸の痛みは――。


 網膜に、真っ赤が蘇る。それは、誰かの後ろ姿だった。


 私は足を止めた。止めて、しばらくしてから、再び歩き出した。



 

「***! 遅かったね」

「ごめん! おはよう」


 辿り着いた先は飲食店だった。待ち構えていた仕事仲間たちのカオにも見覚えがある。やっぱり、寝ぼけていたみたいだ。ぼんやりとあった違和感がようやくなくなって、私は定位置に掛けてある自分専用のエプロンを手に取って着けた。


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