メランコリーデビル 1/2

 黒塗りの高級車が数台、目の前で乱暴に停まった。すべてのドアが開いて、ガラの悪いスーツ姿の男たちが降りてくる。


「ユースタス・キッドだな」


 その中でも殊更に偉そうな男が、キッドに向かってそう言った。


「……あァ? だったらなんだ」


 額に青筋を何本も立てて、キッドはその男を見下ろした。隣にいたキラーが、これ見よがしに深いため息をつく。


「チッ……まだガキじゃねェか。姐さんに手ェ出した落とし前、つけてもらうぞ」


 No.2らしき男がそう告げたのを合図に、周りにいた男たちがキッドとキラーを手荒く車に押し込んだ。





「……いつまでそうしているつもりだ」


 頬についた血を拭いながら、キラーはキッドにそう訊ねた。キッドは何も答えず、草むらにうつ伏せで倒れ込んでいる。草の緑に真っ赤な髪が映えて、まるで毒花のようだ。


「……うるせェ。ほっとけ」

「どうした。立ち上がれないほどやられてはいないだろう」


 あの後、彼らの〈事務所〉へと連行され、そこにいた全員を二人で片付け、パトカーのサイレンから逃れるためだけにこの土手へ来た。やられて逃げ帰って来たわけでは決してない。


 それでもキッドは何も答えない。ただただ大きな図体を、土手に投げ出しているだけだ。


 キラーはこめかみを揉みながらため息をついた。


「まったく……これだから、面倒な女には手を出すなとあれほど――」

「――てた」

「……なに?」


 よく聞き取れなかった。キラーが耳をすませると、キッドは先ほどよりも幾分か大きな声で、もう一度言った。


「***が……」

「***? ……あァ、幼なじみの」

「……男とキスしてた」

「……は?」

「……付き合ってるって」

「……」

「そう言ってた」


 キッドが拳を握ると、掴まれた草がぐにゃりと折れ曲がる。草が可哀想だと、キラーは心の片隅で思った。


「……だからなんだ」

「……」

「寂しいのか」

「……ずびっ」

「……"ずび"? "ずび"ってなんだ? 鼻をすすったのか? まさか……泣いているのか?」


 キッドは勢いよくカオを上げた。そして、キラーの方へ振り向いて思いきり叫んだ。


「泣いてねェっ! 泣くわけねェだろっ! おれがっ!」

「……涙目じゃないか」

「……ぐすっ」


 瞳に溜まった涙を乱暴に拭うと、キッドは再び草むらにカオを突っ伏した。こめかみから流れている血に、草が張り付いている。草が可哀想だと、やはりキラーはそう思った。


 キラーは、はあっ、とわざとらしく、キッドに聞こえるようにため息をついた。そして、キッドが寝そべっている隣に腰を下ろすと、訊いた。


「……好きだったのか」

「……」

「あの、寝癖全開の幼なじみが」

「……」


 キッドは、しばらくの沈黙の後、蚊の鳴くような声で「あァ」と言った。


「ずっと、好きだった」

「……」

「ガキの頃から、アイツに惚れてる」

「だったら、本人にそう言えばいいんじゃないか」

「アイツ……アイツは――」


 キッドの拳に力がこもる。ついに、ブチッと音を立てて、草が千切れた。


「おれのことが、嫌いなんだ」

「……」

「もう、ずっと避けられてる」

「……」

「おれが、こんなことばっかりしてるから」

「……」

「愛想尽かして、寄り付かなくなった」

「じゃあ、"こんなこと"をやめればいいんじゃないのか」

「知らねェよ。あっちが勝手に絡んで来るんだ。女も、その男共も」

「相手にしなければいいだろう」

「腰抜けだと思われる。情けねェだろ」

「今のおまえほどじゃない」


 キッドは再び頭を上げた。そして、「あァっ?」とキラーに凄んで見せる。もっとも、今のキッドでは威力が半分以下だ。


 キラーは立ち上がると、制服についた草を手で払った。その匂いがなんとも青くさくて、なるほど、これがいわゆる〈アオハル〉というやつか、と思った。


「まァ、向こうに男が出来たなら、潔く諦めてやるんだな」

「……」

「相手の幸せを願うことも愛情だと、おれは思うぞ」

「……」

「それとも、奪うか? 力づくで」


 ようやくキッドは立ち上がった。前面に草がこびりつき放題である。それを払うこともせず、キッドは言った。


「アイツとどうこうなりたいなんて、元々考えてねェ」

「……」

「世界が違いすぎる」

「世界、ねェ……」

「それに――」


 真っ赤な夕焼けに目を細めながら、キッドは続けた。


「そんなことしたら、ますます嫌われる」

「……」


 情けない本音を聞いたキラーは、またわざとらしくため息をつくのだった。





 屋上は空が近い。何も考えたくない時に、ぼんやりと流れる雲を眺めるのが、キッドは割と嫌いではなかった。


 真っ白な、洗い立てのシャツのような雲を見つめる。


 あれは、***。対して、真っ黒な、今にも雷が落ちてきそうな雲は、おれ。


 同じ雲でも、人間でも……相容れないものは相容れない。


 自分でそう考えたくせに、いじけた気持ちが湧いてくる。キッドはごろりと横向きになった。


『それとも、奪うか? 力づくで』


 キラーの言葉が、耳の奥で誘惑してくる。それをかき消すようにして、キッドはぎゅっと目を瞑った。


「ふざけんなよ、あの女。キスしかさせねェでやんの」


 屋上の扉を開ける音と耳障りな声で、キッドは浅い眠りから覚めた。入口付近で、複数人の足音と笑い声がする。


「キスの後すぐフラれるっておまえ、よっぽどヘタだったんじゃねェの?」

「ぎゃははっ! ダセー!」

「うるせェよ! ……ったく、せめて一発ヤラせてから振れよなー」

「おまえ、ほんとクズだなー」


 眠りを妨げられたのと会話の内容の下劣さに、キッドは舌打ちをした。もっとも、自分も人のことは言えない下劣さではあるが――。


 ……待てよ。あの声――。


 キッドは、声のする方をそろりと覗いた。いつも入口の裏で昼寝をしているので、彼らからはキッドの姿は見えない。


 人数は五人。その中の一人に、キッドはやはり見覚えがあった。


 アイツ……***の男じゃねェか。


 ***の家の前で、怯えた表情で自分を見返してきたカオが蘇る。ガラも悪くなく、かといってガリ勉タイプでもない。いかにも〈普通〉な男だ。


「大体、あの程度のレベルの女ならすぐにヤレるって言ったの、おまえらだろー」

「今からでも遅くねェって。『やっぱり忘れられないんだあああっ』とか泣き落として、無理矢理押し倒しちまえよ」

「そうそう。ああいうタイプは押しに弱いからなー」

「それいいな! おれ演技うまいし。はい、それ採用ー」


 ***の、いわゆる彼氏が、あの時と正反対の印象でそう言い放つ。キッドは元々無い眉を顰めた。


 なんだ、あの男……。おれとさほど変わらねェクズじゃねェか。なんであんなヤツが***と付き合えたんだ。まァ、この状況を鑑みると、***はどうやら騙されていたらしいが。


 キッドは身体を元の位置に戻すと、深いため息をついた。――アイツ、男の趣味悪ィのか。話から察するに、もう別れたらしいが……。


「ったく……世話の焼ける……」


 のんきにふよふよと泳ぐ白い雲を見上げながら、キッドはそう呟いて、立ち上がった。


「でもよォ、あの女。なんでも他に――」

「おい」


 キッドが声をかけると、今までの勢いはどこへやら、五人は一斉に押し黙ってカオを蒼くした。


「ユっ、ユースタス、くんっ……!」


 男たちはまるで化け物にでも会ったかのように、ジリジリと後退りをした。キッドは構わず近付いていく。


「ご、ごめんね。ユースタスくんがいるとは思わなくて……うるさかった、よね? すぐ出てくから」


 冷や汗を滝のように流しながら、〈***の元彼〉はへらへらと笑ってそう言った。


 キッドは口の端を上げると、ポケットに突っ込んでいた手を出して、言った。


「あァ、そうだな。死ね」


 キッドの全力の右ストレートが、男の顔面にめり込んだ。




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