03
目の前の光景に目を奪われて、私は身動きが取れなくなっていた。
先ほどエースと名乗った男性が、ものすごい勢いでご飯を食べているからだ。
あの自己紹介の後、エースさんのお腹の虫が盛大に鳴いた。
「とりあえずなんか食わしてくれ」なんて、これまた爽やかに笑って言うもんだから、思わず「はいそうですね。チャーハンでいいですか」なんて答えてしまった。
なぜ私が見ず知らずの男性、しかも泥棒(仮)に手料理振るまわなければならないのだ。
いろいろ考えなければならないことはあるのだが、先ほど頭をフル回転しすぎて、なんだか考えるのが面倒になってしまった。
大丈夫か、私。今後の自分の行く末が心配だ。
チャーハンを作りながら、チラチラとエースさんを見張った。
油断してるところを刺されるかもしれないとか強姦されるかもしれないとかあーでもないこーでもないと考えてはいたが、エースさんはそんな私の様子に気付くことなく、相変わらず室内をキョロキョロと見回していた。
……なぜか正座で。
変なところで礼儀正しい。
そんなこんなで、私はなぜか泥棒(仮)であるエースさんと一緒にご飯を食べる羽目になってしまった。
私なにやってるんだろう。
ほんとになにやってるんだろう。
エースさんのことよりも、今は自分がよく分からない。
「おおっ! うめェな! ***は料理が上手だな!」
「は、はァ。それはどうも……」
地味な味付けのただのチャーハンなんだけど……なんか喜んでもらえたみたいで良かったです。
「と、ところで、その、エ、エースさんは、……どこからうちに入ったんですか?」
窓も鍵も、壊されている形跡はない。鍵は私が持っている。
当然の疑問だった。
「そこがおれも知りたいところだ」
「へ?」
まったく予想外の答えだ。
知りたいと思うってことは、知らないってことだ。当たり前だけど。
「おれは船に乗ってたんだよ。甲板で昼寝してたんだ。そしたら、だれかが島に着いたって叫んだもんだから、嬉しくなって飛び起きてよ」
「……」
船? 島? ……看板?
頭の中で画にしてみたが、看板がどうもしっくりこない。
「そしたら勢い余って確か……あっ、なんかの段差につまづいたんだよ! んでもって、転ぶと思ったからとっさに目瞑ったら、多分気失って……気づいたら……」
ひとつひとつ辿りながら思い出すように、エースさんはそう話してくれた。
そのあいだ、ご飯を食べる手が止まることはなかったので、ご飯粒が見事に散乱している。
「……では、その……エースさんは、海にいたってことですか?」
「あァ、そうだ」
「じゃあ……漁師さんとか?」
「海賊だ」
「……はい?」
「だから、海賊。火拳のエースって知らねェか?」
結構有名なんだけどな、と、納得のいかないカオをされた。
自信を持って言える。
私の方が100倍納得がいかない。
「か、海賊ってあの……あの海賊ですか?」
「他にどんな海賊があるんだよ」
「略奪とか、ひ、人殺しとかする……あれですよね」
「人聞き悪ィな。一般市民から略奪なんてしねェよ」
聞けば聞くほど分からない。
なにひとつ「ああなるほど」ってならない。
私の頭の中はもう?で98%を占められている。
残りの2%は、やっぱりこんな悠長にご飯を食べているのはおかしいんではないかという正常な疑問だ。
「ところで、この島はなんていう島だ?」
「島……ではないんですけど」
「? じゃあなんだよ? グランドラインのどの辺だ?」
「ぐ、ぐらんど……なんですか?」
会話がまるで噛み合わない。
私のこの問い掛けに、エースさんはギュッと眉をしかめた。
「ここはグランドラインだろ?」
「ぐ、ぐらんどらいんってなんですか」
そう聞き返したら、何言ってんだおまえみたいなカオされた。
いやいや、そのカオは私がしたい。
「グランドラインじゃなかったら、どこだって言うんだよ?」
「ど、どこって……日本じゃないですか」
「にほん? それがこの島の名前か?」
「………」
……おかしい。そりゃ、確かに島国ではあるけれど。
明らかに日本語で会話をしているのに、日本を知らないのはおかしい。
え? 日本ってなんか別名とかあるの?
「じゃあ、ここはイーストブルーか? それともサウスブルー?」
「エ、エースさん。私は、その、ぐらんどらいんも、いーすとなんちゃらも知らないんですけど……」
「……おまえ、記憶喪失か何かか?」
ええっ、私がおかしいの?
それからエースさんは、いろんなことを話してくれた。
自分の乗っていた船が、グランドラインというところを航海していたこと。
自分は白ひげ海賊団の一員だということ。
イーストブルー、ウエストブルー、サウスブルー、ノースブルーというふうに海が分かれているということ。
そして、今が大海賊時代だということ。
他にもいろいろ話してくれていたが、頭に入ったのはとりあえずそのくらいだ。
そして、私の中で答えが導き出された。
おそらくエースさんは、その……そういう病気だ。
自分の妄想が、現実なのか空想なのか分からなくなっているんだ。
どうしよう。
病院に連れて行ってあげたほうがいいかな。
よくよく見てみたら上半身は裸だし、刺青めちゃくちゃ入ってるし……あ、今気付いたけど、エースさん靴履いたままだ。
ぐるぐると考えこんでいたら、突然、エースさんがスクッと立ち上がった。
「あ、あの」
「考えてみたら、見知らぬ男が自分の家で気失ってんだ。びっくりするよな」
「エ、エースさ」
ハットを深く被り直したせいで、エースさんの表情が見えない。
怖い思いさせて悪かった、と、ポンッと大きな手が頭の上で弾む。
その手がとても暖かくて、なぜか胸がキュッとなった。
そのまま動けずにいると、エースさんは窓に手を掛けて、そこからヒョイッと飛んだ。
こっ、ここ二階……!
慌てて窓から下を覗くと、どういうわけかエースさんはなんてことないように着地している。
ああ、もう訳が分からない。
「ありがとう、***! メシ、うまかった」
そう言ってふわりと微笑むと、声を掛ける間もなく、エースさんは闇の中へ呑まれていった。[ 3/35 ][*prev] [next#]
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