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 からんっ。


「あっ」

「ん? ……あっ!」


 テンガロンハットの先に付けていた飾りが、前触れもなく、床にころんと転がった。


「取れちまった!」


 エースはしゃがんでそれを拾い上げると、呆然と立ち尽くしてしまった。


「エース、ちょっと見せてみて?」


 そんなエースを見かねた***にそう言われると、エースはそれを***に手渡した。


「うーん……」


 唸りながら、***はエースのテンガロンハットの先とそれを交互に見やる。


 ……ち、近ェ。


 エースの頭に乗っているテンガロンハットに近づいているため、***とエースの距離は自然とゼロに近くなっている。


「あ、大丈夫だよ、エース。これならなんとかまた付けられるとおも……う」

「あ……」


 突然、***がそのまま上を向いたため、エースから見ると、まるでキスをせがまれているように見えた。


「ごっ、ごめん!」

「い、いやっ! だ、大丈夫だっ!」


 びっ、びっ、びっくりした……! いきなり上向くから……!


 二人のあいだに、沈黙と気まずい空気が流れる。


「……今付けようか? エース」

「あ、いや……***、もう時間ねェだろ?」


 そのやりとりは、出勤前の玄関先でなされていた。もういつもの時間はとっくに過ぎている。


「でも……」

「へ? ……あァ」


 ***が深く俯いているのを見て、エースは***が言わんとしていることを悟った。


「***、大丈夫だ。帰ってからでいい」

「でも、エース」

「***」


 ***と目線が合うように、エースは小さく屈んでみせた。


「大丈夫……まだ、帰らねェから」

「エース……」


 ***は再び深く俯いたが、しばらくすると力なく笑って、玄関先にあるシューズボックスの上にそれを預けた。





「じゃあ行ってくるね、エース」

「あァ」


 そう言って、***がくるりと背を向けて去っていく。


「……***!」

「え?」


 その背中に、突然、エースは***を呼び止めた。


「あ、いや、その」

「?」

「……帰りも迎えに来るからな」

「エース……」


 ***は、少し眉を寄せて笑った。


 それはどこか、少し物悲しそうにも見えた。


「行ってきます」

「……あァ」


 小さくなっていくその背中を、エースは見えなくなるまでずっと見つめていた。





 ***を見送った後、エースは一人ベンチに座った。


 考えてしまうのは、やはり昨日の***のことだ。










『エース、どうしても帰らなきゃダメ?』










 エースは、くしゃくしゃと頭を掻いた。


 あんなこと、言われても困る。


 困る、けど。


 それを遥かに凌いで、うれしい。


 あんなふうに言うってことは、おれとまだ一緒にいたいと思ってくれているってことだ。


 ***がそういうことを言うのは、初めてだ。


 いっそ、『早く帰れるといいね』とか、『また手がかりが見つかってよかったね』とか……。


 いや、もちろんそれはありがたい。ありがたいんだけど。


 どこか、寂しいと思ってしまっていたんだ。


 おれだけが、離れたくないと思っているような気がして。


 おれは、おかしい。おかしくなっちまった。


 離れなければと思えば思うほど、


 ***を知れば知るほど、


 ますます、離れがたくなっていく。










『……***……おれは』










 おれはあの時、なにを言うつもりだったんだろう。


 ***を思うと、心の真ん中が、ぎゅうっとしめつけられるように苦しくなる。


 会えなくなる日がいつか来るんだと思うと、


 心が、ちぎれそうになる。


 身体に触りたいし、なんていうか……


 心が、ほしい。


 おれと同じように、***にもおれを思ってほしい。


 おれは、病気なのか? こんなふうになっちまうなんて。どこかおかしいとしか思えない。


 どうして***なんだろう。


 異世界に来ちまったおれを、助けてくれたから?


 うまいメシを食わせてくれるから?


 おれを、信じてくれたから?


 それもあるんだろうけど。多分、そうじゃねェ。そういうんじゃなくて。


 もっと、なんか、こう。


 ……それがなんなのかはわかんねェけど。


 そこまで考えると、エースは大きくため息をついた。


 どうしよう、おれ。このままじゃ、帰れねェ。


 エースはさっきよりも強く頭を掻きむしった。


 いっそのこと、さらってしまいたい。


 でも、力づくでそんなことしたら、***の心は手に入らねェだろうな。


 心がほしいなんて思ったことねェから、どうしていいかわかんねェ。


 エースは、空を仰いだ。


 ……伝えてみるか、***に。


 今、思ってることすべて。


 どうなるかなんてわかんねェけど、それでも。


 おれの気持ち、知ってほしいから。


 ……よしっ!


 エースはそう決心すると、すくっと立ち上がって歩き出した。


 そうと決まったら、さっそくどう切り出すか考えなきゃな。


 エースは、歩きながらうんうんと唸った。


 ***は、どう思うだろうか。


 おれのこの気持ちを知ったら。


 もし、


 もしも、


 ***も、同じ気持ちでいてくれたら。


 おれたちは、どうなるんだろう。


「早く帰ってこねェかな、***」


 ついさっき別れたのに、もう会いてェな。


 ……なに言ってんだ、おれ。


 エースは、そんな自分が照れくさくなって、緩んだ頬を引きしめるようにぺしんと叩いた。


 そのまま、歩道橋の階段に差し掛かる。










 その時だった。










 ……なんだ?


 突然、目が痛いくらいに眩んだ。


 何かが、光っている。


 ……この感じ、


 たしか、どこかで、


 すると、何かにくいっと身体を引かれて、エースの足は階段を踏み外した。


 そうだ……


 これはっ……!


 その光は、みるみるうちに大きくなっていく。


 待ってくれっ……! おれは、まだ……!










 ***……!










 そこで、エースの思考は止まった。


 『それ』は、数秒だけ大きく口を開けると、すぐさま針の穴ほどに小さくなった。


 まるで、何事もなかったかのように。


 辺りは、不気味なほどに再び沈黙した。


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