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「わー、真っ暗だね」

「夜だしなァ」


 砂浜をエースと二人歩いていくと、夜の海ということもあって、私たち以外には誰もいない。


「夜の海ってなんか怖いよね」

「そうか?」

「海って昼とか、明るいときに来ることが多いから」

「あァ、そうか。おれはずっと海の上だからなァ。夜の海も、おれは好きだ」


 水平線を愛おしげにみつめて、エースは柔らかく笑った。


 一歩下がって、エースと海を一緒にフレームに収める。


 海賊をやってるエースなんて、正直まったく想像がつかないけど……。


 でも、なんとなく。


 海が似合うな、エースは。


「なんで突然海に行こうなんて言ったんだ?」


 エースが、振り向いてそう問いかけてきた。


「うーん……なんとなく」

「ははっ、なんだそれ」


 知りたいなと思ったんだよ。私の知らないエースを。


 少しでも、エースの大切にしているものを近くに感じられるかなって。


 そう思ったんだよ。


 エースの、広い背中をみつめた。


 遠いな。こんなに近くにいるのに。


 エースは、遠い。


 潮風が強く吹いた。


 なんだか、エースがさらわれてしまいそうで。


 怖くなって、エースの隣に身を寄せた。


「あっ」

「? どうしたの?」

「海! 入ってみる!」


 そう言って、思い出したようにエースは海へと走り出した。


 その様子に頬を緩めながら、そのあとを追う。


「は、入るぞ。***」

「う、うん」


 エースの緊迫感が、ひしひしと伝わってくる。


 ほんとに泳げないんだ。なんかこっちまでドキドキしてきた。


 エースは、おそるおそる、そっと海に足をつけた。


「……」

「……」

「ど、どう? エース」

「……大丈夫だ」


 エースのその表情は、キラキラという表現がぴったりだ。


「***! おれ、海に入れる!」


 そう叫ぶと、エースはじゃぶじゃぶと沖の方へと突き進んでいった。


「ちょっ……! ちょっとエース!」


 引き止めようと伸ばした右手も空しく、エースはもうすでに全身を海に投げ出していた。


 あーあ……やっちゃったよ、あの子。


 黒い海の中を、エースは子どものようにはしゃいで泳ぎ回っている。


 ……ま、いっか。


 小さく息をついて、そのまま砂の上に座った。


 エースはひとしきりはしゃぐと、ゆったりと身体を海に沈めた。


 瞳を閉じて、とても穏やかな表情を浮かべている。


 その横顔が月明かりに照らされて、まるで一枚の絵のようにとても美しい。










 なぜか、涙がでた。










「いやー、やっちまった! はしゃいじまってつい」


 全身びしょびしょになりながら、エースはいたずらっ子のような笑みをたたえて戻ってきた。


「はい、タオル」

「おお、ありがとう!」

「あと替えの下着とかこれに入ってるから、あっちで着替えておいでよ」

「持ってきてたのか!」

「なんかちょっと、こうなるんじゃないかと思ったんだよね」

「さすがだな***!」


 ありがとう! と言って、エースは岩かげの方へ走り去っていく。


 一人浜辺に佇むと、耳には海の声しか届かない。


 エースがいないと、こんなに静かなんだな。


 一人って、こんな感じだったっけ。


 こうなるのか。


 ……エースが、帰ったら。


 今みたいに、少しの時間じゃなくて。明日も、10日後も、1年後も。


 ……ずっと。


 そう思ったら、ぶるりと身体が大きく揺れた。


「寒いのか?」


 その声にカオを上げると、いつのまにかエースが戻ってきていた。


「あ……ううん、大丈夫」

「そうか」


 そう笑って、エースは隣に座った。


「まさかまた海で泳げる日がくるなんて思わなかったな」

「ははっ、よかったね」

「あァ。帰ったらみんなに報告だな、こりゃ」










『帰ったら』









「そうだね、みんなびっくりするかもね」

「だろうなー」


 なぜか会話が途切れて、二人で黙って海をみつめた。


 手、つなぎたいな。エースがここにいるんだって、感じたい。


 手が、自然とエースのそれに引き寄せられていく。


 あと、少し。


「***には、本当に感謝してる」

「えっ」


 突然告げられたその言葉に、思わず手を引っこめた。


「こっちにいるとき、ずっと考えてた。もし、出会ったのが***じゃなかったらって」

「……私じゃなかったら?」

「あァ。***がおれを信じてくれたから、この世界でも、おれはおれでいられたんだ」


 そう言うと、エースは今までで一番暖かいまなざしで私を見た。


「ありがとう、***」


 エースはすくっと立ち上がって、足についた砂を払った。


「帰るか! 寒くなってきたな!」


 私の頭をくしゃりとなでて、エースは歩き出した。


 耳の後ろで、さくさくさくと、足音が小さくなっていく。


 私も立ち上がって砂を払うと、エースの遠ざかっていく背中をみつめた。


 何も言わなかったら、変に思われる。


『私もエースでよかったよ』

『あっちに帰っても、私のこと忘れないでね』


「……エース」

「ん?」

「エース……










どうしても帰らなきゃダメ?」










「……え?」


 私のその言葉に、エースのすべての動きが止まった。


 鼓動の音が大きくなって、世界のすべての音がかき消されていく。


 二人の時間が、止まった。


「……***……おれは」



 エースの口がゆっくり動くのを見て、鼓動がひとつ、どっと音を立てた。


「電球」

「……は?」

「この前、エースに電球替えてもらったの覚えてる?」

「へ? あ、あァ……」

「あれ、一人でやるときテーブルの上に椅子おいてその上に上がらないとできないんだよね」


 曖昧に笑いながら、早口でまくし立てるようにそう言った。


「だからエースがいなくなったら困るなァって思ったんだけど、そんな理由で帰らせないわけいかないよね。ごめん、変なこと言って!」


 ふざけたようにエースの肩を叩いて、エースを追い越して歩いていく。


 エースの視線が、背中に突き刺さる。


 しばらくすると、エースが何も言わずに私の隣に並んだ。


 エースは遠く、空をみつめている。


 その心が、もうここにはないような気がして。


 私はそれを、見てみぬフリをした。


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