02
「ただいまー」
迎えてくれる人がいないことは分かっているが、そう言わずにいられないのは一人暮らしの性だ。
いつものように鍵を閉め、いつものように靴を脱ぎ、いつものように電気を点け、いつものようにカーテンを、カー、テンを。
……ん?
んんん?
最初に目についたのは、見慣れないオレンジの帽子だった。
そして、その帽子から何かが生えてる。
多分、いや、間違いなく……。
……人間に見えるんですけど。
あれ、私家間違えた?
でもあのテーブルは予約までして買ったお気に入りだし、テレビだってボーナスで頑張って買った地デジだし、なにより室内の配置今朝と同じだし……。
いや、そんなことより一番に考えることがある。
「どっ、どろぼっ」
心臓が、今さらバクバクいっている。
反応が遅い。遅すぎるよ私の心臓。
いや、今そんなことはどうでもいい。
こういう時ってどうするんだっけ。
け、警察だ。
警察に電話しなきゃ。
110番って携帯から掛けられるんだっけ。
っていうか警さつって110ばんでいいんだっけ。
ああ、かんじへんかんができなく、
「ううっ……」
すると突然、その人間の形をしたものからうめき声が聞こえた。
おっ、起きちゃう……!
は、早く何かしなきゃ……!
とにかくなんでもいいから、何かしなきゃ…!
頭の働きとは裏腹に、その指示は身体まで行き届かない。
私はなす術なく、そこに立ち尽くしてしまった。
「うーん……」
むくりと、その人間の形……いや、もう人間だけど。
は、頭を押さえながら起き上がった。
もうダメだ。殺される。
さようなら、平和で退屈で愛しい日々よ。
……あ、でもちょっと待って。
せめて、シンクに置きっぱなしの茶碗だけは洗わせて頂けないだろうか。
今朝は納豆だったから、そのままにしてたら匂って仕方な、
「……だれだ?」
「……」
……だ、 誰だ?
誰だって言った? この人。
どこからどう見ても、それはこちらのセリフなんですけど。
「ここは……どこだ? ……船は?」
……ふね?
ふねって……あのふね?
船←この?
泥棒さんは唖然とする私を尻目に、キョロキョロと忙しなく室内を見回している。
その仕草が、どうにもただの泥棒には思えない。
「あ、あのー……」
埒が明かないので、勇気を振り絞って声を掛けてみた。
大きな黒い瞳が、私を捉える。
うっかり、綺麗な目だと思ってしまった。
「あの……ど、どちらさまで?」
泥棒であろう人へ問い掛けるにしてはいささか不自然だが、一番知りたいことが口をついて出てきた。
すると泥棒が突然立ち上がったもんだから、思わず身体がビクリと揺れる。
バっ、バカなこと聞くんじゃなかった……!
こ、殺され、
「おれ、エースってんだ。以後よろしく」
そう言って泥棒さんは、それはそれはもう丁寧にお辞儀をした。
え、えいす?
英巣? 栄酢? 変換が分からない。
「え、えいすさん?」
「あァ、エースだ。火拳のエース。知らねェか?」
↑のセリフがなにひとつ漢字変換できない。
ひけんってなに。
え、この人有名人なの? 知らないんだけど。
「ところで、おまえはだれだ? ここはどこなんだ?」
「へ、あ、え、えーと……***といいます。……そしてここは、私のうちです」
なにを丁寧に自己紹介してるんだ、私。泥棒相手に。
「***か。よろしくな!」
そう言って、泥棒さんは爽やかに笑った。
その太陽みたいな笑顔につられて、つい私も「はい、よろしくお願いします」と答えてしまったのだった。[ 2/35 ][*prev] [next#]
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