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やばいやばいやばい! どうしよう! 完全に遅刻だ!
突然ですが、焦っています。
道行く人たちが、そんな私を訝しげに見ている。
しかし、そんなことを気にしている余裕はまったくない。
なんでこんなことになってしまったかと言いますと。
時を遡ること二時間程前。
「おれも一緒にかいしゃに行く!」
「……はい?」
エースと一緒に作った朝食を食べながら、エースが満面の笑みで言った。
「だ、だめだよそんなの。なに言ってるの」
「なんでだよ。いいだろ。そこまで送っていくだけだ」
よくない。そんなところを同僚や上司に見られたら、なんて思われるか。
お泊まりしてそのまま恋人に送ってもらった感まるだしだ。
「どこか行きたいなら、戻ってこられる範囲で出掛けてきていいんだよ?」
「いやだ。おれは***のかいしゃに行きたいんだ」
エースは、キッパリとそう言い放った。
「な、なんで私の会社に行きたいの?」
「……べつにいいだろ」
そんな。理由くらい教えてくれても。
「あのねエース。会社の近くまで行くと、いろんな人に見られちゃうんだよ」
「いいじゃねェか、別に」
「うーんと、なんて言ったらいいか。私の会社の人たちにも見られちゃうんだよね」
「そうか。大丈夫だ、ちゃんとあいさつできるぞ」
「……そういう問題じゃなくてね、エース」
困った。どう言ったらわかってくれるんだろう。
「そうか……」
「わ、わかってくれた?」
「***は恥ずかしいんだな、おれと一緒にいるところを見られるの」
「……へ?」
エースが、見るからにしょんぼりと肩をおとす。
「や、やだな、違うよエース。そうじゃなくて、あのね」
「そうだよな。こんなどこからやってきたのかわかんねェような怪しいやつと一緒にいるところなんて、見られたくないよな」
「エー」
「いいんだ、いいんだよ。無理言って悪かった。おれはもう一歩もここから出な」
「分かった! 分かったよ、エース! 一緒に会社に行こう! だからそんなこと言わないで?」
ねっ? とエースのカオを覗きこんだら、ニヤリとしか表現できないカオで笑ってた。
こ、この男……!
「よーしっ! かいしゃへ行くぞーっ!」
「お、おー」と力なく答えたのであった。
そんなやりとりをしてたら時間がなくなってしまい、挙げ句の果てには電車の切符の買い方とかも教えなきゃいけなくなって……。
冒頭に戻る。
とにかくまずい。
今は何も考えずに走らなくてはっ!
ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おおおおおおおおおおおおおっ!
「間に合ったァっ!」
「社会人としてはアウトだけどね」
始業5分前にギリギリ滑りこんだ私に、同僚が冷たくそう突っこんだ。
「面目ない」
「めずらしいじゃん。いつも20分前には着いてる***が。なんかあったの?」
「ち、ちょっとね」
さすがに会社の前まで送ってもらうわけにはいかず、エースとは会社近くで別れた。
別れ際にエースは「帰りも迎えにくるからな」と言って去っていった。
それにしても……。
いったいどうしたんだろう。
いきなりあんなこと言い出すなんて。
何回理由を聞いても教えてくれなかったし……。
うんうんと唸っていたらとなりの同僚が腕をつついてきた。
「******、今日の送迎会、社長が来るって知ってた?」
「えっ、そうなの? 知らなかった。私欠席で出しちゃったよ」
「私も合コン入ってたから行かないつもりだったんだけどさ。さすがにマズイよね」
「そうだね……」
今は、エースがいるから夜のお誘いは断っている。
エースのご飯を用意しなくちゃいけないし、何よりエースとの時間が減ってしまうから。
でも、さすがにマズイな。社長がくるのに社員が行かないのは。
エースがこっちにいるあいだは、できるだけ出掛けたくないんだけどな。
しかたない。さらっとカオ出して早めに帰ろう。
エースのご飯どうしよう。
とりあえず、終わったらすぐエースの待ってるところまで走って行って訳を説明して。
そんなこんなで、私は帰りの段取りのことで頭がいっぱいになってしまった。
*
「***、行くよー」
退社時間になると、同期の男女数人でお店に向かうことになった。
「ごめんっ! 先に向かってて! ちょっと寄るところあるから」
「えー? いいよ、私たちも付き合うよ」
「だ、だだだっ、大丈夫! すぐ終わるから!」
「あっ! ***!」
呼び止めようとした同僚をそのままに、私はエースのもとへ走り出した。
*
「***! おつかれさん!」
待ち合わせ場所に着くと、エースがふわりと笑って迎えてくれた。
「ま、待った? ごめんね」
なんか、むずがゆい。この感じ。
遠まきにエースを見ていた通行人から「なんだ女連れじゃん」「大したことないね」「シュミ悪い」などの罵声が聞こえた。
ひ、ひどい。
軽く傷つきながら、はっと我に返る。
「あのねエース、突然でほんとに申し訳ないんだけど、私ちょっと出かけなきゃならなくなって……」
「出かける? どこにだ?」
「ええっと、飲み会っていって……みんなでお酒飲んでお話ししたり騒いだり」
「あァ、宴か」
海賊世界では宴っていうのか。
「そうなの、ほんとにごめんね。それで夜ご飯なんだけど、これで好きなもの買って食べてて?」
そう言ってお札を手渡した。
「……どうしても行かなきゃダメなのか?」
そう言って、エースは眉間にしわを寄せた。
「う、うん。偉い人がくるから行かなきゃならな」
「***ー!」
突然呼ばれて振り返ると、同僚みんながこの光景を見ていた。
ま、まずい……!
とっさにエースの前に立ちはだかるが、時すでに遅し。
というか、エースは背が高いのでまったく意味がない。
「ちょっと***ー! やっぱり彼氏できたんじゃーん!」
となりの席の同僚が、興奮して私の身体をバシバシ叩く。
「い、いや、違うの! こ、この人はその」
「隠さなくてもいいのにー!」
「やるな、おまえ」
「すごいカッコいいね」
「あァ、***にはもったいねェな」
「どんな詐欺働いたんだよ」
矢継ぎ早に攻められて対処できない。
っていうか失礼な言葉が聞こえたんだけど。詐欺ってこら、どういう意味よ。
「私たち***の同僚なんですぅ」
「かっこいいですねー! ***とはどこで出会ったんですか?」
「お友だち紹介してください!」
女の同僚全員が私を押し退けて、エースに尋問する。
「ち、ちょっとみんな! こんなことしてる場合じゃないでしょっ! 遅れたら大変だよ!」
みんなをエースから引き剥がして、そう早口でまくし立てた。
「ええ、残念」
「じゃあ彼氏さん、***お借りしまーす!」
「***行こっ!」
ぐいっと腕を引っ張られて、ずるずると連行されていく。
「あっ、オイ! ***!」
「ごめんねエース! なるべく早く帰るから!」
立ち尽くすエースをそのままに、私はエースのもとをあとにした。[ 19/35 ][*prev] [next#]
[mokuji]
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