言葉というものはなんて難しいものなんだろう。

口を開くたびに、怖くなるんだ。傷つけてしまわないか、傷ついてしまうのではないかと。

そう思ってるのに、私の口は今日も意思に反した行動をする。意地を張って、言い合いをして、そして後悔をして。

その、繰り返し。


「ちょっと一護!まだ数学のプリント出してないでしょ。出してないの一護だけなんだけど」

「うぜー…」

「今持ってくから早く出して」

「捨てた」

「…は?」

「だから、捨てたんだっつーの」


当たり前のように言ってのけた一護に大きな溜息が出る。出してもらわないと困るのは、一護もそうだけどまずは私だ。

あの先生はちゃんと人数分出してるか確認してからじゃないと帰さないんだ。正直早く持ってかないとお弁当食べる時間がなくなってしまう。


「でも出してもらわないと困るんだけど」

「ねーもんはねーよ」

「もー…、なんで捨てたりなんかしたの?」

「あー…まじうぜぇ」


はぁ、とだるそうに溜息をついてガタン、と乱暴に椅子から立ち上がる。ぺちゃんこな鞄を手にして一護は教室から出ていった。その足で一護は一体どこへ向かうのだろう。

行く先は、きっと。

その背中を見つめれば、自然と瞳にうっすらと膜が張った。それを誤魔化そうと何度も瞬きをする。

私は、いつも通りに出来たのだろうか。

いつも私たちは言い合いをして、一護はその度に怒る。こうやって私から逃げることは何度だってあった。そんな一護を見るたびに私は後悔をしていたのだけれど。

そんなことしてたから、本当に取り返しのつかないことになってしまったんだ。


もっと素直になってたら、変わってたのだろうか。





「みょうじ?どうしたの?」


ハルくんの声にハッと我に返る。今私がいる場所は一護の席の目の前で、たぶんハルくんは私に何があったとかわかってるんだと思う。だって、目が笑ってない。真剣な表情で、私を心配してることが窺えた。

けれど私は、ハルくんに甘えたくなくて。私はなんでもないよと笑ってひとりで一護以外のプリントを職員室まで運んだ。




本当は、女の子らしく、かわいくなりたい。けど、一護とはずっとこんな感じだったから今さらで。そのときの一護を想像すると、怖い。なに言ってんだ、って。こんな私気持ちわるいって、言われそうで。

いつも一護の反応にビクビクしている自分が嫌いだ。

いつからこんなことになったのだろう。戻ってきた最初は、こんなんじゃなかった。ただ、ちょっと口が悪くなったな、って思ってただけなのに。




「なまえ、俺次の時間当たるからノート見せろよ」

「…はい、」

「やけにあっさり渡すんだな。いつもは騒ぐくせに」

「……、」

「…なんだよ」


ノートを一護に手渡しながらじっと見つめた。眉間にしわが寄って不機嫌そうに綺麗な顔が歪む。

嫌いになれたら、良かったのに。

好きなんて気持ち、知りたくなかった。


「…別に、なんでもない」

「……ふーん」

「…写すなら早くしてよ」

「…わかってるっつーの」


今さら素直になっても仕方ない。だって一護には彼女がいて、私はただの幼馴染でしかなくて。しかもいつもケンカばかりしてるとなれば、恋愛対象外だ。ただでさえ一護に寄ってくる女の子は跡を絶たないのに。

女の子たちは、一護のどこを好きになったんだろう。

めんどくさがりやですぐに不機嫌になるし、こうやって人のこと子分みたく扱って他力本願だし。口は悪いし、学校はサボりがちだし、なんでも諦めるの早いし、すぐに投げ出しちゃうような子供だし。はたから見たらちょーっとカッコいいってだけなのに。


でも、一護のいいところを私はたくさん知ってる。


意地悪なくせにすごく優しくて。別にって言ってるくせに心配性で。だるそうにしてるけどいざとなったら頼りになる。たまに素直になる瞬間は拗ねてすごくかわいいし。態度には出さないけど友達を大切に思ってることだって知ってる。まだ、言葉で表せないほどたくさんあるんだ。

だから、


「ほら、終わっ…、っ、おい、」

「…え、っあ」

「なまえ、お前何泣いて…」

「な、んでもないの!ちょっと欠伸したら出てきたの!」

「……」

「気にしないで、…一護には関係ないから」


一護の手のひらからノートを奪い取って背を向けた。これ以上一護と同じ空間にいると耐えれる自信がなくて、もうすぐ先生がくるのに私はドアへ向かった。とりあえずトイレか保健室で落ち着こうと考えた。のだけれど。


「…え、な、に?」

「……」

「ちょっ、一護手離して…っ」

「…ヤダね」

「…っ」

「ほら、来いよ」


一護は私の手を無理矢理引いて教室から連れ出した。けれどすぐに一護は止まった。振り返ることなく、じっと前を見据えているように感じて一護の背中から顔を出した。


「ハル、くん…」

「一護、みょうじ連れてどこに行くんだよ。もう、授業始まる」

「…別にいいだろ」

「よくないだろ。みょうじが困ってる」


一護の目の前に立ちはだかるハルくんに、いつもの人の良さそうな笑顔はなかった。静かに怒気を含んでいるように感じて私はハルくんに釘付けになる。

ぎゅう、と私の手を握る一護のそれに力が入って、思わず一護に視線を向ける。


「…なまえに話があるんだよ」

「……」

「ってかわざわざハルの了承得なきゃいけないのかよ」

「…じゃあ、もうみょうじを傷つけるな」

「……」

「あ、一護!」


ハルくんの言葉に返事を返さず一護は黙ったまま私の腕を引いていく。

傷つけるな、と低い声で言ったハルくんは確かに怒っていた。あんな私を見てしまったからだと思うと申し訳なくて、じわりと滲んだ視界で見たハルくんの顔は、涙のせいか、歪んで見えた。








コンパスの違いに少し息が上がる。たぶん、いつもここでサボっているんだろう。普段なら絶対入らない屋上の入口の空間で一護は立ち止まった。

何を考えているのかわからない。一護は、なぜ私を連れ出したのか。なぜ、痛いほどの力で私の手を握りしめているのか。


「…関係ないって、どういうことだよ」

「…え、」

「俺には関係ないってどういうことだって言ってんだよ!」


大声を出されて思わず肩を竦めると、腕をグイッと引かれて一護のほうによろける。なんとかもつれずにすんだけど、一護との距離が今までにないほど近くて息を飲んだ。


「俺は、関係ねぇのかよ」

「一、護…?」

「…っ、もう、いい」


泣きそうに歪められた表情で苦しげに吐き出した一護は私の腕を離した。

その顔の理由が知りたい。なんで、一護はそんな顔をするの。苦しいのは私なんだよ。諦めなきゃ、って思ってるのに。こんなことされたら。

反射的に私は一護の手を掴んだ。


「…なんで、そんな顔してるの」

「…そんな顔ってどんなんだよ」

「泣きそうな顔、」

「ッハ…、俺が?」

「…うん」

「…するわけねーだろ。気のせいだ」

「じゃあ、苦しそう」

「……」

「苦しい、の…?」


ギュッ、と今度は私が一護の手を握りしめた。すると一護からも、確かめるように握り返された。


「…わかんねぇけど、」

「……、」

「お前が泣いてるとこ、久々に見たからかもな」

「な、にそれ…」

「…なんか、嫌だと思ったんだよ」

「…私が、泣いてるのが?」

「……」


無言というのは一護の場合肯定だ。それに目を見開く。

一護が、私のことで苦しくなるなんてことあるのか。その事実に驚きを隠せない。だってそれじゃあ、私のことを気にかけてくれてるみたいで。


「…ねぇ、なんで、嫌だと思ったの」

「……」

「一護、聞かせて」


その虚ろな瞳を覗きこんで、また手に力を込めた。合わなかった焦点が私に定まって、視線が絡み合う。


「…傷つけたのか、俺」

「…え?」

「ハルが言ってただろ」

「あ…」


ハルくんの言葉を思い出す。確かに一護に向けてそう言った。なんて言っていいかわからずにいると、一護は空いてるもう片方の手で私の頬に触れた。そっと優しく涙の跡を辿る。


「俺のせいで泣いたのかよ」

「…ちが、う」

「じゃあ、なんでだよ」

「……」


私が質問していたはずだったのに、なぜか私が問い詰められている。握っていた手は力なく緩んだ。だけど逃がさないというようにギュッと一護が掴み直す。


「言え。じゃねーと俺も言わない」

「っ、」

「なまえ」

「…一護が!」


キッと、顔を上げて睨みつけた。じっと私を見つめる一護に、私の勢いは減速して俯いた。


「悪いんだもん…、諦めなきゃ、いけないのに…っ、こんなことするから…!」

「……」

「もう、さ、私も苦しいの。彼女にも悪いからさ、二人きりになるのとかやめよ?さすがにクロフネでみんな集まったときとかは仕方ないけど…」


掴まれた手を、空いてる方でそっと外した。意外にもするりと解けた手はだらん、とぶら下がった。

やっぱり、気のせいだった。少しでも私を好きだと思ってくれたら、なんて儚い願いだった。顔は見れないけれど、きっと私が一護を好きだって夢にも思わなかったのだろう。

ぶら下がっていた手は、ゆっくりと上に移動していくのがわかった。それはなぜかだなんて考える余裕など今の私にはない。


「…この顔じゃ戻れなさそうだから保健室行ってくる」


くるっと踵を翻してトントンと階段を降りていく。視界がぼやけて、うまく見えない。

これで、諦められる。好きとは言ってないけど、たぶん伝わっただろう。


ああ、これからがツライな。どうしたって毎日顔を合わせなきゃならないんだから。考えてみれば、引越す前もみんなよりも一護と一緒にいた気がする。

そういや、いっちゃんっていつから呼ばなくなったんだっけ。戻ってきてから呼んだら、一護がいっちゃんなんて呼ぶなって怒ったんだ。もし、それに屈さずにいっちゃんって呼んでたらどうなったかな。今よりはもっと素直になれただろうか。

一護という名前は、きっと私にとって淡い恋心を思い出さないための防御壁だったんだと思う。

最後の一段を降りると振り返って、涙でぼやける視界の中、呆然と一人佇む一護を見つめた。

好き、

好きなの、

いっちゃんが。


「いっちゃんが、好き、だったよ」


震える声でひとつひとつ噛み締めるように発した言葉は、きっと一護に届いただろう。私は今度こそ振り向かずに歩みを進めた。

一護がもうどんな顔をしているとかわからない。けれど、私はもうそれでよかった。

もしその表情がわかってしまったら私はどうすればいいかわからなくなるから。

いつもよりも私は素直になれただろうか。好きだった、と過去形にしたのはこれからそうなるから。これくらいの嘘は許して。


「明日瞼腫れるだろうなぁ…その前に保健室の先生に驚かれるかな」


へへ、と笑い声は乾いているのに、頬は何度拭っても濡れる。

まだ、好きなのは仕方がないの。自然とこの気持ちが小さくなって、また新しい好きという気持ちを見つけて大きくなる日まで、もう少し待って。

そうしたらきっと心からの笑顔を一護に向けられると思うから。










それは代わりに誰かを縛り付ける。









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