席を立ち上がろうとすると、一護がみょうじの席の真横に立っていた。

また二人はしょうもないことで言い合って、結局一護の機嫌が悪くなって。みょうじはその度に落ち込んで。その繰り返しだと思ってたから俺はただその様子を見つめていた。

二人は少し話すと、一護は満足気に鞄を肩に引っかけて教室から出ていく。その様子に疑問に思いながらも、それを見送って視線を戻せば、呆然と椅子に座っているみょうじになんとなく嫌な予感がした。

遠くのほうで一護の声がする。それに女の子の嬉しそうな声も混じり、次第に遠退いて聞こえなくなった。


「……みょうじ?」


この静かな空間には俺とみょうじの二人だけ。そっと近づいて声をかけると、膝の上で握りしめている拳が震えていた。


「……勝ちって、なんなの…」

「……え?」

「……聞いてないよ…、彼女…出来たって…」

「……」


俯いたまま顔を上げない彼女。

何も言えず目の前でただただ立ち尽くす俺。

ズキズキと疼き出す胸の傷みが煩わしい。呼吸をすることさえ苦しくて、シャツが皺になるのも構わず心臓のあたりを強く握った。


「……っ」


ポタポタとスカートに濃い染みが出来ていく。声を漏らすまいと必死に唇を噛んで耐えているみょうじを見ると、胸がどうしようもなく掻きむしられる。

頭に浮かんだのは、なんで、という一護への疑問と憤り。そして何も出来ない自分への不甲斐なさ。

俺の視界にはいつだってみょうじがいた。次々と変化する表情が、笑顔が、一護のせいだと気づいたのはいつからだろう。

てっきり二人はくっつくんだと思っていたんだ。きっとどちらかが素直になれば丸く治まると思ってた。

だから、俺は。


「…言わ、ないの?」

「……」

「伝えなくていいの?一護に」

「…そんなこと…今さら出来ない」

「……本当に、後悔しない?」

「……」


追い討ちをかけるようだとは思った。俺だって傷ついてるみょうじを追い詰める真似はしたくなかったけれど、みょうじを見ていたらわかるから。

どれだけ一護が好きかなんて、わかりたくなくてもわかってしまったから。


「…いいの」

「……そっか」


爪が食い込む程に拳を強く握りしめた。言葉が続かない。何て声をかけていいかわからない俺は、なんて無力なんだろう。

哀しみに打ち拉がれた彼女を元気つけることもできない。震えるその肩を抱きしめてあげることもできない。

椅子をみょうじの近くまで寄せて座り、俯いてる頭をそっと撫でた。身体が僅かに揺れたけれど、構わずに続けた。

サラ、と揺れた艶やかな髪の毛に、目眩のする香りに、俺の抑えてた心まで揺さぶられるのは気のせいだと自分に言い聞かせる。


「…我慢しなくて、いいんだよ?」

「……っ」

「…ね?」


俺が唯一してあげられることと言えば、みょうじに我慢させないで泣かせてあげることくらいだから。

頑なに閉じていた瞳が、ゆるゆると開かれる。揺れる瞳は歪められてそこから涙がまたひとつ、こぼれ落ちた。

感情のままに泣き叫ぶわけでもなく、ぽろぽろと静かに涙をこぼすみょうじはとても綺麗で思わず魅入ってしまう。

一定のリズムで髪を撫で続けていると、虚ろな瞳が俺の姿を映した。


「……ハルくん」


光を失った瞳は確かに俺を映している。

けれどみょうじは俺じゃない誰かを見ていたことが、ただ悲しかった。


「……彼女といるところ見たら私…どうすればいいの…?」

「……」

「…今まで通り、なんて無理だよ…」

「みょうじ…」


ふい、と顔を背けてまた俯いた。淡々と感情の起伏を見せないその物言いが、みょうじの心の叫びを物語っていた。

その視線の先にいる一護が羨ましいと、何度そう思っただろう。その度に何度、自分の気持ちを抑えつけてきただろう。

息が詰まりそうだ。今にも消えそうなみょうじを抱きしめてしまいたいのに。こんな時でも俺は臆病で。

いつの間にか撫でていた俺の手は髪から離れ、強く拳を握っていた。


「…も、やだ…」

「……」

「こんな辛い思いするなら戻ってこなければよかっ…」

「っ、みょうじ!」


ガタン!と大きな音を立ててその勢いのままみょうじの肩を強く掴んだ。


「…それ本気で言ってるの?」

「……」

「…俺にも、会いたくなかった…?」


みょうじはハッとして俺と目を合わせてやっと俺自身を見てくれた。そして悲しそうに眉を下げる。


「…ごめんなさい…、そうじゃなくて…」

「…うん、わかってる」

「……、」


押し黙ったみょうじに俺は自嘲気味に笑った。

みょうじが傷ついていて、本心じゃないってわかっているのにも関わらず、わざと言葉を遮ったのは俺のエゴだ。みょうじの気持ちが楽になることよりも、俺の気持ちを優先した。

俺の中にある思い出を、みょうじを、みょうじ自身に否定されたくなくて。


俺の顔を映し出した瞳にはまた涙が浮かんで、それでも俺の気持ちがわかったのか泣き笑いのような顔でごめんね、ともう一度呟いた。

その表情に、言葉に、心臓を鷲掴みされたような傷みが走る。こんな顔見たくなかったんだ。悲しい顔なんてみょうじには似合わない。


「…なまえ」

「……?」


屈んで両手でみょうじの頬を包みこんだ。そっと親指で涙がこぼれそうな下瞼を拭う。

ピクリと構えた身体に構わずに、俯いた顔を覗きこんで無理矢理目線を合わせた。


「なまえは笑ってるほうがかわいいよ?」

「……」

「…笑って?」


俺、笑えてるのかな。気持ちを抑えこんで笑うのは慣れてるはずなのに、どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。

今、本当に辛いのはみょうじなんだ。笑え笑え笑え。俺が笑ってなくちゃみょうじは笑えないだろ?


「…ハルくんは優しいね」

「…そんなことないよ」

「…そっか」


伏し目がちに笑ったみょうじの目尻はまだ濡れていた。

赤くなった鼻と、キュッと瞑った瞳の先にある涙に濡れる睫毛が目の前にあることに今さら気づいた。

その距離の近さに鼓動が速くなる。顔に熱が集まるのが自分でもわかった。もう、言ってしまいたいという気持ちと抱きしめたいという衝動が俺の中に押し寄せる。

一護は彼女がいるからいいじゃないか、って心の底で少なからず思ってしまう自分が嫌だ。

混乱するのはみょうじだ。そんなことわかってる。ただ自分の欲を押し付けるにすぎないんだってことは。

何より俺自身が、そうなることを望んではいないんだ。




だから俺は自分の気持ちに蓋をする。これが一番いい方法だと信じて疑わずに。








君のその笑顔なんだ。

だからどうか笑顔を見せて。








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