ハルくんは、ずるい。


私がドキッとするようなことを、突然言い出したりする。やわらかく笑うその瞳や、楽しそうな笑い声だって。少し強引で頑固なところだって、ドキドキさせられるんだ。

背丈だって、10年前は私と変わらないくらいだったのに、今では見上げるくらい伸びた。握られている手だって、骨ばってて硬い皮膚で形成されていて。

広くて大きな背中も、昔よりも低くなった声も、尖った喉仏も、鍛えられた逞しい二の腕も、私が履くとガボガボな大きな靴も。


私とは、全然違う。

なんで私よりも背が高くなって、力があって、強くなって。

こんなにも男と女の違いを見せつけられるんだ。出来ることは全て自分でやりたい。だけど、私が『女』ということは変えられなくて。

ほら、手を伸ばしても、図書室の本棚さえ届かない。スッと伸びてきた腕が、私が際限まで伸ばした手を通り越した。


「これでいい?」

「…あ、」

「届かないなら呼んでくれればいいのに」

「…ありがとう」

「ていうか、危ないから今度から呼べよ?」

「ハーイ…」


ポンポン、と私の頭を撫でて笑うハルくん。私は自分の手にある本を見つめたまま。

大きくなるにつれて出来ることも増えたけど、出来ないことも増えてゆく。そのたびに女という足枷が邪魔をするんだ。

なんで、私は男の子に生まれなかったんだろう。

もし私が男に生まれていたら、もっと背が高くて、筋肉だってたくさんついてるはずなんだ。重い物だって持つことができるし、誰の手を煩わせることもないのに。

それにスポーツだって、ある程度身体能力が高ければ、今よりももっと出来るはずなんだ。こんなに出来ない自分にヤキモキすることもなくなる。

やっぱりみんなも男の子で。男の子にしかわからないこととか、その雰囲気が私との間にある壁に見えて、なんだか寂しく感じることも少しあるんだ。

私が男の子だったら、こんなに違うことはなかったのに。


「…私、男の子に生まれて来たかったなぁ」

「え?なんで?」


クロフネのカウンターでつっぷしながら小さな声で呟けば、ハルくんが私の隣に座って頭を撫でた。

ああ、そんな温かくて大きな手だって。


「だって…」

「うん?」

「…」


ハルくんは、優しくて、ズルい。

私を簡単に宥めてしまう。優しい声音が、私の気持ちを軽くするんだ。でも、悔しいのには変わらないんだけど。

白いコーヒーカップに映った情けない自分を見つめてため息をついた。


「男の子に生まれてきたら、もっといろんなことだって出来たのに…」

「そう?」

「高いところとか簡単に手が届くし、重いものだって持てるし、」

「ハハッ!」

「なっなんで笑うの!?」

「可愛いなと思って」


ほら、また。こうやって私を翻弄するんだ。可愛いって言われるのも嫌なんだ。違いを見せつけられているようで。

でも、そんな気持ちと裏腹に私の顔はきっと真っ赤だ。


「ふふ、顔赤い」

「や、ヤダ!見ないで!」

「ダメ!見せて」

「やだっ」

「…なまえ?」


咎めるような、諭すような口調に、私は腕をずらして目だけで確認した。そんな私にハルくんはやわらかく、満足そうに笑う。

こうやって、苦しくなるのも、嫌なんだよ。ハルくんがそうやって笑うから、私は気持ちをどう処理していいかわからなくて、いつも泣きそうになるんだ。


「可愛い」

「や、ヤダ!可愛いとか言わないで!」

「なんで?」

「なんでって…」

「可愛いと思ったから、言ったんだけど」


真剣な表情で言うものだから、私は言葉が詰まってしまう。ハルくんはなんでこんなにストレートなの。直球すぎて、かわすことなんて出来やしない。


「お、女の子扱いが嫌なの!」

「?なんで?」

「だ、だって…みんな私を甘やかしすぎだよ!私、もっと一人で出来るよ!」


何かあるごとに、私はみんなに守られてる。ハルくんは特にそう。帰り道も車道側を歩いてくれるし、ドアを開けて私を優先させる。荷物を持ってたら必ず持ってくれる。いつだってさりげなく優しく、気を遣ってくれる。

友達はそれが普通だよ、って言うけれど、そんなの違う。本当はそんなことさせたくないのに。

ハルくんの顔から笑みが消えた。少し悲しそうに目を伏せてから、私の頬に手をかける。


「俺、いらない?」

「えっ」

「だってそういうことだろ?」

「ち、違っ」
「そういうことなの!なまえが言ってることは!」


ハルくんの言ってることがわからない。だって、私は対等に見て欲しいんだよ。女だから、っていうのが前提にあるのが嫌なだけなの。

でも、ハルくんにこんな悲しい顔をさせてるのが嫌で、黙ったままギュッと強く手を握った。


「…一人で出来るなんて言うなよ、寂しいじゃん」

「…」

「俺は頼ってほしい。好きな子なら尚更」

「…私は、その頼るのが、やなの」

「なんで?」


だって、男の子と比べたら何も出来ないし、何も出来ない自分が嫌だったの。昔は変わらないくらいの背丈だったのに。急に変わって、ずるいよ。みんなが遠くに行っちゃったみたいで、寂しい。


「そっか…、でもなまえは女の子でいてよ」

「え…」

「俺の大事な女の子なんだから、俺に守られてて?」

「…」


また、だ。甘い声で、私をあやす。悔しい。何もしないなんて、私は嫌なんだよ、ハルくん。何も出来ない人間になんてなりたくない。そんな甘やかされたら、一人で立ってられなくなる。依存してしまう。それは、絶対にダメ。


「ヤダ、もん」

「ヤダじゃない」

「だって、」

「…ほら!」


急に抱き寄せられて、その逞しい腕の中に閉じ込められた。ギュウッと抱きしめられて、離してくれない。


「こうやって俺の力にも抵抗出来ないだろ?」

「…う」

「それに俺の腕の中にすっぽりと収まっちゃうんだよ、なまえは」

「…、」

「しょうがないの、なまえは女の子なんだから」


ポンポン、と背中を叩かれて、なんだかすごく子ども扱いされてる気がする。

でも、やっぱり悔しいんだもん。なんでこんなにハルくんと違っちゃったんだろう。なんて、そんなこと考えたって無駄なこともわかってるけど。

ジワッと瞳に涙が浮かんでしまって、そのまま私はハルくんの胸に顔を埋めて抱きついた。ハルくんはそんな私をそっと抱きしめ返してくれた。


「それになまえが男だったら、こんなふうに抱き締めたり出来ないだろ?」

「…、」

「なまえは俺のそばにいて、俺に守られてること。わかった?」

「…うん」

「なまえを守るのは俺の特権なんだから、奪わないで?」

「うん…」


あったかい、ハルくんのぬくもり。じわじわと私の心を溶かしていく。

ハルくんが私を守ってくれるんなら、私がハルくんを守ればいいんだ。

そう言ったらきっと、ハルくんはそんなことしなくていいよ、って言うだろうな。だから、私だけの秘密にすることに決めた。頼るだけなんて、絶対に嫌。常に対等でありたいと思うのは、おかしなことなのかな。


「お〜い…」


ハッ、と私はハルくんの胸にしがみつきながら我に帰った。後ろを振り向けば、マスターがちょっと赤い顔をして頬を掻いてる。


「そういうことをするなら部屋に行ったら?オジサン照れちゃうなー」

「!!」

「ご、ごめん、ジョージさん!」


二人して真っ赤な顔を見合わせる。ここにみんながいなくてよかったと心底思った。

頭から湯気が出そうなくらい赤くなった顔を隠すように俯けば、そんな私の手を取って椅子から立たせた。


「…じゃあ、行こっか?」

「…っ」


マスターはひらひらと手を振りながら寂しそうに溜め息をついて。それを横目で流しながら、ちょっと照れながら私の手を引いて歩き出したハルくんの背中を見つめた。

これから私の部屋で何が起こるとか、ギュッと握られた手の温かさとか、ハルくんが直に感じられてドキドキしてしまう。

大人になったのは、身体だけじゃない。小さな頃は、手を繋いだって、頭をなでられたって、ドキドキなんかしなかったのに。

大人にならなければ、知ることの出来なかった気持ちもたくさんあるんだ。なんで私は、あの時のままがよかったなんて思ったのだろう。

繋いだ手から伝わる温もりと、流れ込むハルくんの気持ちを感じれば、今まで思ってたことがどれだけ馬鹿で、どれだけハルくんに悲しい思いをさせたかわかった。

ギュッと繋いだ手に力を込めれば、ハルくんはそんな私に気づいて微笑んでくれた。


「…ハルくん、」

「うん?」


あんなこと言って、ごめんね。

私、女の子で良かった。

この町に戻って来て、良かった。


そう言えばハルくんは部屋の鍵を閉めた手で私をそっと抱き寄せた。私がこの町に帰ってこなかったら、ハルくんは私ではない違う人をこうやって抱きしめていたのかもしれない。そう考えると、この優しくて、力強い腕の中に入れることは、奇跡に近いんだ。


お互い瞳を閉じて、ゆっくりと、確かめるように唇を合わせた。ハルくんの、慎重さややさしさが伝わってきて、キスをする度に私は胸がいっぱいになる。

そっと髪を掻き上げられて、やわらかい触感がおでこに宿って。目を開ければ、目尻を下げてイタズラに微笑みかける顔。


「なまえ…」


私が女の子でハルくんが男の子じゃなかったら、私たちが幼馴染じゃなかったら、私が、この街に戻ってこなかったら。

そんなことを考えただけで、胸が張り裂けそうだった。もう、私はハルくんのことしか考えられないんだ。

ハルくんにドキドキするのは、胸が張り裂けそうなくらい切ないのは、私が大人になったから。

恋を、知ったから。

また迫ってくる唇に気をとられた私は、切なげに歪められたハルくんの表情に気づかずに瞳を閉じた。










「ホント…、俺がいないと何も出来なくなればいいのに…」


ハルくんの言葉は、私の耳に届く前に空気に溶ける。

その代わりに聞こえるのは、大人になった二人の息遣いだけだった。







end

Congratulations 100,000hits!
For METAMORPHOSE/Agnieszka
By Lalas/Suzu

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