今日は何時間寝れるかな…。

スケジュールを確認して計算するとだいたい3時間くらい。夜中までドラマの撮影で朝に打ち合わせのあと雑誌の取材でしょ。そのあとが……。


「ふぁ…」

思わず出てしまった欠伸を噛み殺す。嬉しいことに最近はいろんなお仕事が増えてきて寝る暇もないくらい。


「寝てないの?」

「えっ?」


振り返ればスタジオのドアにもたれ掛かり優しい笑顔をした夏輝さんが立っていた。
そういえば今日のレコーディングには夏輝さんも来るんだった!


「お、おはようございます!」


ドキドキしながらペコッと勢いよく頭を下げるとクスッと笑い声が降ってきて顔をあげる。
にっこりと笑った夏輝さんはおはよって私に挨拶をしてくれた。


「最近忙しい?」

「あ、はい…」


そうだよな〜と顎に手を当ててうんうん唸る。その姿がなんだか可笑しくって笑ってしまった。それに対して夏輝さんもまた笑い返してくれる。


夏輝さんの笑顔が、好き。

やわらかく私を包んでくれる。

見てたらこっちまで元気になれるの。
「ボイトレも頑張ってるんだって?」


その一言で私の顔から笑みが消えた。
夏輝さんもそんな私に気づいて心配そうな表情になる。

余計な心配はさせたくない。
でも、無理矢理笑っていられるほど今の私にはそんな余裕はない。

はい!
とはっきり言えたらどんなにいいか…。


「私なりに精一杯やってるつもりなんですけど…」

「けど?」

「自信、がないんです」


自信が…ない。

せっかく神堂さんにプロデュースしてくださると言うのに私は一向に上手くなった感じがしない。

プロデュースの話よりも先にドラマ撮影が先に始まってたから、ボイトレの時間もしっかり取れない…。

もっと、もっと。

練習しなくちゃいけないのに!

こんなんじゃいけないのに…っ!


「**ちゃん」


ポン、と俯いた私の頭の上に夏輝さんの手が乗った。そのぬくもりがあたたかくて私の心にじわっと染み込んでゆく。

夏輝さんは目を細めて穏やかに笑っていた。



「**ちゃんは充分頑張ってるだろ?今出来ることを一生懸命やればいいんだよ」



夏輝さんは私を宥めるようにいつもみたく私の頭を撫でる。

…それが私はすごく好きなはずのに。

夏輝さんが励ましてくれると笑顔になれるのに。

私を包むその優しさが今は辛い。





…わかってる。

焦ったっていいものは出来ないことは。

今やるべきことをしっかりやらなきゃいけないことだってわかってる。

わかりすぎてる。

でもいつもはその励ましの言葉をすんなり受け止められるはずなのに今日は出来ない。




…私、ホントに頑張ってる?

もっともっと頑張れるんじゃないの?

私、夏輝さんにそんなふうに認めてもらえるほど納得出来てないよ。



自分で決めたはずの芸能界だったのに。

何故か走らされてるような感覚に陥るのは、私が未熟だからなのか。

もっと自分の意思を持って強い人間になりたいと思うのに、もっと走りたいと思うのに。

私の足はうまく動いてくれない。

方向も定まらないまま迷走していくばかり。




どうしたら強くなれるの?

どうしたら上手くなれるの?

どうしたら自分を見つけられるの?


どうしたら…っ





どうしたら夏輝さんに近づけるの…?





「**ちゃん?」



私は自分の不甲斐なさでいっぱいになって両手で顔を隠してしゃがみこんだ。

そんな私を見てわたわたと慌て出す夏輝さん。

こんな顔、夏輝さんに見られたくない。

悔しくて、自分が憎らしくて、辛くて、歪んだ顔なんて…。

ああ、夏輝さんが困ってる。

ごめんなさい。

せっかく励ましてくれたのに、素直に受け止められなくてごめんなさい。

困らせて…ごめんなさい。



「…ごめんなさい、泣いて、ませんから…大丈夫ですから…」

「…うん」



そっと頭にあたたかい温もりが触れた。

夏輝さんの手だ。

私の大好きなこの手は、大きくて、強くて、頼もしくて、あたたかい。

前に手のひらを見たとき、指先の皮がすごく固かった。



きっとこの手でひたすら頑張って頑張って頑張って。

そして今の地位を手に入れたんだ。



そんな夏輝さんに比べたら私が頑張ってるっていうのは序の口だ。





お願いだから、まだ努力が足りないって言って。

なんでもっと頑張らないんだって言って。

良いところを褒めて伸ばすだなんて言うけど、私はそんな言葉いらない。

それならどこが悪いって言って。

もっと頑張れよって言って。

もっと厳しくあたって。

罵って。


そうじゃないと、私はその優しさに甘えたくなってしまう。









どのくらいそうしていたんだろう。

スタジオのど真ん中で膝に顔を埋めた私の頭を隣で夏輝さんはずっと撫でていてくれた。

早く来すぎたスタジオにももうすぐ人が来る。…いい加減にしなきゃ。


「…すいませんでした」


夏輝さんの顔を見れないまま立とうとすると力強い手が私の腕を掴んでまた元の位置に戻される。

急な出来事に私の心臓は大きな音を立てた。

恐る恐る夏輝さんを見ると、あなたはその長い前髪に表情を隠して俯いていた。



「なつ…」
「ごめん」



あなたのいつもとは違う態度に不安を覚えながら声をかけるのと同時に聞こえた隣からの謝罪の言葉。

腕を掴む手に力が入った。


「ごめん…君の気持ちを知らないで、無責任なこと言って」

「違っ…!」


違う、違うの!

夏輝さんが悪いんじゃないの!


「うん、でもさ…。俺もやっぱり他人に勝手なこと言われたら、俺の気持ちも知らないで、って思うかも」



表情が見えない。


今まで抱えていた私の悩みより、

的外れの謝罪の言葉より。


夏輝さんが言った、『他人』という言葉が私の心にしこりを残す。



「だから、ごめん…」


私に許しを請うように、またあなたの指先にきゅっと力が入る。

私はぼんやりと項垂れる夏輝さんを眺めていた。






なんで?






「…言わないで、ください」






他人、だなんて言うの?






「他人…だなんて…言わないで」


私は夏輝さんの手を振りほどいて勢い良く立ち上がった。案の定目を丸くして私を見上げている。

ああ、もう止まらない。

身体の奥から感情が溢れ出す。




「私は夏輝さんのこと他人だなんて思ってない!!」

「…**ちゃん?」


なんで?

なんでそんなこと言うの!?


「夏輝さんはいつも私を掬い上げてくれる!私が落ち込んだ時一番に優しい声をかけてくれる!苦しいときでも笑いかけてくれる!」


いつもいつも支えてくれている。

場の雰囲気を和ませるその笑顔。

裏表のないその言葉。

さりげない気遣い。

そんなあなたに惹かれて好きになったのに…!



「私が…どんなに救われてるか…っ」


瞳から零れた雫がポトリとコンクリートに染みを作った。



「**…ちゃん…」

「なのに!他人だなんて言わないで!!」


唇を噛みしめて床に出来た染みを見つめた。

落ち込んでいた心がさらに急下降する。

頭の中がぐちゃぐちゃだ。

もう自分でも何を言っているかわからない。

わからない。

わかりたくない。

あんなに優しかったあなたはうわべだけだったの?

私のこと、他人だなんて見ていたの?




「…ごめん」


言い切った私ははっとした。

あなたは片手で顔を覆って俯いていた。

なんてこと言ってしまったんだろう。

夏輝さんはただやさしい言葉をかけてくれてただけなのに…。



「…あ、ごめん、なさい…」


私はこの場にいることに堪えられなくてスタジオから出て行こう背を向けた。

もうそばにはいられない。



「ちょ、待って!**ちゃん!」



くん、と私の身体が止まった。

私の右手を見ると。

その大きな手が私を捕らえていた。



「…言い逃げなんてずるいよ」

「…もとはといえば私の変な態度から始まったのに…勝手なことばかり言ってしまって…」

「…そうじゃなくてさ」


一度言葉を切った夏輝さんは、私の腕を引いて壊れ物を扱うかのようにやさしく抱きしめた。

ひゅっと息がつまる。

あなたの体温は私を捕らえて離さない。抵抗なんてすっかり忘れていた。




「…俺のこと、好き?」

「えっ」
……あっ!


さっきの言葉、まるで夏輝さんのこと好きだって言ってるみたいじゃない!?

他人って言わないで、なんて…。

好きな人にじゃないと言わないよ…。



言ってから、

しかも今頃気づくなんて…!







「俺は…好きだよ。**ちゃんのこと」






自分の耳を疑った。



思わず夏輝さんの瞳を見る。

夏輝さんは私から目を逸らさずに見つめていた。





「好きだから、いつも気になって仕方なかったんだ」


落ち込んでたり、怒っていたり、喜んでたり。何があったか気になって話しかけてた。君の瞳に映っていたかったんだ。



真剣な眼差しが物語る。

ぐちゃぐちゃな顔をまた涙が伝った。

そんな私を見て、あなたは全てをわかった上で優しく笑う。



「…ね、**ちゃんは俺のこと、好き?」



顔を両手で包み込まれて上を向かされた。

そんな瞳で見つめないで…。その綺麗すぎる瞳が眩しくて私は顔を逸らした。


今のこんな私を見られたくない。

だって、何がなんだかわかんない。

夏輝さんが私を好き?

ホントに?

こんな私を夏輝さんが好きだなんてありえない…。



「ちゃんと言って…?…俺は**ちゃんが好きだよ?」



ギターを弾きすぎた硬い指先で涙を掬う。こんな私にあなたは優しく微笑んでくれる。

なんであなたは私を好きなの?



わかんない。わかんないけど。

唯一わかることは。

あなたの笑顔を見たら、安心するの。

ずっと見ていたいと思うの。

そばにいたいの。


それだけは私の中で揺るがないもの…。

夏輝さんが…好きだということは私の中では絶対に揺るがない…。


言ってもいいの…?
それでも迷う私に夏輝さんは瞼に優しいキスをしてくれた。まるで安心して、というように。

今度はその笑顔を真正面から受け止めることができた。



「…私……夏輝さんが、好き、です」



そう言えば、夏輝さんは嬉しそうに私の一番大好きなキラキラした笑顔で頷いてくれる。

その笑顔を見たら、やっぱり私は夏輝さんが好きなんだと思いしらされた気がした。



だんだん冷静を取り返した私の頭の中はパニック状態だった。

もうこの数十分の中でたくさんのことが起こりすぎて私の頭はついていかない。

脳みそがショートしそうでこめかみを強く押さえた。




「で、」



夏輝さんが頭を撫でながら顔を覗き込むから、私の心臓はまた大きく高鳴る。お願いだから、これ以上ドキドキさせないで…。


「さっきは、何を考えてあんなに落ち込んだの?」



優しく優しく微笑むから、私は息が詰まりそうになる。

…なんて言っていいかわからない。

言葉にするのが難しい。

だって今までずっと胸のあたりでモヤモヤしてきたことなんだもん。

自分でもどう思ってるかわかんない。

…でも、

でも。

言って、欲しい。





「…頑張れ、って言ってください」

「…え」

「もっと、頑張れって夏輝さんが言ってくれたら…今まで以上に頑張れる気が、するから…」



きゅっと夏輝さんの服の裾を掴む。

それを合図にあなたは私を優しく抱き締めた。



「…もっと、頑張れ」

「…はい」

「もっと頑張って、みんなに認められるようになろ?」

「……はい」

「あと」



少し身体を離して私の頬にそのあたたかい手をあてた。

親指で目の下を撫でる。
猫の毛繕いみたい。ちょっと気持ちいい。



「頑張ることに疲れたら俺のところに来て。そして甘えて?」

「!」

「…頑張りすぎたら疲れちゃうよ。俺にくらい甘えていいんだ」

「夏…輝さん…」



許されるの?

甘えてもいいの?


頼もしい背中におずおずと腕を回した。

私を抱えるように回された右手は何度も私の髪をすく。



「完璧にやろうとしなくていいんだ…。出来なくても否定するんじゃなくて、それが**ちゃんだってこと、認めてあげようよ」

「私を…、私だって認める…?」

「そ。自分を認めてあげられるのは他でもない自分だよ。自分で自分を否定しちゃうと居場所がなくなって辛くなるから…」


夏輝さんは少し悲しそうに目を伏せる。

きっとそんな経験が夏輝さんにもあったんだ…。

誰もが、通る道なんだ…。



「…1人で悩まないで?何でも話して?小さなことでも、どんなことでもいいよ。絶対に呆れたり、軽蔑したりなんてしない。…大丈夫…俺がそばにいるから」


私を見つめる瞳はずっと優しくて、また涙が溢れそうだった。




…私が欲しかったのは。

どんな私だとしても受け入れてくれることだったんだ。

もし頑張らなくなったら、みんなが離れていってしまうのが怖かった。

だから走り続けても怖くて怖くて仕方なかった。どんなに頑張っても私自身を否定されそうで怖かった。

いっそのこと否定してくれた方が楽だと思ってた。

いつか愛想つきて離れていくのをびくびく待つよりも。否定して、怒ってくれたほうが清々しくて良かったの。

でもね、それは裏を返せば。

私という存在を無条件に包み込んでくれる大きな愛が欲しかったんだ。




自分自身との戦いは必ず誰もが経験する。

それは私にじゃないとできないことで、他の人にしてもらうものじゃない。

でも道に迷って一休みをしたくなったら。

夏輝さんは必ず手を差しのべてくれるんだろう。

少し休んだら、また頑張れ。

と言って背中を押してくれるんだ。











「疲れたら俺のところへおいで?抱きしめてあげるから…」



そう言って夏輝さんは私を思いっきり抱きしめる。力強く、離れないように。

私も自分がここに存在することを確かめるように夏輝さんにしがみついた。

私は確かにここに、いる。


私を抱き締める腕は、
私を呼ぶ声は、
私を見つめるこの瞳は。

私から離れていかない。



「夏輝さん…もっと、もっときつく抱き締めて…」

「うん…」

「…頑張るから。もっと頑張るから…」



そう言うと頭にキスを落として、これ以上ないくらいに強く抱き締めてくれた。

夏輝さんの服に鼻を押しつける。

いつも吸っている煙草の匂いがして、少し安心した。




この道を抜けた先には

それはあなたとの輝く未来。






あなたの隣に並んで胸を張って歩けるようになるから。

だからそれまで待っててね。






end



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