俺の世界って音楽で出来てたんだ。






部屋の片隅に立て掛けられたアコースティックギターをベッドに体育座りをしながら眺めた。

ひゅっと風切音を立てて息を吸い込んだ。冷たい空気が喉を掠める。


「…あー、あー…」


良かった。まだ、出る。

ほっと胸を撫で下ろし、また膝の上で手を組む。コロンと体育座りのまま横になった。

ギター、弾きたいな…。

いや、弾いたら歌いたくなるか…。

歌のない世界が刻一刻と迫ってきているのは確かだった。わかってたんだ。時間は最初からないことは。


「…伝えられるかな」


ボソッと呟いた言葉は暑い空気に溶けて消えた。











「ねぇ晃!ライヴしよーよ!ライヴ!」


君が無邪気に俺の手を掴んでブラブラ揺らすの。今まで警戒されてたのに近づいてくれて嬉しい反面。ライヴ、か。


「絶対やったほうがいいって!晃の声すっごくキレイだもん!」


ねっ!って俺に笑いかけてくれるのが嬉しい。声をキレイと言ってくれる君が愛しい。そんなふうに思ってるの、気づいてないでしょ?


「晃…?どうしたの?泣きそうな顔してるよ?」


それはね、いろんな気持ちが混じりすぎちゃって切なくなったからだよ。

そう言おうとして口を開いた。


「あ、晃!?」


…声が、出ない。

もう出なくなってる?喉に震えた手を当ててゆっくり呼吸してみる。落ち着け。まだ、大丈夫だ。まだ…。






「…晃?」

「っ!?」

「こんなところで寝たら風邪ひくよ?」

「……」


ゆ、めか。

あー、なんで俺食堂で寝ちゃったんだろ…。

ゆっくりと自分の喉に手を当てる。まだ、大丈夫。声は出るはず。


「…起こしてくれてありがと」

「ううん?…なんか晃声掠れてるよ?夏でも喉冷やしたらダメだよ。今あったかいミルク入れてあげる」

「ホント?嬉しいなぁ〜俺!」

「ふふっ、ちょっと待っててね」


そう言って冷蔵庫から牛乳を出して俺のためにホットミルクを作る**ちゃん。夏にホットミルクかぁ、と思いながらその気持ちが嬉しくて敢えて言わないでおく。

なんだか抱きしめたくなって手を伸ばした。ぎゅうっと抱きしめると身体に力が入って急に笑いが込み上げてくる。


「あ、晃?」

「んー?」

「う、動けないよ?」

「んー」

「…もう」

「**ちゃんあったかーい」

「…私は暑いよ」


俺より頭一つ分以上低い頭に自分の頭を乗せて擦り寄った。仄かなシャンプーの香りが鼻をくすぐる。


ああ、俺って意気地無しだな。全部伝えるって一度決めたのに。病気のことも手術のことも。

でもそれが出来ないのは、もし失敗して声が出なくなったら君が俺のそばにいてくれる自信がないから。心配もかけたくない。出来れば何もなかったように振る舞いたい。同情されるのも哀れまれるのも嫌いだ。

でも、この苦しみを知ってほしい気持ちもある。ホントに俺、矛盾してる。


「…晃」

「なにー?」

「…なんか隠してるでしょ」

「…そんなことないよー?」


ここまで来て言えない俺は相当ヘタレだね。


「ううん、晃隠してる。大事なこと」

「んーそうかなぁ?」

「そうだよっ!」

「…」


抱きしめていた腕に力をこめた。

ねぇ、**ちゃん、俺…。


「なんもないよ?」

「…晃」

「あっ、**ちゃん牛乳噴いてる!」

「わわっ!」


あーあ、と吹き零れた鍋を見てため息をついた君。

ごめんね。

やっぱりまだ言えないや。まだこのままでいたい。現実から目を逸らしてるのはわかってるけど、この居心地のいい空間に浸っていたいんだ。

永遠に、なんて無理なのにね。










どうしようか。

隣で白い肩を出して眠る君に腕枕をしながら考えていた。

手術を受けなければこの声はいつか出なくなってしまう。手術を受けてもほぼ半分の確率で出なくなる。声が出なくなるのなら出来るだけ遅い方がいい。

今までは大丈夫だったから、もしかしたらこのまま…なんて思った俺が甘かった。どんどん進行している。日に日に悪くなっているのがわかる。


「…どうしよう」


常に明るい俺でいたいんだ。弱いとこ見せるなんて俺が俺でなくなっちゃう。自分を保つ自信がない。


「…**…ごめんね」


髪を指に絡めてすいてやる。覚悟がなくて伝えられない俺を許して。


「**…好きだよ…」


前髪を掻き分けておでこにキスを落とす。なんでこんなに泣きそうなんだろう。ねぇ、**。俺はどうしたらいいのかな。


「あきら…」

「あ…ごめん起こしちゃった?」

「ううん…起きてた」


その言葉にびくっとした。聞いてたの?さっきの言葉、全部?


「あきら…なんでごめんって言うの?」


答えに詰まる。言えない。きっと俺は君を傷つける。心配をかけてしまう。その顔が歪むのを見たくない。


「ねぇ晃…何を隠してるの?」


ちょっと鼻にかかった甘い声で俺の胸にすりよってくる。今の俺に抱き締める余裕なんて、ない。


「…私、晃が好きだよ?一人で苦しまないで?私も一緒に苦しみたい」


一緒に苦しむ?


「私の知らないとこで苦しんでるのは嫌だ…」


受け止めてくれる?


「…俺、」


ねぇ、ホントは、


「うん?」


すごく、








「………怖い」








「……うん」

「朝夢から醒めたら…声が出なくなってるんじゃないかって」

「…」

「もう歌えないかも…っ」

「あきら…」

「ど…しよっ、**っ」


震える身体で**を抱きしめた。こんなにも人前でさらけ出すのは初めてで。

**の顔は見れなかったけれど、俺を抱きしめて何度も優しく髪をすいてくれる手を感じていた。

しばらくして俺がだいぶ落ちついて**を力いっぱい抱きしめていたことに気づく。少し力を緩めて罰の悪そうな顔で**の顔を見ると、意外にも穏やかに笑っていた。

ホントはもっと辛そうな、不安そうな顔をしてると思っていたから少し驚いた。


「ごめん、俺…」

「ううん…少しずつでいいから晃の思ってること聞かせて?」

「うん…」




そうしてぽつりぽつりとこぼし始めた俺の言葉を真剣に受け止めて、少し考え込んで**はこう言ったんだ。


「どっちでもいいと思う…」


俺は正直その言葉に落胆した。**なら、なにか俺に答えをくれると思っていたから。でも、それは俺の甘い考えであって。


「晃が決めたことを私は受け入れるよ」


そう言った君はすごく切なそうに眉を下げて笑った。その下手くそな笑顔がまた俺の心を締め付ける。


そうだよ。俺の人生の選択を他の人に委ねちゃいけなかったんだ。自分が決断するということは自分で責任を負うということだから。意気地無しの俺は人に決めてもらうことで、責任転嫁して、安心しようとしていたんだ。


…ねぇ?もし俺が歌えなくなっても君はそばにいてくれる?俺の価値は歌だけじゃないって思ってくれる?


そう言うと**は震えてる細い腕で俺の頭を抱き締めた。やわらかな肌が、俺の顔に触れる。肌を通して心地よい心音が伝わってきて目を閉じた。





晃、いいイメージを考えて?

イメージ?

そう。手術をして、寮に帰ってきた晃は私をめいっぱい抱きしめるの。そしてね、私やみんなに向かって、ただいまって言うの。そしたらみんながおかえりって言うんだよ。

…うん、

そしてね、晃はなんの心配もなく快調になった喉で唄うの。大好きなギターだって弾けるの。あ、まずは私のために唄ってね?

……うん、

それからー…

…………うん…うん…、


俺が泣いてることもわかっていながら尚も明るい口調で話し続けるから。俺は何度も頷きながら**の胸でまた涙を流した。




ねぇ晃?

私は晃が好きだよ?晃の全部が大好きなの。

晃の声も。

何も知らない方が辛かった。晃の苦しみをわかることはできないけど、理解しようと努力することは出来るよ。支えたいって思うの。

だからね、待ってるから。

晃が帰ってくるのを待ってるよ。

何があったとしても、晃は晃だよ。

私は晃が大好きだよ。



そう囁きながら**は俺を抱き締めてくれた。その声が、僅かに震えていたこともわかった。

きっと、君は俺の病気のことを知っていろいろ悩むだろうね。本当はそれが嫌だったんだ。だけど俺のことを考えて支えてくれようとする君がいることが、俺の中ですごく大きい存在になってる。

今だったら言って良かったと思うよ。









「晃…」

「**ちゃん、行ってくるよ」

「うん…」


困ったように無理矢理笑う君を見てると、寮の玄関先でも抱き締めたくなる衝動に駆られる。

でも、それは今じゃない。


「ハグとキスは帰ってきた時にとっておくよ」

「…っ!もう!晃っ!」

「ははっ!大丈夫、絶対に帰ってくるから…」

「…うん、大丈夫、大丈夫だよ、晃」


そう言って俺の手を小さな両手で握った。本当は行きたくないよ。

でも、そんなわけにいかないから。

一歩踏み出すって決めたから。












「…行ってきます!」

「…行ってらっしゃい!」


泣きそうに笑いながら俺の背中を押してくれる。君の笑顔を失わないためにも、俺は必ず帰ってくるよ。


また、この声でただいま、って言えるように。





end







BACK 
TOP