私の隣を勢い良く通り抜けて行った、風。落ち葉が舞って、ひらひらと弧を描く。
「さ、っむーい!」
早く、早く。辺り見渡すけどそれといった人は、いない。
ストールを鼻まで引き上げて肩を竦める。血を通わせるように指先を擦り合わせた。寒い。こんなに寒いなら、上着着てこれば良かったな。
携帯を開くけど連絡はない。約束の時間から30分もすぎていて。大きな広場で待つ私の周りにいる人は次々と出会って去ってゆくのに。キョロキョロ見渡すけれど、それもムダだとわかってため息をついた。
待つことは嫌いじゃない。その間も、その人のことを考えてられるから。でも、連絡がないとやっぱり心配になる。何かあったのかな、とか。笑った顔が、頭から離れないんだ。
今日は早く片付くから、って朝言ってたのに。久しぶりに外で食べようって言ってくれたからオシャレだってしたのに。
「お願いだから、早く…、」
早く、来て。
いつも私は待たされるんだ。お願いだから、この不安を拭ってほしい。不安にならない日なんて、ない。
小さな石ころをブーツの先で蹴飛ばした。こうでもしなきゃ、気は紛れなくて。その石はコロコロと転がって、黒い高そうな革靴にぶつかった。
「…寒いな、」
「!」
勢い良く顔をあげれば、目の前でネクタイをうざったそうに緩め、私を見下ろしながらニヤリと笑う。そんな仕草さえも、様になってしまうこの人が、憎い。
憎くて、でも、愛しい。
「あーあ、鼻真っ赤」
「…誰のせいだと思ってるんですか、」
「はは、わり」
「…」
昴さんは私の鼻をつまんでバカにする。少し緩んだ顔を引き締めてムスッと顔を背ければ、冷たくなった頬に暖かい感触がした。そっと、包みこむように触れる手はいつも優しくて、ホッとする。
その温もりだけを、私に向けられたものを感じたくて、目を閉じた。
「だいぶ待ったか?」
「……少し」
「…心配すんなっていつも言ってんだろ?」
「…、」
何も言ってないのに昴さんはいつだって私の気持ちを汲み取ってくれるから、どうしようもなく泣きたくなる。自分がどんな顔をしてるかわからない。
流れるような自然な動作で私の頭を引き寄せられて。煙草と香水の香りのする胸元に顔を埋める。目を閉じて、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。私の中が、昴さんでいっぱいになる。
「連絡くらい、欲しかった…」
「ああ…、悪い」
「心配しちゃうんだよ…、どうしても」
「…、」
だって失いたくないから。いつだって不安になるんだよ。だから、出来るだけ連絡してよ。そんなこと、言わないのが二人の間では暗黙の了解だったんだけど、耐えられなかった。
これって、束縛っていうのかな。そう呟くように言ったら、抱き締めていた腕をほどいて急に私の手を引き人の波を縫って路地裏に入っていく。そのコンパスの違いに私はついていくのがやっとで。
「**」
立ち止まった態度のおかしい昴さんを見上げれば、急に背中を壁に押し付けられてひんやりとした。
「すば……っ!」
名前は昴さんの口に吸い込まれた。唇が離れた瞬間、冷たい空気が唇を掠めると、すぐに熱い吐息がまたかかり、胸の奥から何かがせり上がる。きっと目を閉じる前に見た、昴さんの表情のせいだ。そんなに苦しそうに私を見つめないでよ。
壁も、空気も冷たいのに。共有する熱が熱くて、身体は火照っていく。ギュウッと、胸が締め付けられているみたいにドキドキして、苦しい。
「んっ…、すば、るさ…」
「…**、」
とびきり、甘い声で囁くから。私は身体に力が入らなくなって、壁にもたれかかる。それでもこの温もりから離れたくなくて、スーツを掴んだまま昴さんを見上げた。
「もっと、束縛しろよ」
ニヤリと歪めた口とは対照に、細められた瞳には切なげで。私は何も言えなくて、掴んだスーツが皺になるかもしれないのに手にギュッと力を入れた。
昴さんは、いつも私の欲しい言葉をくれる。不安を補ってあまりあるほどの、甘い言葉。
「束縛、しちゃっていいの…?」
「てか、俺もお前のこと束縛したい…」
コツン、とおでこ同士がぶつかった。両手で顔を挟み込まれて、私の逃げ道がなくなる。キスをするよりも近い感じがして目を逸らしたい。けど、昴さんを見ていたい気もする。
「…お前を誰にも見せたくねぇんだよ。俺が側にいない間は外になんか出したくないし」
特に今日みたいな格好の時は、なんて昴さんの私を独占する言葉に、カアッと首の辺りから熱が上がってくる。なんかすごく、恥ずかしい。昴さんのこと、直視出来なくて顔を上げれない。こんな切なくて、甘い空気はいつまでたっても慣れないんだ。
「顔、赤いぞ」
「こ、れは、」
「ん?」
「………な、んでそんな、」
「は?何が?」
パクパクとマヌケに魚みたく口を開閉する私。真っ赤な顔も合わせたら本当に金魚みたい。でもそんな私に構わず愛しそうに頬を撫でる昴さんに、また熱が上がった。
「そ、そんな言葉を恥ずかしげもなく…」
「…そういうこと、言うなよ」
ほんのりと赤くなった昴さんは、私から視線を外した。俺だってこんなの初めてなんだよ、なんて拗ねたようにこぼすから、また私の体温もじわじわと上がってしまう。でも、肌に触れる風はまだ冷たくて。首やスカートの裾から侵入してくる風に、思わず身震いした。
「……寒いな」
「…寒い、ね」
視線を合わせずに黙りこくった私たちは、そのまま沈黙を続けた。それを破ったのは、昴さんの、大きな手。優しく壊れ物を扱うように私の頬を撫でた。
「寒いから、帰るか?」
「…、」
「早く、思いっきりお前のこと抱きしめてぇ」
「……ここじゃ、ダメなの?」
いつもはところ構わず抱き締めてくるのに、なんて思ったら口から本音が出ちゃって、昴さんはふ、と口元を緩めた。ズルい。今そんな顔されたら、もっと触れたくなっちゃうよ。
「…今ここで抱きしめたら止まんねぇし」
お前がここでもいいって言うんなら別だけど?
つつ、と頬から首筋にその手が厭らしく這う。人差し指が鎖骨をなぞり、背中からぞくぞくと甘い疼きが発生して、思わずゴクッと息を呑んだ。
身動き取れず固まった私を見て、昴さんは表情を緩める。なんて顔するんだろう。そんな風に見つめられたら、直視出来なくなる。
そんな私の頭を撫でて、つむじにキスをする。ふわりと宿ったぬくもりを右手に感じた。
「…じゃ、行くか」
「え、どこに…?」
「外で食うって言っただろ?何が食いたい?」
さっきの昴さんはもういなくて、いつだって、私の望みを優先してくれるいつもの昴さんだった。昴さんは余韻も残さないから、少し残念、だなんて。なんだか、自分の中で矛盾してるけど。
私の手を引いて優しく微笑みかける昴さんの顔を見ていたら、なんだか無性に触れたくなった。いや、手は握ってるけど、なんていうか、全身で確かめたくなったって言ったらおかしいかな。
「ほら、言ってみろよ」
「………昴さんの、手料理」
「…、」
「……今日は、寒いから…、」
「…お前、」
キュッと手を握り返せば、昴さんは目を見開いて黙ってしまった。私は急に恥ずかしくなって、また、足先を見つめる。
これ以上言わなくても昴さんはわかってくれると思ってるけど、やっぱり反応が怖い。呆れたようなため息が隣から聞こえてきて盗み見ると。昴さんは戸惑ったような苦笑いを浮かべて、私の頭を撫でた。
「……外食は、また今度な」
「…うん、」
「せっかく綺麗にしてたのにな」
久しぶりに巻いた髪の毛に人差し指を絡めてじっと見つめる。少し、居心地が悪かった。だって、いつもは採点をするように眺めるのに、今の瞳は全然違うんだもん。なんか、くすぐったい。
「…昴さんに見せるためだから、いいの」
「…、」
「だから外にじゃなくても、昴さんと一緒にいれるから、いいの」
「……はぁ、」
がしがしと頭を掻いて強い力で私を抱き寄せる。身体は拘束されていないのに、心臓が鷲掴みされたみたいに、呼吸が苦しい。
二人の心臓の大きな音がシンクロして、ひとつになる。私の一部と昴さんの一部が融合した感覚。このときが、一番安心できるんだ。
「お前、ホント何なんだよ…」
「え、」
「これ以上俺を乱すな」
「な、にそれ、」
乱されてるのは、私の方なのに。
「……そんな顔、ほかの男の前ですんじゃねぇぞ」
「…、」
耳元で囁かれて。それがいつも昴さんの常套手段で、わかってるのにまんまと嵌まってしまう私。
なんだか悔しくて、早く帰ろうよ、なんて言ったらまた唇を塞がれた。
不確かなカタチを確かめ合う
この世は不安定で、明確なものばかりじゃないから。
気持ちも、存在も、常に確認しないと怖くなる。
だから私たちはこうやって肌を通してぬくもりを感じ合おうとするんだ。
「……**、」
「…ん……?」
「…、」
「…………好きだよ、昴さん、」
「…俺のセリフだっつーの」
言おうとした言葉は昴さんの口に吸い込まれて、そしてまた私たちは白い波にさらわれた。
end