「…ねぇ京介くん?」

「ん〜?」

「離してくれない?」

「え〜?ヤダ。」

「や、ヤダって…」

「**ちゃんいー匂い…」



首筋に顔を埋めて抱きつく。

京介くんはさっきからこんな感じ。


久しぶりに彼の家に来ていて、夜ご飯はカレーとサラダにしようかと食材を並べたところなんだけど。

今の私は、京介くんの腕の中にすっぽり収まるように肩に乗った腕が前でクロスしているから料理を作るにも作れない。

シンクの上に転がった野菜たちが寂しそうだ。



「ねぇ、料理作れないよ?」

「しなくていいよー?」



私に体重を預けたまま耳たぶにちゅっとキスをする。
ただでさえ密着していて心臓が煩いくらいドキドキしてるのに。

そんな私を悟られたくなくて何もなかったように振る舞うけれど、上手く演じれているのかな。



「…おなかすいてないの?」

「んー、今は**ちゃんが先」



耳が私の弱点だってわかっていながらそうやっていつも京介くんは恥ずかしいことを耳元でさらりと言うんだ。

そのたびに私は恥ずかしくなって身体を縮こませて固まってしまうから、いつも京介くんのいいように流されてしまう。


いつも京介くんに振り回されてる私。

涼しい顔して余裕たっぷりな京介くんはいつだって私をからかうの。

京介くんが好きだし、私のことを思ってくれてるのもわかるからどんなにからかわれたっていいの。


でもね。


私ばっかり翻弄されて少し悔しい。
あの余裕な笑顔を崩したい。

だから、今日は少し意地悪してやるの。

京介くんの思い通りになんてならないんだから。




そう心に決めてたんだけど…。

もう既に、私の余裕がありません。
とにかく、いつものように赤くなって喋らなくなることだけは避けなきゃ…。

私はどんな言葉が返ってきてもいいように気合を入れた。






「…私はおなかすいたんだけどな」

「えー、つれないなぁ」

「…だから、料理作らせて?」



ねっ?お願い!ってにっこり笑って振り返れば京介くんは眉を下げて困った顔をする。

そうそう。たまにはそんな顔を見せてよ。私ばっかり振り回されるなんて割りに合わないでしょ?



「…じゃ、料理作るね?」

「…」



少し不機嫌そうな顔をした京介くんを見つめると、肩にかかった体重が軽くなった気がした。
今回は私が勝ったかもしれないっ!なんて上機嫌でまた野菜達に向き直る。


包丁を片手にリズミカルな音を立てると野菜は刻まれてゆく。


…あ、


僅かに感じていた心地よい重みが肩から消えた。それに無性に寂しくなる。
でも自分で断っといて『寂しい』なんて、すごく悔しいから京介くんを背に私は気づかないフリをして作業を続けた。




野菜を切り終わってお肉のパックに手を伸ばすと、今まで後ろにいた京介くんの気配はいつの間にか消えていたことに気づく。


何も言わず離れてくなんて…。


ちょっと意地悪しすぎたかな。





「…ふぅ」



野菜とお肉をお鍋に放り込んで一段落つく。
きっと放置しすぎて拗ねてどこかへ行ったんだろうな、と思って京介くんを探しに行こうと浮かれながら振り返った、ら。


黒い壁?








「…なんでそんなに楽しそうなの?」



落ちてきた言葉にゆっくり顔をあげると、にんまり笑っている京介くんが目の前にいて。



「わゎっ!」

「…ね、俺かなり我慢したんだけど」



驚いて後退りした私の腰を片手でぐっと抱き寄せる。ぴったりとくっついた下半身にびっくりして咄嗟に身を捩った。



「だーめ。もう逃がさないから」



細められた鋭い瞳が私を見つめる。
体温の高い親指で下唇をなぞられた。




ああ、捕まってしまった。

こうなると私は逃げられないってわかってたのに。










「……いつから、後ろにいたの?」

「ん?ずーっと、だよ?」



その薄い唇を上に引き上げてニヤリと笑う。





悔しい。

本当に悔しい。
京介くんは私が企んでることなんて全てお見通しなんだ。

せっかくいつも余裕な京介くんの困った顔や拗ねた顔見れると思ったのに…。



思わず小さな溜め息がもれた。



「…んっ!」



唇に触れていた京介くんの親指がぐっと急に口内に侵入してきた。
意思を持つ動きにビクッとする。








「…そんな溜め息ついたら幸せにげちゃうから、蓋してあげるね」



むぅ、と膨らませた頬を見て京介くんは少し笑い。

私の口内から親指を抜き、唾液で濡れた親指を塗りつけるようにまた私の唇を撫でて。

何も抵抗しなくなった私の姿に満足そうに笑いながら、唇にかぶりつく。



…溜め息が出たのも全部京介くんのせいなのに。



そんなことを思いつつも、抵抗できない私は瞳を閉じて彼の唇を素直に受け止める。



髪の中に手を掻きいれられぐっと力が入った。

次第に深くなる口づけ。

その私を求める勢いに一歩、また一歩と後ろに下がる。

トン、と私の腰にシンクが当たった。
もうこれで逃げ場はない。




だめ、
またいつもと一緒になっちゃう…。

今日は、ダメ…。



頭の隅にある理性を引っ張り出し、なんとか深くなる快感に打ち勝つ。
京介くんの胸をそっと押して少し顔を離すことに成功した。

京介くんはすっごく不機嫌そうだけど。




「…は……カレー、焦げちゃう……」

「…IHだから弱火でタイマーつければいいじゃん」



頬にあたたかなものが触れた。
そして指で私の髪の毛をくるくると弄りだす。それは京介くんが私に甘えてるときにする仕草。



ホントは、もっと触れてほしい…。

その温かい指でもっと…。



もっと、
私にしか見られない顔を見せて…。




それでも今日は素直になれない。
だって、ここで折れたらいつもと一緒になってしまう。

何より自分から求めるなんて恥ずかしい。
私は最後の悪あがきだと思いながら、自分の気持ちを誤魔化すように鍋と時計をちらっと見た。


「でも…」







バンッ!!



「頼むから!!」






とシンクを両手で叩いた。


京介くんらしくない行動と荒げた声にびっくりして勢いよく顔を上げた。






目の前にいる京介くんは私の知っている京介くんじゃなかった。


顔を歪め、下唇を噛みしめ、

…切ない顔で俯いていた。


その顔を隠すように少し色素の抜けた黒い前髪が目の前でゆらゆら揺れる。





「今は俺だけに溺れてよ…」





掠れた苦しそうな声で訴える。


これが、あの京介くん…?

何も言えずに黙っていると、
片手で顎を掬われゆっくりと顔が近づいてくる。

いつも以上に鋭い瞳は私を貫く。

射止められた私はピクリとも動けない。











…もう、だめ。

そんなふうに求められたら、拒むことなんてできない。








私はゆっくりと瞳を閉じた。


意外にも温もりは触れるだけですぐに離れていく。

京介くんを見ると、目を伏せてちょっと罰が悪そうな顔をしていて。

私は思わず小さく笑った。








「…タイマーつけなきゃ、ね」



そう言えば彼の歪んだ顔がホッとしたように緩んだ。



そんな表情を見たら今まで考えてたことなんて全部飛んでいっちゃった。




だって今私の目の前にいるのは。

いつもの余裕な笑顔をしている京介くんがじゃなくて、私の見たことのない切羽詰まった京介くんなんだもん。







ね、それも計算の内なの?

私を京介くんの思い通りにさせるためにそんな顔をしたの?


…もし、それが計算だったとしても私は喜んで乗ってあげる。










だから、
だからね。


それは私だけのものなんだから



そんな欲情してる表情は
誰にも見せないでね。

私だけにしてね。












「俺を焦らすなんて悪い子だね?」

「えっ!?」

「あー、カレーって一晩寝かせたほうが旨いよなー」

「…あ、あの、それってどーゆう…」

「ん?…覚悟して、ね?」

「…っ!」








end







 

BACK 
TOP