何も言わず笑って

「しっかし頑固な女だよな、あんたは」
「……悪かったわね」
「いや、気の強そうな女は嫌いじゃない」
「別に気が強いわけじゃないけど」
「お前……あれだけおれのこと無視しまくってた女がよく言うよ」

 おれが呆れたように呟いて見せると、彼女はくすくすと楽しそうに笑みをこぼした。思わず「待て待て」とツッコミを入れる。
 彼女はとても愉快そうに笑っているが、危害を加えたわけでもないのに長らく無視され続けてきたこれまでの期間を思い返すと、おれからすれば面白くも何ともない。本音を言えば、おれを無視し続けてきた理由を問い質したいくらいだ。
 でも、おれの前で普通に喋っている彼女を見ていると、不思議とそんな気もなくなっていく。今まで無愛想な彼女の横顔しか見たことがなかったから、その反動なのだろうか。……とにかく、これまで受けた仕打ちもどうでもよくなってしまうほどに、彼女との会話は新鮮味に溢れていて、妙におれを浮き立たせる。

「ていうか、名前!」
「……。なんだ?」
「私の名前。さっきからあんたとかお前とか……。そんなふうに呼ばないで」
「あ、……ああ、そうか。……そうだよな、お前ってのはねェよな……。ナマエ、だったか」

 鋭い目つきでキッと睨み付けられて、おれは素っ頓狂な声を上げる。
 彼女の指摘はもっともだと思った。いい歳した男が自分から誘った女性を“お前”呼ばわりするなど、赤髪海賊団の名が聞いて呆れるどころか、クルー全員から笑い飛ばされてしまう。
 しかしまぁ、そういうところをしっかり指摘してくるあたりが『気の強い性格』を表していると思うのだが――ここは思うだけにしておこう。
 おれが改まってその名を呼ぶと、彼女は驚いたような表情をこちらに向けてくる。

「え? なんで……」
「さっきマスターがそう呼んでただろう」

 彼女は――ナマエは「ああ、」と納得していた。
 おれ自身、まさか今日この日に知ることになるとは思ってもみなかった彼女の名を口にして、何とも言い難い気持ちになった。きっと今の彼女なら、マスターの口から聞かずとも自ら名乗ってくれていたことだろう。どちらにせよ、その名を知ることができて嬉しいことに変わりはない。
 ナマエ。こちらに向けられた彼女の目を見つめて、再びその名を呼ぶ。すると、アルコールのせいか、少し赤らんだ彼女の顔が、頬が、困ったように緩められる。
 その表情を見て、この人はこんな顔もするのかと、柄にもなくどぎまぎしてしまった。少なくとも、おれが今までに出会い、会話やそれ以上のことを楽しんだ相手の中に、こんな表情を見せる女はいなかったように思う。
 見惚れるように彼女の顔を凝視していると、ナマエはまたもや困ったように眉を下げて、カウンターの向こう側へと視線を移してしまった。たったそれだけの所作なのに、不思議と残念に思ってしまう自分がいる。
 おれたちのやり取りが終わるのを待ってくれていたのか、少し間を置いてから「おかわりはいかがかな」とマスターが声を掛けてきてくれた。

「同じものを、もう一杯ください。……いい? シャンクスさん」
「! ……あ、ああ」

 ごく自然に自分の名を呼ばれただけでなく、彼女が自ら追加の注文を望んだことで、意表を突かれる。慌てて空になった自分のグラスをマスターのもとへ突き出して、おれも続けて追加の酒を頼んだ。
 その際にちらりと横目で確認した店内の時計の針は、最初に約束したはずの10分をとうに越えた時間帯を指していた。そのことに彼女が気付いているのかはわからない。

 海の話、海賊の話に興味があるのだろう。そう言って誘い出したはずなのに、おれとナマエは海とは全く関係のない会話ばかりを続けていた。
 こうして酒を酌み交わしてみてわかったことは、彼女は決して愛想が悪い人間ではない、ということである。
 おれに対して無視を決め込んでいた時の彼女の様子から、てっきりナマエは他人と関わることをあまり好まない人間なのかと、勝手にそう思い込みつつあった。しかし、実際ナマエはよく喋り、よく笑う。こんなにも表情豊かで人当たりの良さそうな人間性をしていながら、一体何を思っておれからの干渉を受け流していたと言うのだろう。変わった女だ。

「ねえ、そう言えば」
「――ん?」
「いつもは無視し続けていれば諦めて帰っていくのに、どうして今日に限って踏み込んできたの?」
「……うーん」
「ただの気まぐれ?」
「まぁ。それもあるな」
「……もう一つ、聞いていい?」
「なんだ?」
「海に出るのは、そんなに楽しいもの?」

 脈絡の無い質問に、思わず眉を寄せる。ナマエに目を向けたところで、おれはこのタイミングで海の話を持ち出してきた彼女の表情に、違和感を覚えた。
 このバーで出会ってからというもの、おれとマスターの会話に度々聞き耳を立てるような素振りを見せていたナマエだ。海賊団の船長としての名声はさておき、おれが海の男だということは、充分理解しているはずだろう。
 そこまで知った上で、ようやくおれからの誘いを受け入れてくれた。なのに、どうして今になってそんな複雑な顔をして、そのようなことを尋ねてくるのか。その顔はまるで、海を憎むべきか愛すべきか迷っているみたいじゃないか。
 “海に出ることというのは、楽しいものか”。
 確かに、広大な海での航海には楽しみもある。ロマンだって、誇りだってある。だが、決してそれだけではない。海に出た者にしか知ることのできない、苦難やジレンマが存在するのだ。

「…………」
「…………即答できないこと?」
「いや。……そうじゃねェ」

 彼女の問いに対し、おれはここでただ“その通りに”答えてはいけないような気がしてならなかった。グラスを片手に握ったまま、考え込むように視線を下げる。彼女はまくし立てることもなく、黙ってそんなおれの様子を窺っている。
 おれたち二人の間に、少しの沈黙が流れる。グラスを傾けたときの氷とガラスがぶつかり合う音と、ちらほらと店内に残っている他の客人たちの話し声だけが、その場に響いていた。
 ……何分経った頃だろう。その沈黙を先に破ったのは、ナマエだった。

「今日はもう帰る。シャンクスさん、どうもご馳走様」
「!! 待て!」
「なに?」
「……その、なんだ。また一緒に飲んでくれるか」
「…………」
「さっきの質問だが、今日は少し酔っちまったから、次会う時までに答えを考えておく。だから付き合ってくれ。……もちろん、美味い飯と酒付きでな」

 がたりと音を立てて席を立ったナマエの手を、おれは反射的に掴み取っていた。
 最初に声をかけたときのような驚きの表情はそこになく、代わりににおれの目に映ったものは、先ほどの切なげな表情を忘れさせてしまうほどのやわらかな笑みを浮かべた彼女の顔だった。
 また、会いたい。直感的にそう思った。ほとんど無意識に出たおれの言葉に、ナマエは静かに肩を揺らす。

「変な人」
「お互い様、だろ?」
「ふふっ。……楽しみにしてる」

 彼女はそう言い残すと、カウンターの奥でキャビネットに並ぶ酒瓶を整理していたマスターのほうへと向き直り、軽く頭を下げて、店を出て行ってしまった。
 ――「楽しみにしてる」。その言葉の真意はわからない。果たしてナマエはまた会ってくれるのだろうか。
 ありがとうございました、というマスターの声と、入口の扉が閉まる音が耳に入った。カウンターに残された隣のグラスをぼんやりと見つめる。薄っすらとふちに残ったルージュが、どことなくもの悲しさを醸し出しているような気がした。
 以前から海の話に興味を示していたはずのナマエだが、もしかすると、彼女はその話に触れてしまうことを、ずっと躊躇っていたのかもしれない。


Title by ワクチン


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