ゆめ



時間枠は、多分オーディン〜の途中。ケヴァンと奏。







耳の奥で、天使の顔をした悪魔の声が木霊する。そんな夜の夢は、決まって悪夢を見た。ぞわぞわと肌と肉の間を小さな虫が這うように、耐えきれない不快感と嫌悪感と、何故、という疑問がわき上がる。たかが夢と言っても、正気と狂気の間に挟まれ、気を抜くとどこまででも沈んでゆきそうな、例え目を覚ましても夢うつつが限りなく近く交わって抜け出せないような、そんな夢だ。首元に、自分のじゃない吐息がかかる。さらりと滑らかな金髪が、頬を滑る。汗ばんだ胸が、冷え切って固まってる自分の体に圧し掛かっている。かつて親友と疑ってやまなかった男の口からは、恍惚にまみれた震える声が押し出された。

このとき男が何を言ったか、毎回ケヴァンは思い出せない。


「ケヴァン、おい、ケヴァン!」

ふっと、沈めていたボールが浮力に従って水面に顔を出すように、ケヴァンの意識は晴れた。すぐさま焦点を合わせた世界は、ゆらゆらと不安そうに揺らぐ幼い少年を映し出していた。黒髪に黒目の、序に言えば童顔の、飛び立てて容姿が優れてるわけでもない、東洋人の少年。ケヴァンは、不意に肩の力が抜けるのを感じた。

「嘉手納……」
「よかった、また魘されてたから。大丈夫?頭痛くない?」

捲し立てて、甲斐甲斐しく額の熱を測ってみたりする少年、嘉手納奏を片手で制し、「大丈夫だ」と告げる。奏は逡巡して心配の色を隠しもせず浮かべていたが、ケヴァンがかすかに笑みさえ浮かべたのを見て、ぎょっとする。奏には凄まじい心配をかけた。奏の心配は尤もで、先程までケヴァンはケヴァンでなく、第六十六号と言う名の、組織の手ごまだったのだ。しかしその第六十六号も、奏が額に矢を受けたことで、身が千切れそうなくらい絶望を受けたが。

「俺さ、」

奏は眉を下げて、ぽつりとつぶやく。独り言に近かったけれども、独り言にしては、ふわふわした暖かさと、暖かいけれど治りかけた傷に似た疼きをケヴァンに与える言葉だった。

「お前が苦しむの、嫌だよ。傷つくのを見るのも、嫌だ。何でだろう、友達になりたいからなのかな。でも、本当に嫌だ」

嫌、を繰り返す奏の顔に、窓から差し込んだ月明かりが差し込む。奏は眩しそうに目を細めて、ケヴァンの胸に頭を預けた。ケヴァンの心臓の音を確かめるように。二人が本当の意味で再会して、朝日を見ながら体温を確かめ合った時、奏は言った。ハグとは心臓と心臓をくっつけあうこと。奏の胸の中に移植されて、今も尚事件の中心にある黒い心臓は、しかし確実に奏を動かす鼓動を歌う。こうして体温を共有して、心拍数が共鳴させ、同調してゆく感覚は心地よいものだ。

ふと、ケヴァンの背筋に夢の残滓が伝った。アドルフ、自分の親友だった彼。彼がケヴァンの心を凌辱したことも、つきつけていけばこの感覚と類似するものではないのか。相手を知り、相手の全てを掌握し、それを成している根幹から蹂躙する。アドルフと同調して自分が結局得られたのは、アドルフに対するどうしようもない恐怖だ。相手と親密な心のやり取りを交わして、最終的に産まれるものは、本来なら自分が知らないところまで自分を知られてるという、恐怖。

「俺、もっとケヴァンのこと知りたいな」

ケヴァンの肩が揺れた。奏はそれに気づかず、例えばさ、と宙に視線を彷徨わせる。

「ケヴァンの好きな食べ物とか、好きな動物、女の子はどんな子が好み?」

瞬時に身体中の力が抜けていった。奏は指を折りつつ、質問の事項を増やしていく。それが結婚したいのは何歳頃?からグレープフルーツは白いのと赤いのどちらが良い?までいった所で、ケヴァンは奏の口をふさいだ。

「……一辺に聞くな。頭が破裂する」
「あたゃまがひゃれつすりゅ」
「普通に喋れ」

奏は自分からケヴァンの手を剥がして、口を尖らせた。こんな仕草は、奏を実年齢より更に幼くさせる。理不尽だ、と言った唇は、「頭が破裂するケヴァンって、ちょっと信じられない」とのたまって、少しその場面を想像したのか、不貞腐れていた表情が徐々に緩んでいき、最終的にはくすくす笑い出した。ころころ顔が変わる奴、ケヴァンは呆れた。

「そうだな。俺の頭が破裂するより、嘉手納の頭が破裂する確率の方が高そうだ」
「何で?」
「学校の授業、大丈夫なのか」

さああ、音を立てて顔を青白くした嘉手納に、今度はケヴァンが笑う番だった。

「お、思い出させないでよ、意地悪!唯でさえ一年遅れてるのに、これ以上遅らせたら、ひとみ叔母さんにどの面向けろって……」

生まれてからずっと心臓が弱かった奏を、金銭面でも精神面でもずっと支え続けた朗らかな家族の姿をケヴァンも思い浮かべ、ほんの少し言いすぎたか、と反省する。あ゛ー!っと一唸りした奏は、ケヴァンに向かって半ば脅迫を含めてがなりたてた。

「ちゃんと、俺達が日本、ミズガルドへ戻れたら、その時までの分の勉強、教えてくれよ!」
「それは、アイザックに頼め……」
「もちろん、アイザックさんにも頼むけど、ケヴァンもだよ。ケヴァンはアイザックさんの先輩なんだろ?二人が教えてくれれば、百人力だって」
「いや、俺は教えるのが得意では」
「得意になればいいじゃん!」
「……ああ、覚えてたら、な」

根気強く、下から見上げて懇願する奏につい負けて頷いてしまった。ふとケヴァンは、今までずっと現在に固定してきた目線を、未来へうつした。奏の言ったとおり、何にも事件など起こらない平和な日常の中で、アイザックと一緒に奏に勉強を教えるビジョンが広がる。奏を溺愛しているアイザックはきっと、とことん甘やかすだろうから、自分だけでも厳しくやらなければ。最後はきっと、いや結局、勉強そっちのけになるに違いない。満ち溢れるのは笑顔の連鎖だ。しかし、そんな未来が自分には待っていないだろうことを、ケヴァンは己に戒めている。

「夢くらいは、自由に見ていいんだよ」

はっ、とケヴァンは奏を見た。笑いの余韻を残した頬に、真剣な面持ちを張って、奏はケヴァンの両手を握る。暖かい、でも自分よりは遥かにぬくい体温が、じんわり手首を通って、腹の下に溜まった。

「枕の下に、自分が見たい夢のものを入れとくんだ。寝るときくらい、自分が好きな夢見たって、罰はあたらないよ」

パズルのピースがはまって図柄が完成した達成感が、つかの間ケヴァンを浸した。先程の悪夢を見た感覚は、自分の奥底で蠢く罪悪感と瓜二つだ。同じ苦しみが体の中でぴたり寄り添うと、不思議な事に、闇の中の霧にろうそくの火が灯ったよう。霧の存在が、分かる。

「その分、現実でもがけばいい。苦しんだらいい。でも、一人で溜めこむのはホント、やめて。お願いだから」

奏の腕が、ケヴァンの腰に回される。背中に残っていた夢の残滓は、薄れてどこかに消えた。


奏がこの先残していくものは、アドルフと同じ恐怖だろうか。それとも。ケヴァンは唐突に自分を満たしていこうとする感情を理解しきれずに、奏の腕に応えることもないまま、何処か呆然として奏を享受した。
















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