小鳥と毛玉と姫巫女と



森の木の下。葉から溢れる陽射しのみを光源とした、弾力のある地面を歩く。本当は飛んでいければ楽なのだろうけど、翼をもがれた今となっては不可能だった。

一歩一歩土を踏みしめる。かさり、と落葉の擦れる音がついてくる。
一歩二歩三歩、かさかさ。四歩五歩、がさがさ、六歩かさかさ。


「……、」


鶸は、結ってない髪を掻き上げるふりをして、そろり、後ろを振り向いた。六尺もないすぐ近く、そこには、堂々とした態度の追跡者(樹妖?)。


何なんだ、こいつ。


この樹妖。鶸の保護者的な存在の、それまた保護者的な存在の挿し木によりうまれた特異な出生の妖である。もっとも、いくら鬱陶しい前髪を切ってさっぱりさせたといっても、鶸には毛玉の塊にしか見えないのだが。


(それより、このままだとまずいね)


この毛玉、追跡者としては微妙に有能で、撒いても撒いても、カルガモの親子よろしく後を着いてくる。がさがさ物音を立てて標的に存在がばれていることが、唯一の難点。

しかし。野生の勘か、はたまたここが森という樹木の領域だからか。無言でも、早足でも、全速力でも、立ち止まっても毛玉は的確に鶸の後ろをついてくる。結果、一刻と半分丸々歩き続ける羽目になり、鶸は精神的に疲れ果てていた。無言で理由も解らず追いかけまわされるのを良しとするほど、鶸の神経は太くない。

緩く着流していた上着を腰で結び、汗を拭う。冬の終りとはいえ、こうも長時間鬼ごっこと隠れ鬼を混ぜたような行動を取っていれば、妖と言えど体温がいくらか上がるもの。剥き出しになった二の腕を、風が気休め程度に撫でていく。


さっさと振り返って、失せろと怒鳴りつけるのは容易いこと。でも、ちらと見えたざんばらな緑の合間に見える赤いひっかき傷が、鶸を僅かに躊躇させるのだ。


「……俺らしくない」

「何がですか?」


にゅ。効果音をつけるとしたら、にゅ。

そんな可愛らしい音を背負って、元々は鶸が訪問する予定だった人物が突然現れた。視界に納まる森の緑に、鮮烈な色彩が混ざる。


「あんた…!何故森の中にっ」


思わず叫んでしまった鶸に動じず、妖との対角に君臨する神社の姫巫女はにっこり笑った。そして袂を上げ、後ろ、鶸にとっての正面を指し示す。指の先には通い慣れた大きな鳥居。

どうやら適当に道を変えていた所、気付かぬ間に到着しまったらしい。口の中で舌打ちして、なるべく後ろの毛玉が見えないよう立ち位置を変えた。…別に、毛玉を守ろうとかそんな風に思ってるわけじゃない。見つかったら面倒くさいだけ。



「やっぱり何か考えこみながら歩いてたんですねー。遠くから見てて、とっても面白かったですよ白ろ」

「その名を呼ぶんじゃないよ今限定で!」

「…では、おとろしもどきさん。今日来るのが遅かったのは、その考えごとが原因ですか?」

「別に…何も考え事なんてないけど?」

「……」


姫巫女は、うそぶく鶸をじっと見つめる。真っ向からその視線を受け止めた鶸は、しかし徐々に強くなる眼光と心なしかじわじわ迫ってきた距離に、口許を引きつらせざるを得なかった。無駄に迫力がありすぎる。


「……っ何、本当!言いたい事があるんならはっきり言ったらどうだい」


根負けして視線を受け流した途端、何を思ったか姫巫女はぱちん、と両手を叩いた。


「はい、おとろしもどきさんの負け!」

「はぁ?」

「はぁ、って。あれですよ、ほら。にらめっこ!先に視線そらしたから貴方の負け」


姫巫女は、何がそんなに嬉しいのか。今日はやたら笑顔だ。その調子に全くついていけなくて、鶸は若干後退る。口から出てくる言葉も、疲労感の隠せないものになってしまった。


「…その勝負、受けた覚えないんだけどね…」

「まあまあ。だけど約束は約束。勝負に勝った私の質問に答えてもらっても?」


約束は約束。その言葉に縛られて嫌々頷く。姫巫女の笑顔がより無邪気に輝いた。


「その、おとろしもどきさんの足元から顔を出してるのは誰ですか?」


「!?」


首が飛ぶ勢いで自分の足元を見る。すると、鶸の丈が短めの筒袴を掴んで、先程の真似をするようにじぃ、と姫巫女を凝視する毛玉がいた。…いつの間に!


「ね、ね、おとろしもどきさーん。早く教えてくださいよぅ!」


てくてく鶸の目の前に来た姫巫女は、そう言いながら毛玉と目線を合わせるためにしゃがみこむ。一瞬、鶸のなけなしの気遣いを無駄にするような馬鹿が噛みつきやしないか焦った。しかし予想外に、毛玉は大人しく初めての人間観察を遂行している。思い出してみると、鶸もこの樹妖と初めて意志疎通(?)をした時、同じように凝視されていたような。

姫巫女が、頭を撫でようかそうしまいか、手をゆらゆら。その手を追うように毛玉もまた、頭をゆらゆら。


「…っ可愛いなぁ!君、名前なぁに?」

「…」

「あ、申し遅れましたが、私は銀朱、ぎんしゅです。おとろしもどきさんとは、日々お互いの情報を腹で探りあう強敵同士なんですよ」


ぱっ。毛玉が鶸を見上げて、すぐに姫巫女に顔を戻す。戻した顔は、何故かきらきら尊敬が混じっていた。


「かった、かった!おまえすごいっ」


ぽかん、口を開いて首を傾げた姫巫女の代わりで、鶸が小さな頭をすぱーんとはたく。


「何言ってんの、この毛玉は」

「うるさいばかひむぐっ」

「それも今口にするんじゃない!!」

「んー!んーっ!!」


普段の調子で呼ばれそうになった名前を掌で抑え込むと、じたばた暴れる毛玉は遠慮なく腕ごと鶸の手に噛みついた。鋭い歯が厚い筈の皮膚にぶすりと食い込み、あまりの痛さに鶸は本体ごとぶんぶん振り回す。けれど毛玉は意地でも離そうとしない。

何時までも続きそうなぎゃーぎゃー騒がしい攻防は、思わずといった風に溢れた姫巫女の笑い声に止められた。


「ふふ、おとろしもどきさん、何か可愛いですっ」


ぴし。

音を立てて喧嘩していた二人が固まる。鶸の額に青筋が走ったのを見た毛玉は、静かに口を離した。微妙に有能な追跡者は、危険を察知するのも得意。鶸は噛み傷から血が滴るのも構わず、腹の底からおどろおどろしい声を絞り出した。


「…その両目、腐ってるようだね。俺に余程抉りだされて欲しいらしいんだけど!?」

「滅相もない!ただ、普段は見せかけでも余裕でいようとする貴方ですから。今の痛そうに崩れた顔が、新鮮でとっても可愛いらしい、って」

「余計たち悪い!!」


今にも掴みかからんとばかりに鋭い爪を見せびらかした鶸に、だって本当のことなのに、と姫巫女は呟く。頬を膨らませた姫巫女だったが、不意にもぞもぞ懐を漁り始めた。なんだなんだ、と再び寄ってくる露草を、今度は噛みつかれないように素早く叩く。お前もう白緑の所に帰りな、と言葉で諭して通じる相手ではない。

ぐるるる、露草が叩かれた頭をモミジに近い手で撫で、二人の間に再び一触即発の雰囲気が立ち込めた時だった。


「ああ、あった。おとろしもどきさん、はいこれ!」


姫巫女の笑顔は最もたちの悪いものだ、と鶸は思う。どんな変な空気が流れていたって、それですぐさま吹き飛ばしてしまうのだ。今回も思わず、反射的に手渡しされたものをみると、そこには。


「……」


ぺい。こぶし大のそれを、地面に捨てる。


「あー!何するんですかっ」

「何、じゃないよ!前も言っただろう、俺はこんなのは」

「そうじゃなくて!苛々してたり付かれてる時は甘味が一番でっ」

「苛々なんかしてもないし疲れてもない!」


捨てられたのは、姫巫女自らが作ったであろう和菓子、まんじゅう。鶸はそれに一瞥もくれることなく、姫巫女に食ってかかる。

それでもまんじゅうにとって救いだったのは、ちゃんと一応救いの手がのばされたことだ。


「ふわふわ、これ、なんだっ」



毛玉は自分の手よりも大きい白皮のまんじゅうを握り締めて、鶸の着物をぎゅうぎゅう引っ張る。先程までの雰囲気をすっかり忘れて。

饅頭は当然つぶれ中身のこしあんがはみ出しているが、それすら好奇心をくすぐるらしい。好反応の毛玉に、姫巫女もぱっと顔を輝かせた。


「まんじゅうって言って、とーっても美味しいんですよっ!」


美味しい、という言葉と共に空の手を口元にやる動作も混じらせる。しゃがみこんだままの体勢で、もう一個まんじゅうを懐から取り出すとつぶれた物と交換させた。

おい、よしなよ!という鶸の訴えは聞き入れられず、素直に姫巫女の真似をした毛玉は、ぱかっと開いた口にまんじゅうを放り込む。刹那、顔中に驚きが広がった。


「どうですか?」

「こいつに美味しいかどうか聞いたって無駄だよ。脳みそとけてるから」

「もう、おとろきもどしさんってば。そんなこと言うから、さっきみたいに噛み付かれるんです」


めっ!と言って指でばってんを作る姫巫女を怒るより以前、脱力感に襲われた鶸は、座り込みたい衝動と戦う。その横で、口を大きく膨らませた毛玉が二人をちらちらそわそわ見比べていた。


「ん?ほら、美味しいでしょう?」


毛玉は“美味しい”、の意味が分からないのか首を傾げるのみ。しかし、吐き出したり嫌な顔をしてない所を見ると、どうやらまずいと思ってるわけでもなさそうだ。


「…?…??」


放っておけばずっともごもごさせていそうな口に、鶸は溜め息をついた。仕方なく、早く飲み込んじゃいなと鶸の裾を握ったままの毛玉に言うと、素直に喉を上下させる。

何やら姫巫女がにやにやしながらこちらを見ているが、鶸は極力気にしないことにした。


「…くち、へんなかんじする。なんだこれ?」


ぱちくり。

音を立てて瞼を開け閉めする毛玉は、頬と腹を交互に叩いて未知の感覚の余韻を確かめた。樹妖、ましてや幼い毛玉に、はっきりした味を知覚する経験がある筈ない。当然、甘いものを甘い、美味しい区別することも出来ないのだ。

これも俺が教えないといけないのか…?鶸は本来なら天敵の大蛇である養い親を頭に浮かべて、天を仰いだ。

鶸と毛玉を会わせた張本人。現在白緑の名の正当な持ち主は、鶸とこの毛玉、兄弟のように育てば良いと言う。
そんなのは絶対ごめんだと思いつつ、こうして毛玉の行動に振りまわされているのは、結局鶸もその言葉に捕われているからだろうか。むしゃくしゃして、頭をがしがし掻く。


「…それが甘いってこと!まあ、お子様なお前にはまだ早いかねぇ」

「こどもじゃない!このばかとり!のーみそとけてるんじゃないの!?」

「だから真似するんじゃないよこのもじゃもじゃ!」


やっぱり無理だ。毛玉にものを教えるのなんて。

尖った歯を剥き出しにして威嚇してくる毛玉は、どう見ても教えてもらう態度じゃない。そもそも二人は顔を合わせて、平和的なやり取りで終わった日はない。しかし、兄弟なんてやってられるかというぼやきと、姫巫女の嬉々とした言葉が被った。


「何だか兄弟みたいですね!二人は」


何だと。

鶸の考えと真逆のことを言い出した姫巫女は、先程のにやにやで盛大に顔を笑み崩す。よっこらせ、と爺臭い言い草と共にしゃがんでいた体勢から立ち上がり、着物についた土埃を払った。広がった僅かな土煙にむっと香る土の匂い。それを嗅いでから一拍、鶸は毛玉から素早く飛びのいた。


「有り得ないねっ!誰が毛玉の兄になんか、」

「喧嘩するほど仲が良いって言うじゃないですか」

「…と、兎に角、こんな奴を弟に持った覚えは一切ないよ!」


まくしたてても、姫巫女のにやにやは止まらない。「照れちゃって…素直に認めれば良いのに」とさえのたまう。そんな様子を見た鶸が頭に血を上らせ、更に否定の言葉を浴びせようとすると。


「…ばか。ばかとりっ。ばかひわ!のーみそとけちまえっ!!」


がんっ


「っ!!、て、おい毛玉?!」

「ばーか!」


鶸の脛に渾身の蹴りと暴言を残して、毛玉はその身体を翻し音もなく、森へ走り去って行った。止める間もなく、あっと言う間に小さな樹妖の姿を森が覆い隠す。

姫巫女があー、もっとお喋りしたかったのに、と呟いた。一瞬横殴りの突風が吹き、鶸と姫巫女それぞれの髪が揺れる。

言葉を出そうと吸い込んだ息が逆流しそうになるのをこらえ、鶸は呆気にとられるしかなかった。蹴られた箇所が、地味に痛む。

一瞬だけ、緑のざんばらから覗いたのは、先日鶸が付けた傷の痕、そして泣きそうにくしゃりと歪んだ表情。

本当に、一体、あいつは何なの。

毛玉(そう言えば、名前を知らない)の考えてることは、鶸にはまったく理解できない。理解できないのに、お世辞にも良いとは言えない目つきの露草色が、罪悪感を呼び寄せた。


「追わなくていいんですか?」


だから、にやにやから一変して溜息をついた姫巫女の提案に、つい応えてしまったのだ。


「追わない。でも帰る」







風のように去って行った兄弟のような二人を見送り、銀朱も自分の居場所へ帰るため鳥居に足の先を向けた。


「本当に、可愛かったなぁ…今日のおとろしもどきさんと、その弟君」


噛みついたりばかとか言ったりしてたけど、“兄じゃない”言葉に傷ついてみせた毛玉もどき。対して“兄じゃない”と良いつつも、何だかんだ面倒を見ている鶸。


「可愛いものを見せてもらったことに免じて、ばかひわ、は聞かなかったことにしますよ、白緑さん」


毛玉もどきな弟君の正体は、また次に会った時に聞くとして。今は、境内に入った途端飛んできた妹と鶴梅を一緒にぎゅうっと抱きしめた。












小話じゃない小話のちょこっと修正版です。元々、子露草が姫巫女さんに餌付けされてたり、鶸に口で勝ってすげぇとか尊敬されたり…的なさんぴーでしたが、鶸のツンデレぱねぇな話になってしまいましたorz
でも楽しかった!←












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