"I love you!" is the strongest word!! 柔らかな祝福の陽光が降り注ぐ朝、ウランボルグは失意のうちに目覚めた。陰界に於いては勿論、陽界においても未だ嘗て経験したことのない事態に咄嗟の対処が遅れる。まずは落ち着いて現状把握だ。短い脚、短い腕、紅葉のような手のひら。何度見ても同じ、到底自分とは思えない身体がそこには在った。 嗚呼――矢張り、現状把握の前にアーカンジェルを起こそう。 "I love you!" is the strongest word!! 「アーカンジェル…!」 なんとも情けない声になってしまったが、仕方のないことだと自分を説得してアークの細いけれど筋肉質な身体を揺する。程なくして薄眼を開いた彼は、何度か瞬いて上体を起こした。見開いた薄氷色に映った自分の姿は、想像通りのものでウルは愕然とする。 「ウル…なの、か?」 「ああ」 上手く舌が回らない。舌も相応の長さになっているのだろう。 「そんな…どうして…」 アークの声に悲哀が滲む。何故かはこちらが聞きたい。何故―― 「――こんな、こどものすがたに…」 今のウランボルグの外見年齢は、およそ三歳だ。着ているものは昨夜と変わらず、黒一色でまとめた簡素な服。多少ぶかっとしてはいるが、どうやら元のサイズのままという訳ではないようで、そのまま着ていてもおかしくは無い。靴も同様だ。どのような力が働けばこのような状況になるのだろう。 「何か心当たりはないか?」 言葉が降ってくると同時に、ウルはアークにひょいと抱きかかえられた。そのままベッドの端に座るものだから、ウルはアークの膝に座って彼と対面することとなった。アークはいつの間にか寝巻きから普段着に着替えている。早いな、と若干感心しながら、ウルはアークの問いに答えた。 「昨日もその前も、特に変わったことはしていない。――心当たり、の意味するものが、誰かからの恨みというのなら話は別だが」 恨みなど、腐るほど抱かれている。幻獣ハンターなどという職業柄、それは避けて通れないものだ。実力主義のこの世界では、弱い物は自然に淘汰される。生き残りたいなら、勝つしかない。弱者に、敗者に、敵に構っている暇などないのだ。 しかしこれはアークも重々承知。唇に仄かな笑みを乗せて答えた。 「勿論、そんな可能性は端から捨てているよ。仮にそうだとしたら容疑者が多すぎるし、何より最終的には『どのような魔法で』という問題に帰着するだろう? 魔法だったら、私がなんとか出来る。心配は要らないよ。それよりも問題は――」 呪いも、言ってしまえば一種の魔法だ。掛け方がある限り必ず解き方も存在する。それが神聖魔法であろうと古代魔法であろうと、だ。アーカンジェルに全幅の信頼を寄せるウランボルグは、そういう点で何の心配もしていなかった。そんな事より厄介なのは、 「――自然現象のひとつとしてこの事態に陥った場合だ」 ウルもまさにアークと同じ考えだ。この場合、対処が出来ない。下手をしたら一生このまま――否、それは駄目だ。頭を勢いよくぶんぶんと振り、嫌な考えを振り落とす。しかし、一度浮かんだ考えはなかなか振り落とされず、頭の片隅を占拠する。地の底まで気分が沈みこんだウランボルグに、アークの優しい声が降り注いだ。 「憑依魔法に関係することかもしれないし、だとしたら暫く待ってみるのもひとつの策じゃないか?」 「! そうか、ひょういまほぅ…」 確かにここのところ、憑依魔法の使用頻度はなかなか多かった。何かバグが生じた可能性も、無いとは言い切れない。最低でも七日は猶予期間が出来たことで、ウルの表情が和らいだ。ぱあぁ、と目に見えて浮上したウルの気分に、七日後もこのままだったらどのように言い包めて宥めようかと、アークは米神に若干の痛みを覚えた。 しかし、まずはこのような効果のある魔法の存在の有無を確かめねばなるまい。アークはウルに口づけてからそっとベッドを下りた。腕に抱えられたままのウルは怪訝な顔でアークに問う。 「どこに、いくんだ?」 「書庫だよ。もしかしたら何らかの魔法がかかってしまったかもしれないだろう?」 そう言って笑うアークの瞳は、好奇が滲んでとてもきらきらしていた。この機会に、新しい魔法を覚える気だろう。 「…勉強熱心なのはいいが、あまり無理はしないでくれ…」 「大丈夫だよ」 アークの大丈夫が本当に「大丈夫」であった試しなど無いのだが、ここで抗議して喧嘩に発展するのも馬鹿馬鹿しい。ウルは不承不承頷いた。 「信じてないな? 大丈夫だったら」 「…いざとなったら、俺が守る」 「今は、何が起ころうと君が私に庇護される対象じゃないか」 揶揄混じりの声音にウルはぐっと詰まってしまう。――確かに、そうだ。今の姿ではアーカンジェルを守るどころか、己の身すら守ることはままならない。短い脚、短い腕、紅葉のような手のひら。舌でこそ何とか普段通りの発音が出来るようにまで慣れたとはいえ、今誰かに襲われたら抵抗らしい抵抗をすることすら許されず殺されるだろう。 「……」 ウルが黙り込んでいる間にも、書庫の扉はもう目の前だ。豪奢だが鬱陶しい飾りがついたノブにアークが手をかけ、重々しい扉を軋ませながら開けると埃の匂いとともに紙の匂いが漂う不思議な空間へ誘われる。アークはウルを下ろし、右から五番目の棚と六番目の棚の間に足を踏み入れた。 「まず、姿を小さくする魔法、というものから考えてみよう。神聖魔法にそのようなものがあるなんて聞いたことがないから、古代魔法かな」 それらしいことが書いてある文献を片っ端から選び抜き、適当なところで小脇に抱えて最奥の閲覧席に持っていく。本を置くついでにウルをそこに座らせて、アークは再び棚へ戻っていった。 少しでもこの怪異を解決する切欠になれば、とウルは見る見るうちにアークによって堆く積まれていく本に隅々まで目を通す。読み終えた本はそろそろ三桁までの折り返し地点か、というときになって、アークが軽く後ろに仰け反った。ぎし、と背中を伸ばす彼を横目で見ていると、ウルの頭にふわりと温かい感触。――アークの手だ。 「アーカンジェル?」 「君は、小さくなると可愛さが増すな」 「…褒めているのか?」 「勿論!」 最上級の笑みがとても眩しい。――嘘を言うんじゃない、楽しんでいる癖に――喉元まで出かかったウルの言葉は自然と呑みこまれた。アークの眩い笑顔がどんどん近付いてきて、思わず見惚れてしまう。長い睫毛と、それで煙る綺麗な瞳。アーカンジェルは、この世の誰よりも美しい。 「…目を閉じてくれると嬉しいんだけどな」 「嫌だ。俺は、アーカンジェルの全てを見たい」 真剣な光を宿した黒曜石に、アークは言葉を失った。己を見つめるその眼はどう見ても子供のそれだが、その煌めきは元のウランボルグそのままだ。我儘な言葉に内心呆れながらも、微かな笑みを唇に乗せたままアークはウルに唇を重ねた。 触れるだけの温もりがとても愛しくて、ウルは反射的にアークの背に腕を回す。しかし短い腕ではアークの背まで回らず、仕方なく肩のシャツを掴んだ。 「ウル?」 「――愛してる」 唐突な愛の言葉に、誰よりも発言した自分が一番驚いた。お互いに目を丸くして、刹那の間見つめ合う。数秒の後にどちらからともなく笑みが零れた。 「どんな姿でも君は君だな」 「そう簡単に変われるものでもないだろう?」 そうだけど、と肩を震わせて笑うアークを、ウルは非難がましく睨んだが、幼子の姿では効き目など到底望めようはずも無く。 「そんな君だから、好きになったんだけどね」 更にはそんな、神をも凌ぐ破壊力を持つ言葉をいとも簡単に発するものだから、ウルは自分の身体の異変も忘れアークを抱きしめた。互いの体温をじんわりと感じながら、ウルはぼんやりと思考を廻らす。 ――嗚呼、いっその事、このままでもいいか、なんて。 …アーカンジェルには口が裂けても言えないけれど。 しかし考えてしまっただけでもなんだか気まずくなって、ウルはつぃ、と俯いた。それに気づいたアークは訝しげに腕の中のウルを見下ろす。 「今、何を考えたんだい?」 「…何でも無い」 ふ、と。 「何でも無いことはないだろう。…まあ、言いたくないなら強制はしないが」 寂しげな切なげな、それでいて何処か楽しそうな笑みを浮かべるアーカンジェルに、 「…すまない」 ウランボルグはいつも勝てないのだ。分かりきっていることだけれど、それでもいつか、一度は何とか勝ってみたいと思う。 遠き日を夢見ながら、ウルはアークの澄んだ瞳を捕える。 「こうして、アーカンジェルと一緒にいられるなら、」 そんな事、もう今では思っていないのに―― 「いっその事、このままでもいいか、なんて。…でも、やっぱり嫌だ」 こんな姿じゃ、こんな存在じゃ、 「アーカンジェルと共に生きられない」 きっぱりと言い切っても尚、ウランボルグの視線は揺らがない。ぴったりと吸い寄せられているかのように薄氷色の瞳と漆黒は重なっている。 そして、たっぷり数十秒。 「…驚いた」 永遠とも感じられた時間の後に、漸くアークが発した言葉がこれだ。何に、と聞く前にアークが言葉を続けた。 「まさか、君がそんなことを思うなんて。…凄く嫌がってたじゃないか、その…子供の姿」 「だから、やっぱり嫌だと言っている」 回らない舌を必死に回し、拗ねたようにアークを見上げる。笑みを潜めた瞳はウルを愛しげに見下ろしている。――絶対に可愛いとか思ってる。ウルは内心そっと溜息を吐いた。 だから本当は、アークを抱きしめたいのだ。こんな子供の姿では、それも叶わないけれど、なんとしてでも元の姿に戻って、アークを抱きしめてやる。心の内で誰にともなく誓いながら、ウルはアークにすり寄った。 「ウル?」 「…アーカンジェルは、ずるい」 アークのシャツに顔を埋めて、ウルはぽつりと呟いた。ウルが織り上げた言の葉は、微かに大気を揺らすだけで消えたにも関わらず、確りとアークの鼓膜を揺らしたようだ。何を言っているんだい、とやや機嫌を損ねたようなアークの声が上から降ってくる。唇に笑みを乗せて顔を上げると、想像通りの表情をしたアーカンジェルと目が合った。 「何度でも俺を恋に落とすだろう。…ずるい」 「それを言うなら君だってそうだろう。私は何回君に恋すればいいんだい?」 アークの腕がウルの背に回る。答えの無い問いに、ウルは笑みで以て返す事しか出来なかった。 姿が変わっても変わらない温もりが傍に在る事、傍で感じられる事がどれだけ幸せか、ウルは知っている。知っているからこそ、やはり自分も温もりを与えたいと思う。だから早く、元の姿に戻りたいのだ。元の姿に戻ったら、そうしたら―― 「今よりもっと、惚れさせてやる」 不遜に微笑って、ウルはアークに口づけた。 了 |