前編



カラスの鳴き声が空に夕暮れを連れてきた。夏になるとそれが部活終了の合図になる。

豪炎寺は既に夜が近い空を窓の外から見て溜息をついた。ほとんどの部員が家に帰った今、部室に残っているのは豪炎寺とキャプテンの円堂二人のみ。キャプテンじきじきに部活終了の号令をとったはずなのに、円堂が一番名残惜しくこの時間になるまでボールを触っている。楽しそうに、でも物足りない表情で汚れたボールを拭き取っていく様子は、彼が相当なサッカー馬鹿であることを物語っていた。付き合ってボールを片手に取っていた豪炎寺は、そろそろリフティングを初めてもおかしくない円堂を現実に戻すため、重い口を開く。

「おい円堂、そろそろ校門しまるぞ」
「……えっ、あ、もうそんな時間かよ!」

彼が天井付近の壁に掛けてあるアナログ時計を見上げるのに倣って、豪炎寺も再び時計を見る。時刻は、部活が終わってから一時間少し過ぎを示していた。校門どころか、学校中が施錠されるまでは後15分もない。

「調度全部ボール拭き終わったから、リフティングでもしようかって思ってた所だったのにな!」

あははと苦笑してボールを数時間ぶりに手放した円堂に、自分も円堂の行動パターンが読めてきたなと、呆れていいのか笑ったらいいのか分からない。円堂のこのサッカーに対する情熱を行き過ぎないものにする役割は、最近まで幼馴染が必死に手綱を引いて行ってきたことらしかった。曰く、小学校以前からサッカーへの愛は半端ではなく、友人知人にサッカーを勧めては。門限を破る直前までボールを追いかけまわしていたそうだ。自分も昔からサッカーが好きなことに変わりはないが、少なくとも円堂には負けると思う。しかし、例の幼馴染はじめ、同じイレブンのメンバー達は笑ってこう言うのだ。

「豪炎寺や鬼道達が来てから、円堂の暴走を止めるのが楽になって助かったよ。同じサッカー馬鹿同士だからかな」

それはこの雷門中サッカー部全員に言えることだろう、とその時はそう返したが、今思えば、円堂と同列に見られたことにやる瀬なさと、ちょっとしたこそばゆさを感じる。

雷門中イレブンとしてサッカーをするまでは、“自分”のサッカーを思うままに出来なかった所為もあり、馬鹿と呼ばれるくらいサッカーに打ち込むことの出来る円堂に少し憧れていた。自分も同じ馬鹿と言われるくらいには、ボールを蹴り続けることに何の枷も負いもなくなって、馬鹿らしく何より好きなサッカーをしているのが嬉しい。こそばゆいのは、枷を外してくれたのは他ならない円堂だということだ。

「一日100時間もあれば、もっとサッカーやれるのにな。なぁ豪炎寺、何で一日って24時間しかないんだ?」
「頭のいい鬼道なら知っているだろう。鬼道に聞け」

ただし、こういうサッカー馬鹿過ぎる部分は、豪炎寺にも付いていけない。答えにくい質問の回答権を丸々パスした相手に内心合掌して、部活道具を片づけ始めた。雷門イレブンの司令塔としての彼を十二分に知っている円堂は納得したようで、豪炎寺に倣い散乱しているボールをしまっていく。束の間蝉の声だけが部室を支配して、二人は黙々と帰宅の準備を進めた。

ふと豪炎寺はもう一度時刻を確認し、それから先ほど話題の出たドレッドの同級生を思い浮かべて眉をしかめた。すっかり自分も忘れていたが、確か今日は彼と“約束”をしていなかっただろうか。

(……まずいな)

約束の時刻と今の時刻を比較して、無表情に焦る。普段の円堂なら「どうした豪炎寺、宿題でも忘れてきたのかー?」と聞いてきそうなくらいは表情に出ているのだが、対して現在のキャプテンは最後のボールを片手にプルプルしていたので、豪炎寺の無言の変化に気づいていなかった。

「……っあー!俺やっぱり我慢できない!豪炎寺、今から河川敷行ってシュート練しようぜ!!」

リフティングをやろうとしていたことが、ボールに触り足りないうずうずに火をつけたらしい。円堂はボールをそのままに、エナメルバックを肩へ担ぎその勢いで部室を飛び出した―――が、背中に掛かるバッグの紐を豪炎寺に容赦なく引っ張られた為にあやうく転びそうになる。突然の暴挙に口を開閉させながら円堂が豪炎寺を振り向くと、円堂はやっと彼の珍しい焦った顔に気が付いた。豪炎寺は深刻な話をするように、実際に深刻な話題を円堂に持ちかけた。

「……円堂早まるな。思い出せ。今日、個人のパス練の後にあった休憩の時、お前、俺を巻き込んで鬼道と約束してなかったか」

暫く豪炎寺の目にはきょとんとしたキャプテンが映っていたが、数拍間を空けてから首元までざっと顔を白くするのを見て、豪炎寺はため息を吐いて口の端を上げた。身長の割に頼もしい肩をぽん、と叩く。

「約束は19時半だったな。安心しろ、忘れてた俺も共犯者だ」

現在19時半少し過ぎ。そして鬼道は時間にルーズな方ではない。その逆だった。

「う、うわあああああ!鬼道にスピニングカットされる!!」
「むしろ皇帝ペンギン召喚されてもおかしくないな」
「とにかく急ぐぞ豪炎寺っ!ついでに雷々軒まで競争な、買った方が半チャーハン奢りでっ」
「なっ、ちょっと待て円堂俺はそんな賭けにはっ!……くそ、仕様がないな」

お互い幾分か青ざめた顔で鬼道に天誅を下されるシーンを想像していたが、円堂が無茶苦茶な注文をしつつ外を飛び出し、豪炎寺はすぐに部室からいなくなった背中に呆れて渋々追いかけるためエナメルバックを背負う。

仕方がないなという台詞とは裏腹に、豪炎寺の表情は楽しげなもので。結局強引でも、人を惹きつけてやまないこのサッカー馬鹿には勝てないのだ。完全に暗くはならない東京の夜が迫っている中、二人は目的地まで仲良く追いかけっこをするのであった。






*****************





施設の出身であり、ゆくゆくは大財閥を継ぐことを養父に期待されている身でもある鬼道は、自然と時間を守って生活することが板についていた。夕方と呼ぶには少し遅い時刻、鬼道は腕時計と隣の暖簾を先ほどから交互に見ては溜息をついている。

ドレッドにゴーグル、今や有名な雷門中のジャージに最低でも膝下まであるマント。一見目を強烈に引く格好をしている彼だが、幸いこの界隈に鬼道を知らない者の方が少ないため、小さい子供が「あのおにーちゃん、なんであんなかっこうをしているのー?」なんて母親に尋ねるだけで済んでいる。勿論その子供と母親の顛末は鬼道の耳には入っていないので、そんなやりとりがあったことも知らないのだった。

「あいつら……帰ってやろうか」

鬼道は、暖簾ごしに元監督がこちらを不審げに見ていることは最初から気づいていた。“約束”の時刻をそろそろ半分は過ぎようかとい行う長針の行く末に、踵を返したくなる。部活終了と共に一旦家へ帰宅していた鬼道は、律儀に約束の10分前からここにいるので、そろそろサングラス越しの視線が痛い。

――雷々軒にはメンバーに連れられて何度も行ったことがあるが、頼むのはラーメンばかりでチャーハン等他の物を食べたことはない。

今日の部活の休憩中に会話の流れでそう発言した所、口をあんぐり開けたキャプテンが肩を揺さぶりながらその魅力について力説してきたのがことの起こりだった。やたら長かったそれを要約すると、ラーメンが美味いのは言うまでもないが、チャーハンを含めるからこそ雷々軒のツートップになること、初めて帝国と戦った雷門イレブンの豪炎寺がラーメンだとしたら、チャーハンは染岡みたいなものだということ。らしい。

吹雪が飛びつきそうな誘い文句だとその時思ったものだが、生憎チャーハンにされた本人と楽しげに会話していたので、その場にいなかったのが幸なのか不幸なのか。というわけで、あれよあれよのまに近くにいた豪炎寺まで巻き込まれて、放課後に三人で雷々軒まで行くことになったのだった。

しかし、あれだけ力説されたにも関わらず、誘った本人が遅刻とは。大方予想はできている。きっと円堂なら、部活が終わった後もサッカーと離れられず豪炎寺を引っ張り別の所でボールを蹴っているのかもしれない。ありありと想像できた。

夕飯の支度の為に奔走する主婦、仕事が終わって帰途に着くサラリーマンが、暗い空を商店街の明かりが賑やかに照らしている中を忙しなく行き交っていた。折角数十分も無駄にしたのだから、円堂のツケにしておいてチャーハンを食べてもいいかもしれない。暖簾の奥から手を差し伸べる食欲を促す香りに、部活後のすきっ腹が誘惑される。ふらりと無意識に足元が店に向かって一歩前進した。丁度その時。

「悪いな円堂、俺の勝ちだっ」
「くっそー、肝心な登場はいつも遅いくせに、何でこういう時だけ早いんだよ……!」
「半チャーハン、奢りな」
「うううう!」

賑やかな二人組が賑やかく登場し、目の前に佇む鬼道に気づきもせずお互いまくしたてあっている。取りあえず鬼道は仲良し二人組の前で腕を組み、仁王立ちした。

「その前にお前たち二人とも、俺に何か奢ってもらおうか」

何か賭け事をしていたようだったが、全力疾走の努力は一応認めてペンギンを出すのは次の機会にする。瞬時に土下座した二人に鼻を鳴らして、鬼道は先に暖簾を潜った。














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